生きているということは約束ができるということ①


大切な人を7日間の間に2人亡くしたこと、ありますか?

わたしはあります

生まれ育った田舎の土地から新幹線で2時間半強かかる都会で、劇的な恋愛を経て結婚した夫と2人で気楽に、それは気楽に、日々ある苦悩など目に見えるものとして扱われることなく気楽に生きておりまして、いつか起きる訃報や家族の困り事にはうまく対応できないこともあるのかもな、と思いながら生きてきましたが


それはほんとに起きました、1番いなくなってほしくなかった祖父が死にました

それは、職場のお盆休みがはじまる前日のことでした。その日の夜に新幹線にのって実家に帰り、次の日の午前中に祖父の入院する病院に行く予定を立てていました。

けれど、祖父はそれを待ってはくれませんでした。わたしが会いに行く前日の早朝、容体は急変し、祖母と娘である母と、父に見守られながら短く苦しんで、死んでしまいました

祖父が死んだ時間、わたしは職場でまあいつでも誰でもできる仕事をしながら、同僚としゃべりながら、ああ今日新幹線お盆だから混んでるかな、乗る前に台湾ラーメン食べようかな、でも臭いよな絶対横の人、台湾ラーメンにビールは必須だけど絶対眠くなるな、いや臭いよなー。などと適当な、本当に適当な

わたしの当たり前の日常を当たり前のように過ごしながら、よく聞く「虫の知らせ」などは全く感じることもなく、あっついなー福岡もあついんだろうなー実家あついんだよなー新幹線窓ぎわの席熱中症なりがちなんだよなー
などと

そうして大事な大事な大切なはずの祖父の命をうしないました
気づいたら永遠に失っていました、気づかないうちに、わたしの見えないところで、

職場がケータイを扱えない決まりを設けているせいで、わたしがそれを知ったのはお昼休みのことでした。
その日、胃の調子が悪く、コンビニで買えうる限りの1番胃にマシそうな食事を物色して物色して妥協して、やっと親からのラインを開き、精一杯無機質でいようとする親からの訃報を目にして

今すぐに駆けつけたいのにそれは叶わない、駆けつけたところでもう間に合わない、もう遅い、もう遅い、もう、とっくに遅い


自分の意思でこの土地に来ました
それはもう、絶対に

だけど
その代わりに無くすもの、失くすもの、なくしてもしょうがないとされるもの、その重みについて、悲しみについて、ほんとうに、わたしはなにもわかっていなかったです、ごめんなさい

ごめんね、ごめんね、ごめんなさい、それしか出てこなかった。
棺に収められた綺麗な祖父は、知らない人でした、知らないように整えられて、腐敗しないように施されて、もうなんの苦しみもない代わりになんの感情も持っていなかった。

ずっと待たせてごめんなさい。ずっと待っていてくれたのに、ごめん。その言葉しか出てこなくて、何もいえなくて、ただただその知らない棺の中に眠るひとに謝った。

こんなに悲しいんだ。
自分が生まれてから今日まで生きていたひとをうしなって、わたしを愛してくれるひとをうしなった。わたしを見て無条件に無防備に笑いかけてくれる人。

もう会えなくなるなんて聞いてない。

自分の生活を優先しました。
ごめんなさい。

ただそれしか出てこなくて。


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