15年暮らした場所から逃げ出して、半年が経って。

引っ越しが終わってから、今日でちょうど半年になった。
と、夜になってから気がついた。

今日は朝から忙しくて、
予約していたサロン(?)に行き「もう1年組みませんか」と食い下がられ、
年金事務所に行き、あっちこっちにお金を出し入れし、まちづくり●●に行き、食事をし、一週間食いつなぐための買い物をして、懇意にしていただいている仕事先にコージーコーナーのシュークリームを差し入れして帰ってきた。

帰ってきてふと、「ああ、ここにきてもう半年なんだな」と気がついた。
ひっこし前の住所からそこまで離れていない、のもあるのかもしれないが、
それでもだいぶここに馴染んだのかなと思い、すこしこころがほころんだ。

ひっこしを思い立ったのは9月、きめたのも9月だった。

リモートで仕事をするようになってからさらにひどくなった上の階の騒音(ちなみに上の階の住民の称号は「大家」という)に耐えかね、それでも結構軽い気持ちではあったのだが内覧をしてみてあらいいじゃないと思ってからは早かった。

なにせ前の部屋と比べて賃料は1,000えんしか変わらないのに部屋の面積は1.5倍になり、キッチンの収納が劇的に広がり、コンロが置けて、ベランダも押入れもついて猫が飼える、という破格の待遇(?)に、疲れた心は突き動かされて、わたしもう乗るしかない、このビッグウェーブに、みたいな感じで、そのまま流されるまま、流れていった、みたいな感じですか?(どんなだ)

いかにも昭和っぽい内装とカビ臭さの残る押入れ・下駄箱はマイナスポイントだったが、1,000えんちがいでこれだけちがうならいいじゃないか、と思えたし、いまも後悔はしていない(押入れのカビ臭さはその後愛と勇気でなんとか浄化。下駄箱はほんとにどうにもならなかったので管理会社と交渉し取替の算段をつけた)。

新型コロナも味方についたらしい。このコロナ禍で、部屋の内見も実際に現地に行くのではなくリモートでぜんぶ判断してしまうのだそうだ。そうなるとこのいかにも昭和な内装は…、まあ不利だわな。

カビ臭さとコロナに味方され(…)まんまと上階の騒音被害から逃げおおせて、いまはほんとうに静かな暮らしが送れている。

半年が経ち、つくづく思い至ったことがふたつある。

ひとつは、こころも、回復してはじめて、「ああ、こんなに疲れていたんだな」とわかるんだということ。からだのほうはよくマッサージを利用するのでわかっていたつもりだったのだけど、こころもそうだというのは初めて思い至った。マッサージを受けるとこころも軽くなるから、それで自分をごまかしていたんだなともおもう。いい意味でも、悪い意味でも。

実際、ひっこしてからもしばらくはささいな音がするたび動悸がしていた(静かすぎるから音は逆に目立つのだ。いまとなっては贅沢な怖さだなとも思う)。

2つ目、どうしたってわかり合えない人はいるのだ、ということ。

わたしにとって大家は最後は加害者以外のなにものでもなかったけど、それをなんども訴える私は「ものわかりのわるい店子」以上のなにものではなかったんだろうと思う。

そういうのは逃げるのがいちばんなんだ。勝ちも、負けもなく。

強いて言うならば、逃げおおせていまの静けさと平穏を勝ちとったほうが、「勝ち」なのだろう。

もっとはやくきがついていればと、思わないこともないけれど。

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