映画メモ

あの夏の輝きをいつも私は記憶しておきたい。

ある初夏の朝、私たちは珍しく銀座にいた。築地市場に繰り出してから、市場の活気で疲れた身体をどこかで休めようと街を彷徨っていた。朝の銀座はいつも、神秘的である。人がいるはずの街に、人の影がないというざわめき。朝日を煌々と浴びた古いビル。あの夏の太陽の美しさはなんと言うべきなのだろうか。あらゆるものの細部の細部まで、小さな粒子のスパンコールを乗せて、彩っていくような陽射し。立ち並ぶカラフルなスナックの看板。水打ちされたコンクリートからは昨夜の雑踏、宴の声がキラキラと笑いながら歌う。その上にひっそりと紫陽花が私たちに静かに微笑みかける。孫を見守る祖母。

静まり返っていても騒ぎが聴こえてくるような歳月をいくつも越えてきたビルの間を、美しい私の兄と、幼馴染のユリが駆け抜けていく。

すべて、1年ごとにこの夏の憂いをスノードームのようにして瓶の中に保存できたらいいのに。あのガラスの中で輝く様は、夏のそれによく似ている。細かいスパンコールの太陽が作りだす繊細な景色と、穏やかな空気、ざわめく生命の活力。しかし、私たちはそれを、決してそっくりそのまま残すことはできない、と知っている。例えば、写真。あの完璧なる美しい夏の朝を、私たちは写真へ残そうとはしない。それを、もう無駄なのを分かっているから。五感で感じたものと、自らの身体の内部で沸騰していく水の温度を、保存しておいておくことはできない。パリで買ったスノードームは割れてしまった。そして、わたしたちは日比谷の帝国ホテルに辿り着く。あの夏もそうだった。美しい人がわたしの手を引いて、太陽が照りつける道路を歩く。信じがたいくらいに幸福で。穏やかな日々。すぐ横に無防備に存在したその肩は、わたしを発狂させるほどに愛おしさに満ち溢れていた。自らの身体で対応しきれないほどの悦びのせいで重たい身体を保存しておくことはできない。残酷にも時間はひたすら過ぎていく。「花様年華」— 花が爛々と咲き乱れ、最も美しい時。人生の中で最も美しい時。わたしたちの時間たちは冷酷で、まるでなにも知らないかのように流れていく。だからわたしたちは、その「時」を窓の外へ写しながら、涙ぐむことしかできないのである。 /「花様年華」ウォンカーワイ

わたしはこの映画をみてから、わたしの日々はすっかり変わってしまった。触りたい。わたし、この人に触りたい。一体あの衝動は?欲情をする。彼の肌と言ったらもう、芳しくって、わたしは大きく息をすってそこらじゅうに豊満する匂いを鼻の穴からめいいっぱいに吸い込むことしかできない。わたしはあなたの話しを、その口の動きや、髪の毛の動き、眼球のうごき、その上で輝く長い睫毛( 男の人の睫毛は大抵美しい )、声のトーン、彼によって選ばれたその言葉の一つ一つをねっとりと味わう。いっぱいいっぱい。わたしの身体の血管という血管に、あなたが醸し出す分子で満帆になり、血はどんどんと濃密になっていく。愛おしい、アイシテル、スキ、アイタイ、ダキシメテ、キスをして。あいして。だきしめて。さわりたい。なめたい。食べたい。とけたい。とけてしまいたい。とけてしまいそう_________________________何度誰かに、何度他の男に抱かれてもどんどんと血を増していくように、血が、固まっていきそうに、タバコで、血管がつまるように、愛欲で、血管がつまってしまいそうだ。そして、いつか血管が破裂しそうだ。キライ、ウソツキ、カス、クズ、ロクデナシ、シネ、クソ、バカ、分からず屋、サディスト、変態め、人でなし、女たらし、タコ、おたんこなす、バカヤロー、大嫌い、消えてくれ、消えろ、私の私の私の_________________________________________恋は時を重ねるごとに愛へと変わるならまるで血のようなもの.つまっていくんだ。どんどんどんどん、血がまじり合う。B型とA型とか、違う血がまじり合うと血が固まって死んでいってしまう時のように、いつか血がギチギチに固まりあって、死に至る。愛は死に至るんだ。血と血だ。A型とB型だ。B型とO型だ。A型とO型だ。AB型とO型だ。AB型とA型だ。B型とAB型だ。溶けていくまじり合っていくまじり合っていくかたまっていくつまっていくはれつする。そしてわたしはその身体のずっしりとした満潮に、あなたのその肩にもたれかかることしかできない。それで精一杯。 / 「ヴァイブレータ」廣木隆一

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