マイ・パンティ マイ・チョイス

突然ですが、どんなパンツを履いていますか?
 
なかなかデリケートな、話題である。
もっとも、中学や高校のころは友達のパンツの柄を知り尽くしていた。
わたしが通っていたのは制服のダサい女子校で、校則もきびしくメイクもだめ、好きに飾り立てることができるのは下着しかなかったわけである。

かわいい下着の日は、嬉しかった。
ジャンパースカートの横のファスナーをじりりと下して、
「これっ、これっ。新しく買ってんよ。おそろいやねん。どーお?」
なんて、見せあいっこするのが日常茶飯事だった。

「イヤーッ、〇ちゃんが紐ほどいてきたっ!」
紐パンを履いてくる子、紐をほどく子(紐というのは結ばれていると解きたくなるモノなので、しょうがない)。

「ちょっと…それなんて言うの?ベビードール?そんなん着てる子、初めて見たわ…」
昭和のビニ本のごとき透け透けのベビードールをブラウスの下につけてくる子。

「ウンナナクールのパンツはエロくないから彼氏に履くのやめてくれって言われてナー」
…この子はタバコを吸っているのがばれて途中退学になったっけ。
そしてそれを聞いて、処女なのにぎくっとしてる、ウンナナクールの下着をつけてる子(私である)。
 

とにかく、そうしていろんなパンツを見た。けど、あの花園はいまや遠くなってしまった。
もういまは会社なんかで
「あのう。教えていただきたいんですけど、どんなパンツ履いてますか?私はこれなんですけど…ちょっと見てください」なんて、できない。
 
ここで個人的な好みを申し上げると、学生のころに好きだったようなレースやアップリケのついたものは履かなくなってしまった。
これは痛みやすいし洗濯のときに気を遣うから、という実用的な理由からである。
学生時代、ぷりぷりぴらぴらしたそれらをこまめに洗って仕上げてくれた家族には、感謝しなくてはいけない。
さらに、どんどん自然素材が好きになってきたこともあって、ブラジャーとセットになっているパンツの、あのにせサテンと呼ぶべき<つるつる>感が気に障るようになってきてしまった。

映画『ロスト・イン・トランスレーション』を見たのは大学生の頃だっけ。
タイトルバックで大写しになるスカーレット・ヨハンソンのパンツいっちょのお尻!
スカーレット・ヨハンソンが履いていたのは、イヤラシクなくお尻のわれめがうっすら透ける、とてもそっけないパンツだった(きっとあれはほんもののサテンだろう)。
それと『人のセックスを笑うな』の永作博美のパンツもよかったなあ。
朝帰りして、きもちよさそうに煙草を吸いながら、一枚、一枚と服を脱いでゆく。
パンティの下にストッキング(!)という着け方が衝撃的であったが、その違和感がセクシャルだった。

それからというものシルクの無地のパンツをまねして履き、それひとすじでとおしてきた。私が買えたのは安物のシルクだけど、さすがシルク、履き心地はよかった。
 

私の大好きな女性に、鴨居羊子さんという方がいる。
戦後、女もののパンツといえば白いメリヤスのデカパンだけ、という時代に、ヨーロッパものの小ちゃい、小ちゃい、セクシーなナイロンのパンティ、鈴のついたスリップ、などを広めて下着ブームを興したひとで、ちなみに、大阪の女(ひと)である。
お店で見かけた、お給料と同じくらいするモノスゴク高価なピンク色のガーターベルトを
「それでも、ほしい」
と、買う。勤めに行くときなど、ひそかにつける。
そして、
「会社でおしっこをするときなど、そのガーターベルトが目に入るとうれしかった。まるでおしっこまでピンク色に染まるようだった」
なんて言っている、すてきな人である。
 
シルクのパンツは下すときも“にせサテン”とはちがう本物のつるつる感があって、愉しい。
わたしもスカーレット・ヨハンソンのような気持ちでおしっこをした。
 
そうしてシルクに落ち着くかと思えたのだが、最近冒険をしてみたのです。
人生初のボクサーパンツに!
 
そのボクサーパンツはなんてないGUのものだが、サーモンピンクにレモンの柄など入っていて可愛くてなんとなしに買ったもの。
ボクサーパンツという形状もいいではないか。
ちょっとNetflixのアメリカのティーン向けドラマに出てるボーイッシュな女の子みたいで。
そして履いてみると
「オホホ、ホホ・・・」
と笑っちゃってしまった。
 
なぜかというと、すごく、セクシーだったのだ。
三十すぎのほどよく<しんなり>した「女!女!」という軀に、いろけのないボクサーパンツの型は、ミスマッチでそれがかえって良かった。
ただ履いてるだけなのに活動的になれるみたい。
オトナの女がわんぱくなパンツを履いたって、よいのだ。
最も肌にちかい着物を自分で選びとってつける、よろこび。
それだけで自分の意志で自分の軀を操縦できているような、爽快な気分である。
 
そうだ。
自分の機長は自分しかいないのだ。
近頃のニュースで目にする「中絶禁止法」だとか「同意なき中絶は許されません」だとかには、ほとほと飽き飽きしてしまった。
女ひとりだけなら妊娠なんて、しないのに。
女が機長の機体にぶつかってくるのは、運転のへたな男の機体である。
「あ、ぶつかられちゃった…」と機長の女は焦る。
ぐらぐらと均衡が崩れた機体を、さまざまな方法を駆使して持ち直さなくちゃいけない。
そういう緊迫したときに
「あのう、ここのボタン押していいですか?・・・」なんて、無線で聞いてられるかい。
そんな悠長なことしてたら、あとは墜落するのみである。
女だって、操縦の仕方くらいわかるのだ。
「ウンナナクールのパンツはエロくないから履くな」とずうずうしく指図するような男がオトナになって“女機長”のじゃまをしているのではないかなあ。
 
なんだか話が大きくなってしまったが、すきなパンツを履くことと、自分で自分の体をコントロールすること、は地続きの話であるように思える。
女が気がねすることなく、気持ちよく空をはしゃぎ飛び回れるよう、あすの選挙にももちろん行くつもりである。

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