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月と六文銭・第二章(3)

 千堂せんどう綾乃あやのは、新潟市内のスナックでアルバイトする大学生・沙絵子さえこに扮し、武器横流しに関与してそうな二人に的を絞って捜査を展開…

~自動車ディーラー・酒井~


 沙絵子はまた地元の自動車ディーラー社長の酒井さかいただし田中たなかひろしのテーブルに呼ばれ、楽しく飲んで騒いだ。
 そろそろ上がる時間が近づいていた。ちょっと酔いが回っているのか、足元がふらついた。

「サエちゃん、大丈夫?」
「うん、酒井さんに送ってもらっちゃうから、だいじょうブイ」

 沙絵子は人差指と中指でピースサインを作りながらオヤジギャグを飛ばし、酒井にしなだれかかった。
 田中は自分の車で店の駐車場を出て、右に向かった。酒井の車は左に向かい、国立大学のキャンパスを通り過ぎ、学生や独身のサラリーマンやOLが住むワンルームマンションが多い地区まで来た。

「酒井さん、ありがとぉ。
 コーヒーなら出せるよ。
 送ってくれたお礼ネ」
「ありがとう。
 上がっていいのかな?」
「エッチなことはしないよ。
 ハハハ。
 それとストーカーしないでね。
 約束してくれたら上がっていいよ」

 酒井は頷いて車を降り、沙絵子のドアを開けた。沙絵子は酒井の腕に自分の腕を絡め、ゆっくり階段を上がった。玄関扉は管理人のいる昼間はそのまま開くのだが、夜間は管理人が不在か仮眠をしているので、住人は自分の鍵で扉を開けることになっていた。管理人室のカーテンが閉まっていたので、管理人室前を通ってエレベーターまで来た。

「何階?」
「13階だよぉ。
 あぁ、先にこのカードでタッチして」

 沙絵子は酒井にホテルのカードキーのようなものを渡した。酒井がそれをエレベーターの横の黒いタッチパネルにかざしたら、エレベーターの扉が開いた。
 エレベーターは階数ボタンを触ることなく、カードで決まっているのか、行き先は自動的に点灯して、その階しか行かないようになっているらしかった。
 管理人は夜いないし、入り口も廊下もエレベーター内も監視カメラがなくて、酒井は、なんだかんだ言って不用心、まぁ、学生用のワンルームマンションなんてこんなもんだろう、と思った。


 小奇麗な部屋。女子大生っぽさが随所に見られる部屋だった。酒井は低めのソファーに座って、沙絵子が淹れてくれたコーヒーを飲みながら、彼女が緩めの部屋着で動き回るのを眺めていた。特別大きいわけではないものの、形の良い胸が揺れているし、部屋着のズボンの下にショーツしか履いていないのか、尻を斜めに走る線、パンティー・ライン、が見えていた。
 沙絵子が隣に座ると酒井ににっこり微笑んで、彼の顔を引き寄せた。酒井は、沙絵子は甘い香りがするなぁ、と思って目を瞑った。まずは頬に軽くキスをされ、唇には厚くもなく、薄くもない唇の感触がした。

「ダメっ。
 ダメって言ったでしょ」

 沙絵子はちょっと甘ったるい声で拒否を伝えた。
 酒井はハッとして、沙絵子の左胸を掴んでいる自分の右手を引っ込め、立ち上がろうとした。沙絵子は怒っているわけではなかったから良かったが、いくら沙絵子が招いたとはいえ、ここで文字通り“女性に手を出した”なんて警察に言われたら、あちこちに支障が出るだろう。

「お、そろそろ帰ろうかな。
 コーヒー、ありがとう」
「あたしこそ、送ってくれて、ありがとん」

 少し慌てた様子で酒井は玄関に向かい、沙絵子は置きっぱなしの彼のカバンを持ってついて行った。玄関のコート掛けにあったカーディガンを羽織り、酒井と連れ立って、下へ降り、酒井が入り口を出た後、沙絵子は玄関内から手を振った。
 酒井は手を振りながら車に乗り込み、手ごたえのある胸だった、と鼻の下を伸ばしたまま、帰路に就いた。

 酒井の車が見えなくなってから、綾乃は管理人室の窓を開け、カーテンに顔を突っ込んで、中の管理人・太田おおたに向かって声を掛けた。

「太田さん、取れた?」
「あぁ、指紋もカーナビのデータも、ばっちり」


 綾乃は部屋の中の監視カメラの映像を確認していた。自分はピンクの部屋着に着替えて、ソファーの酒井の隣に座った。左手で彼の右手を自分の胸に導きながら、右手で顔を引き寄せ、キスする振りをした。右手の指輪に仕組んだ針で薬を首に注射して気を失わせ、上着から車の鍵を取り出して、ドアの外で待機していた太田に渡した。
 太田は玄関横に置いてあったカードキーも持って部屋を出た。管理人室でカードキーから指紋を採取し、車の鍵を利用して、車を開け、カーナビから運行データを取得した。
 綾乃はベッドルームでカバンの中のすべての鍵、書類をコピーした。携帯電話のSIMもコピーし、小型ノートPCのハードディスクもコピーした。

 監視映像には酒井の手に自分の手を重ね、胸を揉ませながら、頬にキスして彼を目覚めさせたところもしっかり映っていた。

「まずいまずい、口紅ついたまんまよ」

 口紅をぬぐう振りをしながら、首の注射の後を揉んで消した。
 慌てて靴を履き、玄関を出ようとする酒井はカバンをソファーの横に置いていたのを忘れていた。

「カバン、カバン!」

 沙絵子は玄関で酒井に追いつき、カバンを持って部屋を出るところまでが部屋の記録映像として残っていた。
 その後、一緒にエレベーターに乗り、ビルの入り口から酒井を見送った。


 綾乃は鈴木宛の報告を作成して、送信した後、シャワーを浴びて横になった。
 今回は簡単な案件かと思っていたが、この案件にはもう一つ秘密のベールがある可能性が急速に高まった。
 コピーした鍵に酒井のものではないタグの付いたものがあり、カギのメーカーは一緒で、見た目は本人名義の倉庫のものと同じだが、カギのパターンが違っていた。
 酒井の鍵には皆プラスチックのタグが付いていて、中に挟んだ紙に“東サービス工場”や“中央店”、“西店”と場所が分かるようになっていた。しかし、この鍵だけは元々からある金属のそっけないタグ“ヒガシ”が付いたままだった。

 件の鍵のタグは工業団地にある倉庫の場所を示していた。工業団地を分譲した時の区分けが刻印されていて、団地内の住所のようなものだが、綾乃は市役所で工業団地を分譲した時の募集要項と登録業者を調べた。この区分けは酒井名義でもなく、酒井の会社名義でもなく、市内の精肉卸売業者・肉のセイノの名前で登録されていることが分かった。

 綾乃はオートバイを飛ばし、実際の倉庫を見に行った。荷捌き所は南に向いており、日光が倉庫内中を照らさないよう全体が北向きになっていた。冷蔵施設らしく、ブーンというモーター音が中から聞こえた。これ以上覗いていると怪しまれるので、オートバイを引いて門を出た。
 来た道ではなく別の道に出るため、倉庫をぐるっと回った時、はっとした。酒井の倉庫が隣の区画にあったのだ。確かこの辺りに部品倉庫があることは知っていたが、背中合わせとは…。

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