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⑨ボンボンとの接触と別れ〜次から次へとボツになるネーム

コロコロコミックを離れた私は「どうしたらいいのだろうか」と不安を感じていました。

「フリーデザイナー」として仕事を続けていましたから、デザインで収入を得、妻子5人家庭生活はできました。
マンガ家に専念していたら家族を養えず、大変なことになっていたと思います。

O先生の紹介で「銀杏社」さんと接触する事により、マンガ家としての活動は再スタートできました。

「銀杏社HP」でマンガの連載をさせてもらい、かなり自由に「描きたいマンガ」を描くことができたのです。

お世話になったのはこれだけでなく、講談社のボンボンとの接触にも力を貸していただきました。

児童漫画誌で活動できるのは望みだったので、張り切って持ち込みを進めました。

「ホラー系の怖いマンガ」を欲しがっていたとの事だったので、私にとっては「好みのマンガ」の営業でした。

ボンボンの担当者は「怖いマンガ」を推し進めたい人でしたが、編集部内では「編集プロダクションからの出張者」という立場であり、純粋の編集者と比べると力量は弱いように感じましたが、頼るしかありません。

しかし「怖いマンガ」に関してはとても熱心な人であり、期待に応えようと私は何作もネームを描きました。

チェックを受けて「こうした方が・・・」とか「こうしてみて・・」とか注文は多かったです。
その度にすぐ描き直しました。

1本のネームを3〜4回は描き直しています。

担当者は大変喜んで気に入ってくれたようですが、会議では1本も通りませんでした。

落ちた理由は「怖すぎるからダメ」だったと聞いた時、「マジか!?」と思ってしまうほど矛盾した理由でした。

読者は子供だから「怖過ぎてはダメ」なのかと認識しましたが、そういう意味からすると「商業誌は難しい」と感じました。

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