見出し画像

「料理ができない」という罪悪感

テレビ番組で好きなコーナーがあった。

忙しくてたまらないお母さんたちを美しくドレスアップする企画。

ちょうど母がつけている昼のバラエティで一番好きだった。誰でもできるおしゃれのポイントを教えてくれたし、実際に仕上がった女性たちはみんな美しくてキラキラしていた。とても好きなコーナーだった。ダメ出しをされてる様子もなく、ただ本当に美しく魅せるポイントを教えてくれていた。

嫌いなコーナーがある。
料理のできない女性を笑うものだ。

それまでは普通に見ることができたし、私も編集で笑っていた。それが変わったのが高校生の時だ。
母と一緒に、流行りのお菓子を家で作ってみることにした。材料の場所はわからなかったので、母に出してもらい、私は手順を確認しながら料理をした。

手順通りに作ったはずだった。
結論から言ってしまえば、母が準備したとある材料が全く別のものだった。

それは材料の水分という水分を吸い上げた。混ぜている私はそれほど強い力で混ぜたはずもないのに急速に固まっていく材料に嫌な予感を覚えていた。けれど味見をしなかったのがよくなかった。
母は私が混ぜすぎたと言って、作りながら相応に私を叱りつけた。材料を無駄にした、勿体無い、全部食べなさいと。
これはだいぶマイルドにしているし、フェイクも入っている。

そのままその材料を使ってお菓子を作り終えた。半泣きだった。
食べてみると、ひどい味だった。材料を見返した母は真っ青になって私に謝ってきた。母も私も至らなかったのだ。

しかし、私には「失敗するとひどく叱られる」という恐怖が残った。

それまでは、割とクッキーを焼いたり、苦手ながら料理も少しずつ作っていこうという気力があった。しかしその経験以降、お菓子を作ろうとか、知らない料理にチャレンジしようとする気力が多かれ少なかれ萎えてしまったように思う。失敗が怖くなった。そのお菓子も大嫌いになった。

テレビの中で今日も女たちは料理ができないことをネタにされている。

それで平気な人は平気なのかもしれない。でも私は彼女たちにあの日の自分を見る。

失敗したっていい。料理を嫌いにならないでほしい。
笑ってくる中年を嫌っていいから、料理だけは嫌いにならないでほしい。

いつか料理をしたくなった時に、嫌な気持ちを思い出さないでほしい。
食事は本当に大切なことだし、人の体を作る基礎だから、嫌わないでほしい。

少なくとも私はそれでつらいし、今も苦しい。人間として大事にすべきものを踏みつけにされるのは苦しかった。
料理ができなくていいとは言わない。でも、料理へのハードルが、頼むから上がらないでと私は思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?