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月と六文銭・第六章(5)

 鉄板焼きを楽しむ板垣いたがき陽子ようこは、武田のワインの知識にも感心した…

~陽子の疑問~


「個室ですが、東京タワーがご覧いただける方に致しました」
 フロア担当の男性は右奥に案内した。
「ありがとう、楽しみです」
 武田は軽く陽子の手を引いて案内に従った。

 東京タワーはきれいだった。お肉は塩コショウの加減がちょうどよくて、陽子は終始ニコニコしながら食べた。

 武田がワインの輸入業者だといったら信じただろうと思うほど詳しかったし、エピソードを面白おかしく話して、陽子を飽きさせなかった。陽子はイタリア産のワインをおいしく飲んだ。

「哲也さんは本当に詳しいんですね。パパの会社の一つがワインを輸入しているけど、哲也さんはバイヤーになれますよ」
「ありがとう」
 武田はスペイン産のノンアルコールエスプモーソを掲げた。後で運転があるからと武田がノンアルコールを選んだ点を陽子は好きだった。


 テーブルに裏返しに置いてあった武田の黒い携帯電話が振動した。
「ごめんなさい、出てもいいかな?」
 武田は陽子を見て、携帯電話を指差した。
「どうぞ」
 陽子はワインを口に運びながら答えた。
 武田は、はい、武田です、と答えながら個室を出て行った。
 しかし、扉が閉まるや否やすぐに戻ってきた。
「大丈夫ですか?必要なら時間をかけてください」
 陽子は気を使って言った。

「忘れ物をしたので、部屋に届けてもらいました」
「あ、そうですか」
 陽子は反応したものの、どこで何を武田が忘れたのか、実はよく分からなかったのだ。

「陽子さんはモデル以外でやってみたいお仕事はありますか?」
「雑貨のブティックかバイヤーみたいなことができたらいいなと、漠然とですが。
 ワインはもっともっと勉強が必要ですし、アパレルは流行り廃りが激しいから難しいし、ブランドのセレクトショップはネットにいくらでもあるし」
「ワインは長くできるし、いくらでも開拓できると思いますよ。旅好きなら産地に直接行って交渉も出来ますし」
「言葉が出来ないとキツイですよね?」
「できるに越したことはないですが、その言語に精通していなくても、必要な専門用語を理解できれば充分だと思います」
「そうかもしれませんね」
 陽子は何となく納得できるような気がした。


「ところで、哲也さんはどこで英語を勉強したのですか?駐車場で英語で話しているのを見かけて。英語だったと思いますが」
「大学の時、1年だけアメリカに交換留学に行ったことがあります」
「1年だけであんなにしゃべれるようになるんですか?」
「必死ならね。
 昔の部下が今中国にいますが、若い頃1年間台湾で中国語を勉強しただけです。現地の人に聞いたら、とても上手らしいです」
「そんなことで語学ってできるようになるんですかね…」
「必死ならね」
 武田はもう一度言って笑った。

「じゃあ、運転は?アタシはプロドライバーの横に乗る機会は何度もあったけど、哲也さんはアクセルもブレーキングもステアリングもほとんど同じレベルです。ポルシェって簡単な車じゃないのに」
「ジョン・ラムズ・レーシング・スクールというところがあって、レースカードライバーの学校なんですけど、車が好きだったから、留学中に3か月ほど教習所みたいに週一で通いました」
「何か聞いたことあるわ。西海岸にあるところですか?」
「そう、カリフォルニアにあります。アメリカのレース界では、かなり有名なドライバーがあの学校出身です」
 陽子は納得したようだった。

 実際に武田は3週間、毎日ジョン・ラムズに行かせてもらった。日曜以外は毎日朝から晩まで走り込んだ。午前中の座学と午後の走り込み。金髪のキレイな女性教官がいれば『トップ・ガン』の世界だったかもしれないが、怖いおっさんしかいなかったのが、実態だった。


「買っていただいたドレス、見てもらいたいのですが…」と陽子は言って、部屋に行きたいとの意思表示をした。
「陽子さんはここで待っててください。鍵をもらってきます」

 今時どこのホテルもカードキーなのに、鍵だなんて、と思ったが、この武田という男、古風なのか、何となく世の中について行っていないのか、不思議なところが見え隠れした。

「お待たせしました」
 武田に声を掛けられて、陽子はドキッとしてしまった。携帯電話に溜まっていたメッセージに返信をしていたのだが、武田が戻ってきたことに気がつかず、失礼だったと恥じた。

「ごめんなさい。メッセージが来てたから返事をしちゃおうと思って」
 陽子は言い訳をした。
「いいですよ、待ちます。まだ時間が早いので、急がなくてもいいですよ」
 武田は言って、席に座り直した。

 陽子は返信を2つ送り、SNSの返事を1つして、携帯電話をハンドバッグにしまった。
「忘れ物もきちんと届いているとのことでした」
 武田は言って微笑んだ。

 もしかして、アタシがどこかで忘れ物をして、自分では思い出せないのかと陽子はちょっと不安になり、目線を下げてハンドバッグを覗いた。


 食事を終え、ワインで少し体が温まっていた陽子は、武田の腕に自分の腕を絡め、エレベーターへとついて行った。最上階のレストランから数階下のフロアに部屋を取ったようだった。

 2人を乗せたエレベーターは26階で停まり、2人は降りて、武田が予約した部屋へと左方向に進んだ。

 スィートではなく、セミスィート、ベッドルームと部屋がもう一つという構成で、テーブルの上に袋が2つと花束が置いてあった。小さなカードが花の間に隠れていたのを陽子が見つけ、開けて見た。

 カードの表には『HAPPY BIRTHDAY💛』を印刷されていたが、裏は手書きで『陽子さんへ TTより』と書かれていた。

 そう、明後日はアタシの誕生日!と陽子は顔がパッと明るくなり、自然と笑みがこぼれた。

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