再受験への道

 前回の続きです。


 編入の夢が絶たれ、私は廃人となりました。

 この世の全てに不満を垂れ、母親との関係は悪化しました。大学に行かず一日中寝ている事もあり、2ヶ月に一回は家を追い出され、ネカフェに泊まったりしていました。母親と包丁を持った喧嘩も何度かありました。

 大学3年生の冬、私はいくつか出席日数が足りず単位を落とし、テストのある科目は殆ど全てC(追試で獲得)でした。

 過去問をくれた子は何人かいました。しかしそれでも追試でした。

 とにかく大学のことを考えたくないから、可能な限り休み、単位も留年ギリギリでとっていた為です。

 留年すると奨学金が止まるため、向いていないと思いながらも最低限(実際には少し不足している)勉強せざるを得なかった私は完全に精神のバランスを崩していたと思います。

 一生この興味ない分野で行きていくのか…

 私は性格も捻くれまくりながら大学生活を送っていました。勉強どころか人と関わることすら嫌になり、学校の友達はたった1人(この友人とは後に大学4年で仲違いしてしまうので今は0人)体重は68kgを超え(157cm)ました。
 月8万のバイト代は食費と高校時代の友人との遊びで費やすという、「モテ」とか「リア充」(当時流行っていた言葉。アニメ等の2次元に陶酔せず、現実世界が充実している人)とはかけ離れた生活を送っていました。

 ただでさえ40人の学部、悪い噂はすぐに広がります。

 このままじゃダメだ…私はまだ21なのに…

 そう思って大学3年生の冬、私は思い立ちました。

 自分をもっと追い込まないと駄目だ。

 もうどうあがいてもGPAは上がらない。せめて残りの一年と少し、大学生をエンジョイしよう。

 私はダイエットを始めました。ダイエットアプリに課金し、4kg痩せました。

 そして彼氏を作りました。

 しかし2ヶ月も持たなかった。

 私は絶望しました。自分は勉強も出来ず、恋愛もできない。

 悔しかった。このままでは資格に固執した、結婚も出来ないブスでデブで醜い女になってしまうと私は思った(最低)。

 そしてこの時には、私はもうこの職業を辞める事を決意していました。

 就職して、お金を貯めて、この職業から逃げる。

 今の自分には生きてる価値が無いと思い、毎日泣きながら勉強、就活をしました。夜中死のうと思って、ベランダに足を掛けた事もあります。

 そんな時、某病院の就職試験が一般問題(高校科目)の配点が多い事を知りました。その病院は界隈ではわりと名の知れた大きな病院で、給与や福利厚生も良かった。

 私は浪人していた為、高校レベルの知識は人並みくらいはありました。しかし、私の大学の成績では、当然教員には反対されると思いました。

 悩んだ末、私はゼミの教員に事後報告をしました。

 教員はかなり怒った人もいて、しばらく口を聞いてくれなかった先生も居ましたが、国試に受かった後はおめでとうと言ってくれました。

 国試はボーダーラインギリギリで合格し、その病院で働き始めました。

 母は有名病院に就職した私を周囲の人に自慢し始めました。

 その為私は誰にも言わず、受験勉強を再開しながら覚えの悪い新人として2年間働き貯金して、大学合格と共に退職しました。

 退職して2年後、貯金が底を突いた為、家にお金を入れる事が出来なくなり、母に大学に入り直して居た事がばれました。

 母はまた包丁を振り回し、近所の人が通報して警察沙汰になってしまいました。

 省きますが、今は安定した関係になっています。

 再入学した大学は、偏差値は殆ど同じですが、前の様に成績で呼び出される事は一度も無いです。

 ここまで読んで頂いて、いかに再受験が厳しいか解って頂けたと思います。学力は余り関係ないと思います。むしろ、自分の最低な人間性と向き合う事が多いです。目的の為に会社や人を裏切り、欺く。味方をごっそり失い、多くの敵を作る。

 私は大学から退職までの6年間で多くの人と知り合いました。しかしその中で今連絡を取っている人は誰も居ません。
 誰にも今の私を知らせる事が出来ないです。裏切って来たからです。

 けれど私は絶対に過去には戻りたくない。後悔も今はまだしていない。退職する時上司に、「どこに行っても一緒だよ。」と言われました。それは自分次第だと思う。自分次第で一緒になってしまうと感じることはあります。しかしそれは、踏み出してみなければ理解できなかった事です。

 賛否両論は勿論あると思いますが、皆さんが私のように6年間を棒に振らない事を祈っています。

 もうほとんどの人が受験が終わったかもしれませんが、頑張ってください。









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