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月と六文銭・第十八章(14)

 竜攘虎搏リュウジョウコハク:竜が払い(攘)、虎が殴る(搏)ということで、竜と虎が激しい戦いをすること。強大な力量を持ち、実力が伯仲する二人を示す文言として竜虎に喩えられ、力量が互角の者同士が激しい戦いを繰り広げることを竜攘虎搏と表現する。

 武田に指名の仕事が舞い込んだ。今回の中国人工作員に狙われる原因となっている英国からの案件で一見簡単そうな案件ではあったが、武田には武田の考えがあって、新しく使ってみようと思っている狙撃銃のテストケースになるかどうか思案していた。

~竜攘虎搏~

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 イワダン、正式にはIWI DAN .338という。イスラエル・ウェポン・インダストリーズ(IWI)が製造するボルトアクション方式「DAN」シリーズ狙撃銃の最新版で長距離狙撃及び対物狙撃用途を想定しているため、強力な.338ラプア・マグナム弾が発射できる。武田が求める高い初速の弾丸に対応した設計の銃である。設計上の発射初速は音速の2.6倍で、音がする前にターゲットに当たっているケースがほとんどだ。
 そして、分解組み立てが楽。さすが砂漠の国での使用を想定した銃で、持ち運びがしやすいし、意外と砂などが入り込まない。分解してサポートスタッフが別々に持ち込み、持ち出せば普通の人の目にはメンテナンス用の工具の一部にしか見えないだろう。実際にメンテナンス工具に組み込んで搬送する予定だ。
 問題はバレルだ。50cm近い「鉄の筒」を持ち歩くのは目立つこと間違いなし。これもサポートスタッフの工具や道具に紛れ込ませて持ち込むことが可能だが、万一落としたりして、精度が狂ったら困るから、やはりこれだけは自分で持ち込んだ方がいいだろう。杖に仕込んで持ち込むにはちょうど良い長さだが、この年齢で杖をついて女子高の授業に行くのはちょっと…。

 武田がいろいろ考えていた時、スマートウォッチが振動して、"業務用"ノートPCにメールが届いたことを知らせてくれた。

ピローン♪(メールが届く音)

 組織から支給されているブラックベリーのアラート音が鳴った。

<個別案件の売り込みか?>

 仕事の依頼は"今週の新商品・新サービス紹介"というメールの形で届くのが週一回、日本の土曜、午前3時だ。
 しかし、このメールはその定期通信とは別に来ている。つまり"個別売込案件"だ。
 武田はあまり個別売込みが好きではなかった。個別案件は早い者勝ちではなく、指名入札と言えるもので、難易度の高い事案をこなせる契約社員に的を絞って送られてくる売込みであることから、自分の実績が評価されていることを意味した。
 しかも、難易度の高い案件であることも多く、定期案内で送られてくる案件よりも単価が高いのも良い点と言えた。問題はこちら側に内容や難易度を精査する時間がない点だ。
 難易度が高いのではなく、不可能に近いものもあった。銃の選択、弾丸の選択、狙撃エリアの特定・設定、政治的背景の調査・確認を全部済ませるには時間がギリギリだったり、足りなかったりで、失敗した場合の影響までをきちんと考慮したい武田には引き受けたくない案件も混ざっていた。
 武田は失敗したことがない。百パーセントの成功率を誇っていたが、それでも失敗した場合の逃走ルートやアリバイなどはきちんと用意しておくのがプロフェッショナルとしては絶対必要な準備だった。

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 さて、今回の個別売込案件は、サポート業務だった。

<依頼>
 白い壁に掛ける宗教画を探している英国人がいる。彼が中国人富豪から英国画家の絵を買い取る際に同席してほしい。立ち会は2時間で1万円、物品を運ぶ手伝いをしたら+3万円の手数料が出る、とのオファーだった。

<自分の場合、スナイパーとして、取引がスムーズにいくよう、やや離れたところから英国人を見守り、取引が上手くいかなそうな時は英国人の脱出を援護射撃するのか?普通に喫茶店で引き渡しが不可能な物品を取引するということだろう>

 今回は指名入札なので、詳細を開示するなら、引き受けると返信してみよう。弾丸を撃たなかった場合の手数料が一万ドル、"英国人"が逃走する必要が生じ、弾丸を射出して援護した場合はそれに加えて三万ドルの手数料を払うことだけは分かっていた。
 多分"英国人"とは昔香港の案件を引き受けた時と同様、英国秘密情報部、通称MI6シックスのことだろう。
 まずは聞いてみよう。

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To:OTTO
From:Arthur Emis
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Hi Otto,

I will accept your offer, once I see details.
Please send details ASAP.

Art
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 武田が購入メールを送る際に使用する名前はアーサー・イーミスだった。アート(Art)はアーサーの省略形、愛称みたいなものだ。
 これは彼のコードネーム"アルテミス"をもじった名前だ。アルテミスは、ギリシア神話に登場する狩猟・貞潔の女神で、双子の弟がアポロ計画の名の由来であるアポロンだった。アポロンがヘリオスと同一視され、太陽神とされたように、後にセレーネと同一視されたアルテミスは"月の女神"とされた。月に並々ならぬこだわりのある武田が選んだコードネームだった。

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 数分して、再びスマートウォッチが振動した。これはメールが届いたことを知らせる振動で、武田は"業務用"ノートPCを開けてメールを確認した。

 MI6の工作員が来週入港するHMSアルビオンに乗組員として乗船していて、東京で中国人スパイから中国の艦隊配備計画書を入手する予定だというのだ。当然中国政府はそれを防ぐため、その英国人スパイと"裏切り者"の二人を始末するつもりだということが判明したため、同盟国のスパイを無事に取引させた上、取引会場から脱出できるよう援護するのが武田の役割だ。
 この案件の難しさは取引場所次第だ。映画のようにコンテナが積み上げられている港湾地区という訳にはいかず、ホテルのラウンジやレストランとなる可能性が高かった。そこからMI6のスパイが逃走するのを援護することになりそうだった。
 どこかのビルの上からスパイがアルビオンに戻る際の乗用車を援護することもあるが、どちらかというと彼/彼女を狙う中国人工作員を妨害することか取り除くことが主任務となるだろう。

 まずは英国秘密情報部と情報交換をして、誰がどこに来て、どんな取引をするのか早急に確認する必要があるため、本部OTTOに"英国からの友人"を紹介するよう依頼した。

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To:OTTO
From:Arthur Emis
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Hi Otto,

Please introduce me your friend from UK.

Art
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 本部からは意外な返答があった。明日、MI6の職員が武田のオフィスに来るというのだ。
 武田のオフィスで会うというのは実は意外な盲点だった。武田の所属するAGI投信は霞が関にある大型ビルに入居していた。金融系の会社、メーカーの本社・本部などが数多く入居していたので、外国人はいくらでも出入りしていたし、3階までは飲食店が入居していて、会食の機会も多かった。

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 まず武田が英国大使館の駐在経済分析官、実はMI6職員、と事前打合せを行い、取引場所や援護の仕方を調整する。その後、晴海に入港するアルビオンに乗船しているMI6工作員をサポートするための準備を行う。

 今回工作員が搭乗している揚陸艦HMSアルビオンの艦名「アルビオン」は英国の旧名或いは異名、日本で言えば「大和」に該当する言葉、は元々ドーヴァー海峡から見たブリテン島の"白い壁"から来ている。美白の化粧品名にもなっていることで、男性よりも女性の方が良く耳にする単語だった。

 武田は英国大使館に電話を架け、エミリー・ウォードシャイヤ分析官と話して、メールアドレスを教わり、通門用のQRを発行して、送った。ウォードシャイヤがそのQRを通門ゲートにかざして通過し、オフィスのある33階へとエレベーターで上がって来るという手筈だ。
 ところがここで武田は悩んだ。英国人の習慣として、下まで、つまり地階まで迎えに行かないと失礼ではないかと気が付いたのだ。一緒にいるところを見られてしまうのは仕方がないが、出来れば最低限、時間にして最短にとどめたいので、一緒にいるのを見られるのは会社の受付でだけにしたかったのだ。
 ウォードシャイヤが武田のことを失礼な奴と思っても自分の安全を考えたらどうでもいいことなので、一旦割り切って33階まで上がってきてもらうことにした。同じ業界の人間なら理由は分かると思うが、一応会議室に入ったら理由を説明するつもりだった。理由が分からないとしたら、素人か、デスクジョッキーと思うことにした。

 翌日、エミリー・ウォードシャイヤ経済分析官が武田を訪問した。品の良い英国淑女で高い教養と学歴を感じさせた。フィールドワークつまり現場仕事をするタイプには見えなかったが、デスクジョッキーではなさそうだったのが幸いだ。

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