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月と六文銭・第十六章(22)

 武田は根本的な失陥を抱えていた。"好奇心が旺盛過ぎて"自分を危険な状況に陥れる関係にも平気で突入してしまうのだった。
 武田は銀座のホステス・喜美香きみかを見送った後、いよいよリュウ=劉少藩リウションファンと会うための準備に取り掛かった。まずは東京が一望できるレストランで遅めのランチから、彼女との"大人の関係"が始まることになっていた。

~充満激情~

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 武田は出発する喜美香を見送った後、携帯電話に届いたメールやラインのメッセージなどを確認し、シャワーに入って身支度を始めた。
 シャワーから出てきたところで、メッセージが一つ増えていた。今日の予定確認を兼ねたリュウからのメッセージだった。

刘:おはようございます♡
 今日はよろしくお願いします!
 このドレスで行きますね
 <写真>白と黄色のワンピース

 武田はリュウのワンピースを着ている写真が気に入ったので、それをそのまま携帯電話に保存した。

 恋人ののぞみに見つかったら、釈明の機会もないまま、修羅場に突入することが分かっているのに、ついつい保存してしまった。スーパーモデルの水着姿や美人女優のヌード写真は全く問題にならないのに、のぞみの知らない女性だった場合、100%の確かさでのぞみは沸騰するのだ。
 そう、のぞみは爆発しない。だから怖いのだ。爆発をしたのなら、武田は爆死して一巻の終わりだが、沸騰したのぞみに触れたら火傷、大火傷をする。一度だけ、のぞみは元ミス・イスラエルの写真を見たことがあり、沸騰した。そして、3か月ほどの冷戦状態が続いた。口もきかない、触れさせもしない、でも、側にいるという。
 それなのに、懲りずに、武田はリュウのワンピース姿の写真を携帯に保存したのだ。服を着ている、雑誌の宣伝用の写真と言ってもおかしくない、ごく普通の写真ではあったが。

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 本当は同僚・田口たぐち静香しずかのランジェリー姿を保存したかったのだが、田口とのぞみが知り合いとなった以上、それが見つかったら修復不可能な人間不信に陥ることが予想された。武田から田口が自分のカウンセラーだと紹介され、ご飯に何度か一緒に行った仲だった。
 しかし、自分が武田の恋人だと知っている田口がまさか自分よりも頻繁に自分の恋人とセックスをしていたなんて知ったら、気が狂ったように怒るだろう。

 メッセージに対する返信を送ったが、またすぐに返信があり、2往復ほどやり取りをした。

tt:楽しみにしています。
刘:私もです💛
 お部屋で着るものも持ちました!
tt:それでは、後ほど
刘:はい、レストランで!

 リュウと会うことで武田が後ろめたいと感じたのは、心配してくれている田口に内緒だということだった。リュウは台湾出身ということだったが、自分を狙っている中国人暗殺者集団・明華ミンファと無関係と言い切れないし、武田が自分自身を守れると言い切れなかった。
 自分のことを陰から守ってくれている田口に余計な負担を掛けるのは良くないと分かってはいるのに、誘惑と好奇心に負けてしまっていた。リュウよりもスタイルが良い女性の知り合いはいくらでもいたし、夜の相手ならば、田口よりも良い相手もなかなかいないのは分かっていた。
 それでもリュウとの逢瀬に気持ちが向かってしまうのは、知らない何かを知りたい探求心だったのか、抱ける女は取り敢えずみんな抱きたいというスケベ心か。それで死ぬような目に遭えば、目が覚めるかもしれないが、何もなければこのままいってしまうだろう。
 男とは愚かな生き物だ、と一括りにして自分を正当化していたが、いよいよ今日の午後、台湾最高学府出身の才媛を抱いて、その愚かさにまた一段と磨きがかかってしまうかもしれなかった。

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 武田は次の1時間半ほどの時間をホテルの最上階のレストランで飛行機の離発着を見ながら過ごした。モーニングを食べ、新聞に目を通し、他の客を少し眺めて、何か面白い話が聞こえてこないか、耳を澄ませていた。
 昔、有名歌手のユーミンがファミレスで周囲のテーブルの会話を聞きながら歌詞のネタを考えたという話があったが、武田も一人でレストランなどにいる時に投資のアイディアを練るのが好きだった。

 そんな時、スマホのCNNアプリに台湾海峡を航行する中国海軍の巡洋艦のニュースがポップアップした。ロシアが不凍港を求めて南下するのと同じように、中国は外海への出口を求めて台湾や沖縄を通過する意思があることは明らかだ。これはある特定の地域に住む民族の目標で、どんな国家を作ろうと不変の課題だと言えた。ロシアであろうとソヴェト連邦でも、清でも中華人民共和国でも出口を求めて拡張主義が政策化され、正当化されてきた。
 地政学という言葉が一般に知られるようになって、いろいろな書籍が書店に並ぶようになったが、提唱者のマハンやマッキンダーの書籍を読んだ人がどれくらいいるのだろうかと武田は首を傾げた。
 大学時代はむさぼるように読んだこうした本も、当時は一般的ではなく、誰に説明しても、ふーん、という反応が多かったが、今や若いビジネスパーソンや学生でも地政学という言葉を知っている時代が到来していた。

 武田は食後、一度部屋に戻り、再度シャワーを浴びた。体が温まったところで、床にタオルを広げ、田口に教わったストレッチを実行した。怪我防止と体の柔軟性の確保のために続けてみていたのだが、まだ効果を感じられなかった。長い時間を掛けて効果が出るものなのだろう。

 留学生のリュウは服をたくさん持っているわけではないだろう。今回のワンピース以外は武田が用意したと言ってもいいものだった。他人に着る物の水準や趣向を要求してきた。そして、これまではおかしな恰好などしたことはないと自覚していたが、果たしてこれまで通りでいいのだろうか?

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 そんなこと今まで考えたことがなかったのに、出掛ける段になってそんなことを考えるなんて、今までの女性と違う要素があるということか?
 パンツ、ハンカチ、靴下は女性下着で有名な日本メーカーのワコールの男性ラインの物で揃えていたし、シャツは英国トーマス・スフィンクス、スーツは英国ギーブズ・アンド・ボークス、ベルトと靴と財布は伊ヴィスコンティ、メガネは米トム・フォード、腕時計はスイスのローレックス・ミルガウスと恥ずかしくないレベルで揃えていたつもりだった。
 パンツなどはともかく、スーツや靴、腕時計はどれをとっても一定以上の見栄えがしているはずなので、一緒にいる女性が恥ずかしい思いをしていないと自負していた。

 武田は散策がてら久しぶりにアストン・マーティンのディーラーに向かうことにした。レースクィーンの板垣いたがき陽子ようこと行って以来だった。結局メルセデスのエンジンを積んだアストン・マーティンを購入することなく、陽子の大好きな500Eは知人の駐車場で静かに眠っていた。
 時には走らせないといけないとは思っているが、それなりに目立つ車なので、昼間の運転は控えていた。
 地図アプリで外苑前にあるディーラーの店舗までモノレールと地下鉄で1時間以内と出ていたので、いろいろ考えるにはちょうど良い時間に感じられた。ディーラーから青山一丁目駅経由で六本木のレストランまで地下鉄含め15分程度、ただし都心の一番深いところを走っているという大江戸線だったので、ホームまで降りていく時間の方が乗っている時間よりも長いだろう。
 外を歩いて天候を確認するにも都合が良いし、何か見つけたらリュウにお土産で買っておくのもいいだろう。

 そうだ、レセプショニストのシロタはどうしているだろう?元ミス・グローバル最終選考に残ったモデルだが、今はタレント活動とマナー講師がメインの仕事なはずだ。スレンダー美女でヒールを履くと180cmを超える背丈も魅力だった。しかし、ややキツイ顔付きとあまり胸が大きくないことを気にする男性陣が結構いた。そういえば彼女の写真SNSではマセラティの店舗にも週に一度か二度いるということだったから、今日はもしかしたらアストンにはいないかもしれなかった。

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