OUT インタビュー

札幌から凄腕の三人組が俺の心臓めがけてインタビューにやって来た!

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北海道という極北の大地は、東京在住の筆者にとって遠い位置に在る。札幌には何度か訪れた事はあるが、東京、名古屋、大阪、九州といった大都市ならではの繁華街の作りは、例によって何処も似たり寄ったりで、札幌もまた他の都市部と同様だ。ただし雪に覆われた白一面の街並は他の都市とは様子が違い、筆者のような関東圏で育った人間にとっては、何だか激しくもロマンチックな心象風景を降り立った瞬間に残していくインパクトのある土地である。

そんな街、札幌は沢山の優れたバンドを輩出している地域でもあり、ロックやフォーク、ヒップホップのカルチャーも脈々と存在している。筆者のフェイバリットだけでも、北海道出身のグループはあげていけばキリがない。

OUTは札幌で2012年に結成された3ピースバンド。2020年6月に満を持して1st ALBUM 「OUT - same title」別称「狂ってるあいつは俺の心臓めがけて刺す」をDerweze Recordsよりリリースした。パラフレーズ、KARMA、ライナスの毛布などに在籍した名うてのメンバーが集い、今ではあまりいなくなったニューウェイブ/パンク世代には愛着のある、ささくれだったギターと唸るベースにタイトなドラムが繰り出す、シンプルでやかましいロックの現行版を演奏するバンドである。今回は縁あってOUTのドラムス/岡田氏、ギター&ボーカル/橋本氏、ベース&ボーカル/渡部氏の3人と、演奏をしないメンバーとして暗躍する!アルバム発売元Derweze Recordsを運営をしているKENTAROU氏(80年代インディーズ好きなら知っているAT FIRST AT LAST〜素晴らしき自主制作盤の世界〜のサイト管理者でもある)に話を聞くことが出来たので、あまり語られる事のなかった札幌ポストパンクシーン黎明期の活動なども含め、オリジネーターともいうべき3人+1人に話を聞いた。

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■はじめまして、本日はよろしくお願いします。

OUT:はじめまして。こちらこそ宜しくお願い致します。

■皆さん錚々たるバンド歴をお持ちですが、CDにせよ、LIVEにせよ、
そんな前歴をモノともしない良い意味での軽さというか、疾走感のあるストレートなサウンドがガツンときます。OUTとして出しているサウンドの形というのは、メンバーの中での共通認識として確固たるものがあるのでしょうか?

岡田:曲に対するイメージとかベクトルが共通認識だと思います。

渡部:個人的にはイメージはありますが、個々の自然に出す音が絡み合ったらああなったとでもいいましょうか。バンド感を重要視しているので、個々の音を足していくのではなく、掛け算的にといいますか、バンドや音楽が名詞ではなく動詞であるべきだと思っています。前歴を否定はしませんが全くどうでもよくて、とにかくソリッドでささくれだったスピード感のあることがやりたかっただけです。

■というのもアルバムではメンバー3人それぞれが作詞/作曲を担当されていますが、どの曲も統一感があり、各自のバックボーンを活かした色合いが無理なく融合しているように感じたのです。キャリアが織りなす技でしょうか?それとも人間的な相性みたいなものなんでしょうか?

岡田:先ほど言ったように3人の共通認識ですね。

渡部:メンバーの年齢がほぼ一緒なので同世代の音でしょうか。自分たちがカッコいいと思っていた音が最近ないので、ならば自分たちがやろうかといったところです。

■OUTの作る音楽には、メンバーの皆さんが培ってきたキャリアと、東京ロッカーズから連なるインディーロックの系譜が軸にあると思うのですが、札幌LIVEシーンで活動している中で自分たちの音をどう位置付けますか?

岡田:昭和パンクですね。

渡部:ある種の懐メロかも知れませんね(笑)

■このところ東京ロッカーズ以降の80年代発掘音源が続けざまにリリースされ、ある程度の支持を得ていますが、あくまでも現在のLIVEシーンに対峙しているわけではなく、全くの別物だと考えます。僕も同時代的に観ていたり、聴いていたり、かたや皆さんは、当時演奏もされていた張本人でもあるわけですが、現代に於いてそのサウンドの内実は有効だと考えますか?

岡田:あの時代があったからこそ今がある。

渡部:さほど有効性は感じてませんが、こんなのがあってもいいかなと。三回くらいの周回遅れで最先端かも知れません(笑)

■皆さんと共に活動していた、エマーソン北村さんやサカナクションなどは音楽的な変遷もあり、現在全く違うシーンで活動しています。OUTとして3人から紡ぎ出されるこのサウンドの核心は、僕ら世代の音であると同時にある意味、時代を超えた普遍的な音でもあり、OUTによってアップデートされた独自のパンクロックかと思います。アルバムの帯にもありましたが、昭和パンク/POST PUNKの精神性/サウンドというのは、皆さんの中にDNAレベルで存在するものといった感じでしょうか?

岡田:三人の共通点

渡部:そうだと思います。意識してなくはありませんが、ムリはしてません。自分たちが持っている自然な音だと思います。以前、20歳くらい下のバンド仲間に聴かせたら「ウチらこういうことやったとしても、こんな匂いは出せないですわ」と言われました。

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■札幌の音楽シーンで注目している動きはありますか?

岡田:ザ・ウィーグルス、札幌ガッツ

渡部:吉田野乃子かな。

■札幌の話をするとLIVE HOUSEについてはカウンターアクション(現在、BARとしてプレオープン)や、スピリチュアルラウンジ(なんと閉店らしい...)、スパイスなど、良い箱が一定数存在する事は道外の人間にも認知されていますが、札幌のロックファンが情報を得たり、音源を購入するレコード屋さんというのは現在あるのでしょうか?

渡部:残念ながらスピリチュアルも閉めることになりまして、OUTはまだスピリチュアルでしかやってないので無念です。この手のCDはタワーやHMVではムリでしょうし、扱う店はほぼありませんので、ライブでの物販でしょうか。OUT CDの札幌市内実店舗の取り扱いは「サードイアー」一軒だけです。ここはプログレ専門店ですが店主が知人なのでOUTのCDを置いて貰っています。

■オンライン以外で新譜音源が買いにくいのは都内も同様ですね。パンク/ニューウェイブ系に絞って言うならディスクユニオンと専門店のBASE、BOYに、強いて言えば黒猫に少し置いてるくらいですかね(全部高円寺...)。ここで過去の話を少しだけ伺わせて下さい。皆さんはどういった感じでロック(パンク/ニューウェイブ)体験をされていったのですか?

岡田:高校一年生の時にセックスピストルズを聴いてから。

渡部:なにせ輸入盤屋のない田舎なのでラジオや雑誌(フールズメイトやZOOましてやロックマガジン等は入荷せず音楽専科、ミュージックライフ、ニューミュージックマガジン、ロッキンオンがせいぜい)で得た情報をもとに通販等でレコードは買ってました。パンク登場をリアルタイムに過ごせましたが、求めていたのはカタルシスだったのでパンクもプログレもハードロックも同一線上で聴いてました。

■岡田さんはパラフレーズとして上京されたわけですか?

岡田:ライブをしに行きましたが、上京して住んではいません。
私の在籍時の東京ツアーは1回のみです(このツアーの対バンはG-ZET,奇形児,あぶらだこ,LSD,オートモッド,山口冨士夫,くじら等)。北海道内のライブに力を入れていた時代でした。道内は広いので諸々の調整が大変でした。

■地引さんや東京のミュージシャンとの交流はありましたか?

岡田:ケースオブテレグラフツアーでは色々な方にお世話になりました。特にSーKENのネズミさん、コンクリーツの清水さんには御世話になりました。

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■その後は、やぎにも参加されたと聞きました。岡田さん在籍時ではないかもしれませんが、僕は「イルネージュ」がとても好きで今でもよく聴きます。

岡田:個人的にやぎはロック色が少ないので橋本と私でロックテイストを入れようと思って参加していました。

■パラフレーズの「SU・DE ・NI !? 」は東京でもわりと見た感じがするのですが、どのくらいセールスしたのですか?

岡田:雑誌等でチャートインしていたのでそこそこ売れたと思いますが、リーダーの宮沢氏が窓口だったので私にはわかりません。通販分は送料が高いので1枚売れるごとに赤字とも聞きました。

■当時のインディーズとしては、なかなかの成果ですよね。橋本さんのお兄さんは札幌でいち早くインディーズリリースをされた方だと教えていただいたんですが?

橋本:はい。不過脳というバンドで1980年に札幌でPUNK/NWとしては初の自主製作シングルレコードをリリースしました。兄はVo.Gだったかな?和風P.I.Lみたいな感じでしたね。

KENTAROU:不過脳は橋本サトシVo.G,他は岩田靖史 Drum,中西洋一 BASSという3人編成でした。

■お兄さんの影響は強いですか?

橋本:はい。影響強いです。音楽もそうですが、兄はDADAやシュールレアリズムから発想のヒントを得ていた部分が有り、そんな兄の影響で私もその方面の本を読んだりしていましたね。

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■橋本さん自身は原ソナタというバンドが初めてのバンドですか?

橋本:原ソナタはバンドではなく私のソロユニットでした。3作目のテープでは女性の声が入っていますが、ライブも基本私1人でした。一度だけ、ライブでKARMAのVoに手伝ってもらいました。パンクやニューウェイブとはかけ離れたことをやっていましたが、姿勢はパンクでした。

■橋本さん自身も皇帝というバンドではアメリカでリリースをされたり、その後のKARMAでもリリース数がわりと多く、インディーズリリースとして活発ですよね。

橋本:皇帝は私にとって初のバンド形態でした。スリーピースでしたがレコーディングでは兄が手伝ってくれました。皇帝では2曲レコーディングしてカセットテープの形で作品にしました。アメリカのインディアナポリスでカセット専門通販をやっていた人のカタログに載せて貰いましたが30本ほどしか売れずに終わりました。その後CASE BY CASEでシングル1枚、KARMAで4曲入りミニアルバムをリリースしました。

KENTAROU:皇帝が載ったアメリカのカタログは"CAUSE AND EFFECT"というレーベルで今も続いているようです。KARMAでも海外の「ODE TO SAMANTHA FOX」というオムニバスアルバムにも参加していました。

■流通、販売はどのように展開なさっていたのですか?

橋本:原ソナタはレコード店に委託販売と、小さいスペースでしたが雑誌DOLLに私のカセットレーベルの通販広告を出しました。皇帝以降は通販及び札幌のレコード店に委託販売を御願いしていました。

■レーベル活動としては、東京や関西のシーンと同等以上ですね。渡部さんは学生時代、アマルガムの公募でピナコテカからカセットをリリースされたんですよね?スレドニヴァシュタールというユニット名(バンド?)で。目録しか見ていないので一度聴いてみたいのですが、どんな音楽性をもって活動をされていたのですか?

渡部:TGやキャブスにかぶれた青臭い高校生の音です。
何しろ田舎なのでこういう音を披露する場所もなくスレドニの相方と二人でインディーレーベルごっこでカセットを5作つくって遊んでました。この内の3本から抜粋したのがピナコテカ版です。マスターは私が持っていましたが、二十代のころに「若気の至りだ!恥ずかしい!!」と消してしまいました。今となっては後悔しています。

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■アマルガムや当時のファンジンはどこで手に入れられていたのですか?

渡部:ピナコテカ系は通販で買っていたので、その際に荷物に同封されていました。

■当時、今でいう地下音楽に興味があったわけですか?

渡部:洋の東西を問わず大アリでした。チェコのプラスティックピープルやカムオーガニゼイション系なんか好きでした。

■かなり早熟ですね、その後のライナスの毛布ではプログレッシブかつサイケデリックなロックを演奏されていましたが、そういった音楽も、東京でさえなかなか手に入り辛いものでしたが、レコードは主に通販で入手されていたんですか?

渡部:情報源としてはフールズメイト、DOLL、マーキームーン、ロックマガジンでした。レコードはその辺をフォローしてくれる担当者がいたせいか輸入盤店で買えてましたね。プログレは人気あったし、サイケデリック系はちょうどその時代にペイズリーアンダーグラウンドをはじめとするサイケデリックリバイバルがあったのでライノやエヴァ、ラインなどいろんなところで60sサイケの再発もしてましたし。

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■Q: 人口比では大都市の中だと少ない方だと思うのですが、札幌という土地はマニアックな人が多いのでしょうか!?皆さんの当時の活動状況って既に時代の先端を走っていますよね。

渡部:マーケティングリサーチの対象になんて噂もある土地柄ですから、決してそんなことはないでしょう。尊敬するバンドマンの某先輩などは「大きな田舎」と評して、なるほどと納得したものです。

■しかしざっと思いつくだけでもケンヂさん、イースタンユース、ブッチャーズ、怒髪天、フラットバッカー、サーベルタイガー、SLANG、SUN、カウパーズ、マリア観音のメンバーもいたはずですし、掟さん、ムスタング、リアライズド、ディスチャーミングマンまで...北海道/札幌はアンダーグラウンドで強力なロックグループを多数輩出していますよねー。

KENTAROU:札幌に限らず個性的な音楽に魅了される者は、
どこの土地にでもいると思います。

■まあ実際、KENTAROUさんのおっしゃる通りではあるのですが!
ところで昨今では機材やCDプレスも安価になったりと、インディーズで活動していくにはずいぶん良い時代になったと思うのですが、逆にCDのセールスは20年前、30年前と比べれば10分の1程度になったと実感します。バンドブームにより、インディーズバブルなんて話も一時期はありましたが、ほんの一部だけの話であって基本的にバンド活動というのは他に職業を持って、余暇を音楽に充てる生活として変わっていない現状ですが、OUTの活動は皆さんの人生の中でどういった意味合いを持つものでしょうか?

岡田:今までの確認です。

渡部:コマーシャルすぎるのは好きではないので、食えるなんて毛頭思ってもいませんでしたが音楽を辞めるという選択肢もありませんでした。

■皆さんが収益を得るために音楽活動をしている訳で無いのは百も承知ですが、OUTの音楽にはもう少しスポットライトがあたって欲しいところです。いちファンとしては、これからもOUTならではの気骨のある音を聞かせていって欲しいと思っています。では最後にこのインタビューを読んだ方にメッセージをください!

岡田:OUT 1st CDの帯に書いているように皆さんの初期衝動を
思い出してくれれば幸いです。

KENTAROU:CDの他に各社のサブスクリプション配信も行っていますのでどこかで聞いていただけたら幸いです。

■こんなご時世ではありますが、今年後半にはOUTのLIVEを東京で見られることを祈ってじっと待っております。

OUT:ありがとうございました

END

◇いぬん堂ストア、高円寺BASEでも絶賛販売中!

Text:イノウエU

Photo:横澤彰昭

協力:Derweze Records 


緊急告知!!貴重な資料も潤沢に掲載された80‘S札幌パンク特集が、某○○ZINEで予定されているとの事なので、期待大。


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