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月と六文銭・第十八章(07)

 竜攘虎搏りゅうじょうこはく>:竜が払い(攘)、虎が殴る(搏)ということで、竜と虎が激しい戦いをすること。強大な力量を持ち、実力が伯仲する二人を示す文言として竜虎に喩えられ、力量が互角の者同士が激しい戦いを繰り広げることを竜攘虎搏と表現する。

 パリ出張の件で武田のオフィスに来た総務経理の松沼まつぬま和香子わかこから、経理課長・桐生きりゅうとの不倫が実はパパ活だったとの説明を武田は受けた。
 誰とどうしようとそれは個人の勝手とのスタンスから武田は驚かなかったが、松沼には松沼なりの理由があった。

~竜攘虎搏~

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 松沼は機嫌よく、パリ出張の手配を進めますと笑顔で言い残して武田の部屋を出て行った。
 武田は、やはりきちんと口に出して"線引き"をした方が良かったと松沼が部屋を出たいった瞬間、後悔した。
 甘いのよ、哲也さんは!という田口の叱責が背後から聞こえた気がした。

 六本木のホテルでのぞみと見つけた松沼のパパ活現場だったが、今度は武田が松沼と個別に会っていたなどということになり、それがのぞみに知られたら、刃傷沙汰に発展するだろう。
 松沼にも言ったが、社内の人、身近な人、取引先などとのお付き合いは十分以上に注意しないといけないのだ。その場合、自分も例外ではないはずだ。
 松沼との会話での収穫は、彼女が人事部に連絡したのがのぞみだったことを知らないことだ。今後もないとは思うものの、のぞみに対して個人的な恨みを晴らすなんてことになったら面倒だ。
 幸い、松沼も桐生とのことにはもう拘っていないようで、気持ちは沈静化したとみてよかった。
 あとは木乃伊ミイラ取り云々だ。田口なら「のぞみさんに刺されますよ、と注意しましたよね?」と冷笑されるだろう。
 のぞみのことだから刺すことはあっても、自分の男根を切り落とすという究極の復讐行為に出ることはないだろうけど、逆上した女性は何をやるか分からないということを肝に銘じておかないと善後策も練れない。

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ブルッブルッ

 携帯電話が震えてショートメッセージが入ったことを知らせた。発信元は知らない番号だったが、メッセージは「松沼です。」で始まっていたので、自分の携帯電話番号を社員録か何かから調べて送ってきたと思われた。

 昨今はコンプライアンス上、人事部員と言えども、むやみに社員の個人情報を閲覧してはいけないことになっているのだから、人事部員以外の社員が閲覧することなどは、もってのほかだ。
 一瞬、この会社の人事部はどうなっているんだと怒りが湧いたものの、もしかしたら、別のルートから知った可能性もないではないので、人事部に照会するのをやめた。自分の行動は間違ってはいないと思いつつ、"うるさい人"と思われているのはこうした点を放置しないからだ。
 どうやって知ったのかは後で松沼に聞けばいい話で、やんわり彼女を注意すればいいだろう。それで嫌われても武田は全く構わないと思っていた。

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松沼です。こちらで失礼します。浜松町、総務の女性陣でご一緒したいです。一応4人テーブルを考えて、蓮見はすみさん、大滝おおたきさんの二人に声を掛けるつもりです。良かったらプライベートなメールアドレスかラインを教えていただけますか?

0x0y7201969
松沼さん、私のラインIDはttxx19690720xxです。今後はそちらでお願いします。

 送信ボタンを押した直後、またしても武田は後悔していた。ラインのIDを送って、松沼からのメッセージの着信通知が携帯電話の画面に表示されているのをのぞみが見たらどう思うだろうか、と気が付いたからだ。
 それでなくともリュウからのメッセージには「誰?」と反応するだろうに、知っている人、しかもホテルの窓辺でエッチしているのを一緒に目撃していた女性からの個別通信だったら「どうして哲也さんの電話番号を知っているの?」と心中穏やかではなくなるだろう。
 どうも今日は判断が甘い。いや、非常に甘い。このままいくと本当にのぞみか中国人暗殺集団・明華ミンファのどちらかに刺されるかもしれない。
 気を引き締めないといけない、と武田は本気で思っていたものの、実際に初めて手痛い経験をすることになる相手は、このどちらでもなかったが…。

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 その日の仕事をほぼ終了し、業務用PCの電源を落として、ディスプレイの電源も切ったところで、電話が鳴った。
 今は表示に架けた人の登録名が出るので、誰からの電話かはすぐに分かる。昔のように、おっかなびっくりして電話に出ることはなくなっていた。
 ただ、表示に「田口静香」と出ていたので、いきなり要件から切り込まれるだろうなとの思いから、武田は緊張しながら電話に出た。

「もしもし!
 パパ活は会社の同僚もやめた方がいいですよ。
 絶対、刺されますよ、のぞみさんに!
 あ、田口です、こんばんは」
「こんばんは。
 どうしたのですか?」
「六本木のパパ活譲、同僚だったのですね。
 お給料が決して低くないのに、どうしてなんですかね?
 性欲が強いとか、満たされない感情、承認欲求みたいなものがあるとか?」
「両方みたいですね。
 というか、どうして知っているのですか?」
「のぞみさんが、私に相談してきたので、アドバイスをしました。
 その女性といろいろ話をされたのですか?」
「話す機会がありました」
「先ほども言ったとおり、やめてくださいね、そのOLとパパ活。
 いや、パパ活でなくても、絶対関係を持たないでくださいね。
 のぞみさんもいるのですから、社内で他の女性とのいかなる接触も裏切り行為だと思われて、のぞみさんとのこと、こじれますよ。
 後悔しないよう、気を付けてください」
「はい、気をつけます。
 ところで、肝心のご要件は?」

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「そうそう、ソードフィッシュにヒレが付きました。
 2週間以内に最初の一撃がありそうです」
「その場合、ソードフィッシュはどうなるのですか?」
「哲也さんが用意した車両が想定通りの安全水準を確保しているなら、直撃でない限り、怪我程度で済むと思います」
「2週間程度?」
「そうでしょうね」
「絶対こちらに都合の良い時期とはならないでしょうね?」
「どうでしょう?
 ソードフィッシュが上手くあちこちに顔を出して、自分の方に明華を引きつけてくれて、しばらく振り回してくれれば時間は稼げるのですが、何せ一般人ですので、大金を持たされても、使い方を知らないのですよ。
 哲也さんの水準で生活するのも中々キツイみたいです。
 お金というのは、あったらあったで、賢い使い方ができない人なら、苦痛でしかないのでしょうね。
 私が一緒に出掛けて、使い方を教えた方がいいかな、と思っています」
「それは必要かもしれませんね。
 使う場所、使う額、使う相手が間違っていると滑稽ですし、無駄なお金になってしまいますので」
「見ていて、ハラハラしてしまうのはそういうことですね?」
「多分。
 自分でいうのもなんですが、意外と無駄遣いはしないんですよ。
 適材適所というとカッコつけすぎですが…」
「いいえ、ソードフィッシュを見ていますと、その通りだなと感じます。
 今のところ、パリ出張を延期も延長もできないようですので、タイミングが合わないとキツイですね」
「僕がいない時期に彼が襲撃されて、完治しない内に僕がパリから戻ったら、すべてがバレちゃいますよね?」
「それを一番懸念しています。
 いずれにしても、私は日本に残ってソードフィッシュを監視・監督する必要があります。
 哲也さんが希望されるなら、パリで夜の相手をしてくれる女性を手配します」
「え?そんな女性がいるのですか?」
「ハニトラ専門の工作員ですが、評価が高いので満足できると思いますよ」

 ハニトラはハニー・トラップの略で、女性工作員が色仕掛けで男性ターゲットから情報を入手したり、こちらに味方するよう罠に嵌めたり、脅迫したりする行為だ。

「いやいや、夜の相手まで手配しなくても」
「金髪か紅毛碧眼でスタイル抜群、スーパーモデルにも引けを取らない子もいますよ。髪の色がどちらでもないプラチナ・ブロンドの中欧人・パウリナ・コワルスキーを考えています。
 少なくとも組織の人間が一緒なら、襲撃への備えにもなりますから」
「それはそうですが」
「時差もあり、パリですし、夜の相手が欲しくなることはないって言い切れますか?」
「うう」
「ほら!
 私がいなかったらパリ在住のモデルを呼ぼうと思っていたとか?」
「それはないですが」
「あら、それはそれで寂しいですね。
 やはり、手配しておきます。
 ぜひ夜も楽しんでください」
「え」
「私だと思わないで、そして、私のことは気にしないで、ダイナミックなセックスを楽しんでくださいね!」
「ちょっ」
 ツーツーツー

 いつものように、一方的に電話を切られた。

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