見出し画像

【映画感想】「祈りの幕が下りる時(2018年)」

先日、昭和の角川映画を観たくて某ツタヤにDVDを借りに行ったのだけど、同じ邦画の棚に”旧作になりました”コーナーがあって、その一番見やすい位置にこの映画がプレゼンされていた。

「阿部寛と松嶋菜々子か…キャストが好みだな」と意識がよぎったけど、普通に目的の古い角川映画を借りて帰った(笑)

次の日、私の絶対神である舞台女優、真田林佳天使がツイッターでこの映画を観てえらく感動した、と呟いておられた。「これは奇遇だなぁ」と思った。

そして、その数日後、真田林佳天使出演のライブがあり、そこで彼女とお話した時にやはり「お前、あの映画を早く観て感想を述べるがいい」という指令が発せられた。

この偶然の重なり。スピリチュアルな観点から、この映画は私が”今”観るべき映画だと思われたので、早速借りに行きました。

そしてついに観ましたよ!!

画像1

前置きが長くなったので、先に感想を述べておくと、

いやぁ…マジでいい映画だった…。

あたしゃ、あちこちでボロボロ泣いたよ…(´;д;`)


映画の周辺情報を簡単に書いておくと、原作は2013年に出版された東野圭吾氏の小説で、ドラマ化された阿部寛主演のTVシリーズ「新参者」の伏線解決のスピンオフ的な流れで映画化されたもの。

あらすじはねぇ…、結構、登場人物の関係性が過去が絡んで複雑なので簡単には書きにくいんだけども、阿部寛演じる、日本橋署の刑事・加賀恭一郎には、彼の幼少時に失踪して亡くなった母親がいて、その後の彼女に関連して起こった複数の人間を巻き込んだ殺人事件を解き明かしていくストーリー。

ポイントは、阿部寛と松嶋菜々子という今回の映画のツートップが演じる、刑事<加賀恭一郎>・舞台演出家<浅居博美>という職種も何も一見何の関係もない2人の男女が、幼少時に親との関係性において起きた悲しい出来事の波紋によってシンクロして繋がっていくところかなぁ。

メインテーマは親子の愛情よね…。

まぁ親子に限らないんだけど、いわゆる、”愛してる人”、がいなくなるとか、去っていくとか、もう逢えない、とか、そういう悲しみの描写にすごくフォーカスされている映画だった。

これが普通の恋愛ものなんかだと、共感できる層が限定されがちだと思うのだけど、血の繋がった関係にサスペンスを絡めていくことで、世代関係なく誰もが感じる”普遍的な感情”にグイグイ入ってくる感が増幅されてエグいんだよ。とにかくそこがエグかった。

あのねぇ、視聴中、ゆっさゆっさ心が揺さぶられるのよね…。

映画のあちこちにそういう描写が撒き散らされてるから、自分の心の琴線に引っかかる度に涙が出て来るんだよ。

あるでしょ、やっぱり、普段は楽しくふざけて生きてたりするように見える・見せてる?けど、そこそこ長く人生生きてると悲しいことっていっぱいあるわけ。

そういう感情って、やっぱり自分の中で触れたくない負の感情として残ってるんだよね。何年も何年も。ま、負の感情って書いたけど、100%負でもかったりするんだよ。その体験の中に暖かかった・楽しかった側面があるからこその複雑さもある。

それで、そういった自分の中で抱えているすごく大きな事柄・問題・悩み事というのは、それを丸投げ出来る人間がいなければ、外に出せないからどこかに蓄積されたままなんだよね。それを抱えて生きていくって、すごくすごく辛いことなのよ。

だから、”人は1人では生きていけない”というのはそこだと思うんだよね。

自分の感情を何もかも受け入れてくれる人でなくても、なんとなくわかってくれる人や、一緒にいると心が和らぐような優しい人が周囲にいてくれるだけで人生全然違うからね。

一番のダメージはそういう人が出来たあとに、その人が自分のそばからいなくなることで。それは死別かもしれないし、すれ違いかもしれないし、理由は色々だと思うんだけど。

この映画は、そういうところにグイグイくるところがエグかった。

----

すごく印象に残ったシーンを挙げると(ネタバレ含む)、

■➀子供時代の加賀恭一郎の家から突然いなくなるお母さんが書いたお別れの書き置きを見て、恭一郎が泣きじゃくりながら、靴も履かないで、外に追いかけて探しにいくシーン。

「おかあさんがいなくなった!!」って、一心不乱になって追いかける、もうどこにもいない、追いつけない、取り戻せない、いやだ、うそだ、悲しい、戻ってきてほしい、そういう、どうにもならなさそうな予感がしながら、いろんなことで頭が混乱してるとき、ってこうだよなって場面。これ書いてるだけで涙出て来るもんね…。


■②同じく子供時代の浅居博美が、故郷の町から夜逃げした末に父と生き別れるシーン。

これ、天使が子役がすごいって言ってた箇所だと思うのだけど、ホントに真に迫った演技で、観てるこっちが入り込んじゃうんだよね…。また、演出で、一回お父さん走り去っていくんだけど、博美は自然と追いかけていっちゃうの。そしたら視界から消えたはずのお父さん一回戻ってくるんだよ。そのときの安堵と悲しさが入り混じったときの場面とかもう涙腺崩壊だよ。

だって戻ってはきてくれたけど、やっぱり去るのはわかってるわけだから。刹那の安堵でしかないわけじゃん? 希望と絶望の境界線ですよ。「なんでこんなことになるの?」「なんで?」これが、➀の恭一郎の感情とダブるんだよね。


■③②から年月が経って成長した博美と老いた父が再び別れるシーン。

同じ親子のお別れの場面なんだけど、結末が違う。ここで、博美の父が自分が最も拒絶していたやり方で自死を選ぶときに出る言葉が「もう疲れた」なんだけども、これも悲しいけどわかる部分があって。

人ってさ、望みがない、辛い状況があまりにも長く続くと、「これはいつまで続くんだろう?ひょっとして終わらないんじゃないか?」って思い出すもので。おそらく年齢的なこともあると思うんだけど。若いときだと経験もないから、「これから先何十年もこんなことが続くのか」と絶望的に思ったり、年老いてしまえば、辛いことに抗う体力が無くなってきちゃうのだと思う。「もう苦しみたくない」って思いが限界まで行ってしまう。

まぁ自分に関して言えば、そういうずっと続くかのような困難に直面して「死のう」とかまでは行かなかったけど、「もうこれまでかも」くらいまでは思い詰めたことが何度かある。でもね、思い返すと、やっぱり周囲の人、もしくは音楽かなぁ?に救われてるんだよね。具体的にどうっていうより、周囲にいてくれてる人のおかげで、メンタルが最底辺まで行くギリギリのところで浮上していく感じ。

そうすると、そこからまた何か良いことも含めて色んなことが起きていく。ここまでかも、ってその時は思ってても、必ず”続き”はあるんだよ。それが、それまでのものと同等の価値があるかどうかはわからないけど、それも生きて、歩いていかないとわからないことなの。もっといいことがもしかしたらあるかもしれない。そして経験上では意外とあったりするんだよ。思わぬところで色んな縁が繋がったり、エネルギーを取り戻すときが訪れる。

だから、クサい言い方になるけど、好きとか、愛情とかってすごく大事よね。結局それが自分を救ってくれることになるから。

まぁこの映画の結末の場合は、他人を巻き込んだ事件が絡んでいて、その先が見えてるから、終わりにするしかなかった、というのもあると思うし、娘を想う愛ゆえの自死の選択でもあったわけだけど。

完全にネタばれだなこれ(笑)

----

この映画、テーマ的に重いだけに、緊張感がずっと続くと観てるほう疲れちゃうから、緩和も必要ってことで、ロケ地の映像が綺麗だったり、メインの刑事以外が相当でくのぼうなのが笑えたり、と色々挿入されていて面白かった。ラストのテーマソングが流れながら、人形町周辺を”いつものように”恭一郎が人と触れ合ってるところも定番だけど和めて良かったです。

あとやっぱり阿部ちゃんはすごくカッコいい! 年を経るごとにカッコよくなってるんじゃないですかね。 昨年やってた「まだ結婚できない男」では、ちょっと疲れた感があったんだけど、あれは役作りだったんだろうなって思った。松嶋菜々子さんはやっぱ華があってきれい(恭一郎と感想が一緒笑) 博美の父役の小日向さんも良かった。山崎努さんはもうやっぱり存在感だけでスゴすぎる名優さんですなぁ…。んで及川ミッチーの老けメイクはなんか面白かった笑

----

この映画を紹介してくれた真田林佳天使はツィッターで子役の子の演技に対して「あんなお芝居ができるようになりたい」って呟いていたけど、なんか見てると天使は悲しいことに敏感というか、繊細な感じがするので、自分の中のそういう感情と直結すれば、絶対自然に表現出来ると思うんですよね。まぁどこ目線なのかって感じなんですけど(^^;、だからいつかそういう演技をする天使を観てみたいし、その時はえらく感動するだろうなぁ、と。

天使はホントに個性的で、覚醒したらエンタメ方面で色んなことが出来る人だと思ってます。多分、天使にしか出来ないことがある。

役者さんって、役を自分で決められるわけじゃなくて、与えられる側だったりするから、その都度対応していくことが勉強であり経験なんだと思うんだけど、そういう中でスキルを磨きつつ、キャリアと知名度を増していくんだろうなぁ、と。人の要求に応えるときには色々辛いこともあると思うんだけど、日々”今”に集中しながら、また壁を越えるごとに成長した自分を楽しみながら、切磋琢磨していってほしいです。

----

というわけで、この映画、ホントに良かった。

お薦めです!(*'ω'*)ノ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?