わたしは浪花のパリジェンヌ~よう分からん調味料を捨てよ、町のごはん屋へ出よう~

外で食べるごはんが楽しくてしょうがない、と思い始めたのはいつ頃からかと考えると、やはり東京から大阪に引っ越してきてからだと思う。
 
東京にもおいしいお店はあるが、東京の食の美味さが粋さ・作法・知識などから成り立っているものだとしたら、大阪の店はただうまさだけがあるという感じ。
敷居が低くて、庶民的なのだ。
おしゃれじゃなくても、高いお金を出さなくても、おいしいものが食べられる。
いや、むしろそういう所こそが旨い。
庶民的なお店には、庶民が試行錯誤してきた歴史を感じる。
肩肘はらず気楽に入れる、なんやゴジャゴジャした店——そういうところに情緒を感じる。
 
織田作之助の『大阪発見』という随筆がある。そこにはこう書かれてある。
「大阪の人々の食意地の汚なさは、何ごとにも比しがたい。いまはともかく、以前は外出すれば、必ず何か食べてかえったものだ。」
食いしん坊なのは大阪の街全体の性質みたいだ。
街が人をつくる。わたしは大阪によって、もっと食いしん坊にさせられてしまった。
 
 
東京では何をしていたかと自炊ばっかりしていた。
結婚生活をしていたから節約のため、というのもあるし、服や化粧品などおしゃれにも多くのお金をかけていたから。
 
〇〇が食べたいナーと思うと、まずクックパッドをひらく。
わたしの住んでた高円寺は八百屋が安いし、和洋中インドにアジア、エスニックな調味料をそろえるのに事欠かなかったから、そんな暮らしに合っていた。
そして浮いたお金で古着屋さん(高円寺はコンビニより古着屋さんが多いのではないかしら!)で服を買い求めていた。
 
日々の楽しみにおしゃれをして、それ以外の食・住はできるだけ簡素に済ます、そんな生活はひょっとすると高円寺のもつ性質みたいなものだったのかもしれない。
そこでもまた、わたしは高円寺によって“高円寺のヒト”にならされていたのだ。
 
 
それから大阪にひとりで越してきたある日のこと。
バナナジュースを作ろうかと思った。
東京でブレンダーを買ったから、バナナジュースだって作れるようになっていた。
東京でバナナジュースをどうしても飲みたくなってブレンダーを買った。
なぜバナナジュースかというと、なんばのスパゲッティ屋さんを思い出したからである。
ここでは食後に店主のお爺さんが小ぶりのコップにいれたバナナジュースを出してくれる。
ガッガッと大きな音を立ててつくられるそのジュースは、ねっとりと泡立って、バナナの甘さが濃厚で、異様に旨いのである。
 
それがまた飲みたくて、大阪の部屋でバナナを撹拌しながら突然、
「何をしとんねん」
と思った。
いまや、簡単にお店に行けるではないか。
それをちょこまか材料揃えて、躍起になって何しとんねん。
東京で大阪のお店の真似事をするのは許されるけども、大阪で大阪のお店の真似事をするのは許されべからざることのように感じた。
古本屋さんで見つけていいなと思った本をAmazonで買う、みたいないやーな根性。
伝わるだろうか、このかんじ。
 
それからすぐ、お店に行った。
このご時世でもお店はしっかり続いていて感動したし、お客さんも多かったし、お爺さんはより小さくなっていたし、スパゲッティもバナナジュースも美味しかった。
そのすべてに、じーんとした。
 
そして思った。その街のゴハンを食べるってことは、大げさではなくその街に生きるということだなって。
 
 
それ以来、なにか凝ったものが食べたくなったらお店で食べてる。
おカネのかけ方も変わった。
最近は服よりもごはん代のほうが多い。そしてそれで幸せである。
美味しいものを食べて、お店の人とちょちょっと喋ること、それってなんて楽しいんだろう!
 
この前シャンソン歌手のひとのパリでの暮らしを書いたエッセイを読んでいたら、パリもまた食い意地の張った町だということが力説されていておもしろかった。
アパルトマン(マンション)に住む貧しい身なりのおじさんが自宅でひっそりフルコースのディナーを楽しむ様子や、お手伝いの若い女の子が何年も同じぼろぼろのコートを着ながらいいお肉屋さんでお肉を買ってたべる、という話。
なんだか、織田作之『大阪発見』に通じるものがあるではないか。
 
そうなると、いよいよ通天閣がエッフェル塔に思えてくる。千日前通りはシャンゼリゼ通りである。
同じような服を洗っては着て、あちこちのごはん屋さんで質素に豪遊する私はパリジェンヌそのものである。
 
わたしはしばらく大阪に暮らすだろう。
まだまだ行きたいお店、いっぱいあるんだ。

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