観光と日常のこと


観光名所に行くとドッと疲れる理由が最近わかってきた。と言っても、まだ言葉にできるほど考えがまとまっていないのだけど…。
観光学は全くの門外漢なんですが、日本に帰ったら一回くらい本を読んでみようかな。

拙い言葉で書けば、あれは、「見せるもの(者)」と「見るもの(者)」の構図がはっきりしていて、日常と違って両者のポジションが変わらないからなんじゃないかと思っている。

見せる側の人は、見る側の人にエンターテイメントを提供しようとするし、そのために力を入れている(ざっと思い浮かべるに、管理・維持・補修、ガイドなど)。見る側はありがたくそれを受け取ってエンターテインして満足する。見せるものは見せる側が決める。
日常生活では誰しもが「見せる・見る(まなざし、まなざされる?)」存在になるけど、観光においては、見る側が見せる側になることはない。

もちろん、見せる側に悪気はないし、見る側の人もエンターテイメントを求めている限りは喜ぶので、これは全く悪いことではない。ただ、私は疲れると言うだけの話。
要は、何であれ意図があって用意されているものを見るのは、誰にとっても多少なりともパワーがいるってことです。私の場合は元々HPがめっちゃ低いし、もう日常生活で十分に楽しんで満足しているので、観光名所が提供しようとするエンターテイメントは過剰で疲れるということ。

そういえば、ハリドワールもデラドゥーンも、これなら自分が疲れないなっていう範囲でしか観光してない。ハリドワールなんてマンサデーヴィー寺院とガートしか行ってない。あとはチャイ飲んで街中うろうろしてガネーシャ祭りのパレードをにやにやしながら見てた。デラドゥーンなんて美味しいチベット料理があるって聞いて行っただけだし。そんなんデリーにもあるっつーの。
それにしてもまあ、あのデラドゥーンで食べたモモはすっごく美味しかったなあー。

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