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月と六文銭・第十四章(38)

 厚労省での新薬承認を巡る不思議な事件に関する田口たぐち静香しずかの話は続いていた。
 彼女のカバー・高島たかしまみやこはターゲットであるネイサン・ウェインスタインの部屋から無事生還したが、初めての事態に今後の作戦立案に苦慮していた。チームメイトとも本部とも入念に対策を練らねば…。

~ファラデーの揺り籠~(38)

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 このミッションで、私は性的に支配されたが、アバンチュールを求める人妻だと思われている限り、命は狙われないはずだ。最悪の場合、ある程度の期間、弄ばれるだろうけど、覚せい剤と性病と妊娠さえ気をつければ、私は気にしないし、作戦に影響はない。
 政治家や役人のように直接の利害関係はないから、殺されることもないだろう。殺人で当局にマークされたら入出国が難しくなる。バーテンダーほか複数の証人がいるから、私が死んでいるのが見つかったら、彼は間違いなく警察に疑われる。そんな状況で人を殺したりはしないだろう。
 しかし、彼を追跡している工作員だと分かったら、全力で私の排除に動く可能性がある。国会議員や中央官庁の課長補佐のように脳溢血で亡くなったり、あの女性議員秘書のようにビルから飛び降りることになったりしたら、迷宮入りだろう。
 とにかく、用心が必要だ。となると明日の夜はキャンセルした方がいい。当然だ。ただ、それでウェインスタインに疑われても困るし、私のこの部屋に来られても困る。素知らぬ顔をしてもう一度逢瀬を重ね、確証を得たい。それからスナイパーを投入しても遅くない。ウェインスタインとオイダンは土曜夕方の便でNYに戻る予定だ。根本的解決が必要と判断されてからもまだ実行に移す時間がある。
 まずは本部の分析と指示を待とう。その間、また昼間はナース、夜はビジネスウーマンと欲求不満の人妻を演じる。あと2日間で調査は終わり、必要な行動を取れるだろう。
 いや、それまでに完全にウェインスタインの謎が解けるかは分からないが、とにかく情報は集めた。体を張って、彼の秘密に一歩近づけたと思う。

 電話が鳴った。デイヴィッドからだった。今切ったばかりなのに、どうしたのだろう?
「シー、ごめん、明日の午前中、電磁波検出器が届く」
 チームメイトのディヴィッドはシズカを略してシーと呼んでいた。
「ちょっと気になってたからR&Dから送るよう頼んでおいた」
 R&Dは本部の研究開発部門で、科学的な分析はもちろん、作戦に必要な装備を製作したり、準備したりしていた。
「届いたらこっちのPCとオンラインになるよう設定して渡す。自分の部屋でするなら枕のそばとかベッドの下に、あいつの部屋ならハンドバッグに入れて、ベッドのそばにそれを置いたら測定できる。リアルタイムでデータがこっちに届くようにしておくから」
「ありがとう。来たら取りに行く」
「おう、じゃあ明日な」

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***現在***
「私の電磁波説は全く荒唐無稽ではない感じだったけど、人が考えただけで他人をコントロールできるなんてオカルトですよね?」
 田口は武田の同意を求め、彼が頷いたので安心して続けた。
「他人から聞いただけだったら、私だって初めは信じないけど、実際にコントロールされたのだから、何かを信じないと怖くて」
「全部は信じられないけど、60年代にCIAがマインドコントロールを真面目に研究していた記録があるからね、荒唐無稽とは言い切れないですね」
「そうなんですよ。対ソ連のためとはいえ、会社CIAは本当にいろいろなことをやっていて…。
 その晩はストレッチを長めにして、ヒップアップにつながる運動をした後、いい枕といいベッドで充分休息を取り、翌日はすっきり目が覚めました」

***再び回想へ***
「高島さん、服部さんが来ています」
「はーい、5番にお願いします」
 だいぶ落ち着きを取り戻していた服部が既に5番のブースに座って待っていた。
 高島都もびっくりしていたが、服部は毎晩パートナーとセックスをしていたのだ。それはスマートウォッチから飛んでくるデータで分かっていた。それが彼女の精神安定に貢献するなら、いいことだ。
 ミッションに関係のない部分での都の本音は「毎日してくれるパートナーがいるのは羨ましい」というものだった。
 服部からの情報では、今日午後2時にオイダンとウェインスタインが実証開始許可通知を受け取りに来るというのだ。それにより、パイザーの新肝臓強化薬の実証実験を日本で始められることになる。しかも、短縮された試験期間と削減されたサンプル数でよいという条件付きで。
 厚労省の審査過程を経て出された結論に口を出すつもりはないが、判断に別の方向から圧力を受けていたのであれば正当な判断とは言えないし、日本だけでなく、どこに行っても同じことが行われる可能性があるわけだ。

「ヴィッド、電磁波測定器、届いた?」
「ああ、午前中に届いて、もう調整してある。いつでも取りに来て」
「ごめん、20分後にホテルのロビーで受取ってもいいかしら?」
「おう、了解!」

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 デイヴィッドから電磁波測定器を受け取った都はその場で使い方の説明を受け、通信機能がオンになっていることを確認して、大き目のハンドバッグの底、化粧道具の下に入れた。

 そのまま地下鉄で厚労省に戻り、仕事を早めに切り上げて、霞が関から虎ノ門まで歩き、組織の連絡係とカフェで会った。
「いいのだな、起動して?今回は君の推奨通りAを起動するつもりだ。一度起動したら、Aの場合、アサインメントを必ずやり遂げる。少し判断が早くないか?」
 Aはこの場合アルテミスを指し、武田哲也のコードネームだ。
「報告した通り、脅威であることは確かです」
「我々のために働くよう転向させるとか、君がハンドラーとなるとか、生かして使う方法を探るのは難しいか?」
 ハンドラーというのは工作員などをコントロール、管理・監督、管轄する人という意味だ。
「それには時間が足りません。あと2日で彼をコントロール下に置くのは難しいと思います」
「事務局としては、一度Aと契約をしたら、止めることも、延期も、解約も難しいので、慎重に進めたいと考えている」
「Aに無理をさせるのは得策ではないですよね?確実に契約を完了してもらうには、情報を揃え、準備期間が必要だと認識をしていますが」
「ああ、彼は準備を入念に行う。必ず一発で仕留めるためにすべての要素を考慮して完璧な狙撃を実行する。付焼刃的な仕事はしない」
「分かっています。ドスィエを読みました」
「ならば、今回はターゲットを一旦帰国させて、次に来日した時に無効化を実行するというのはどうだ?それまでに我々の分析も終わっているだろうし、Aにも準備時間を提供できる」

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