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自分の好きだった作品を振り返る(その5)~大学生編(後)

続きです。

毎日楽しく大学生活を送っていた私でしたが、学園祭の後に身体が動かなくなり、学校に行こうと思っても、足が動かなくなります。引きこもり生活の始まりでした。

自分の意思に従わない身体

「学校に行こう」と玄関に立っても、身体がこわばって動かない。動悸が激しくなり、息苦しくなり、頭の中で「なぜ??」という言葉がぐるぐる回る。

足を一歩、がんばって一歩、踏み出そうとしても踏み出せない。

説明できない恐怖心が胸を覆い、涙が出てくる。

「大学に行きたい、でも、行けない」という事態に陥りました。

何故か学校以外なら行ける

不思議なことに、行き先が大学でなければ、行けるんです。恋人(現在の夫)の家に行こうと思ったら、行ける。夕方くらいにはだいぶ気分がマシになり、アルバイト先には行ける。

でも、学校に行くことは、どうがんばっても、できませんでした。

この後、社会人になったくらいに「新型うつ」が話題になりましたが、うつ病も色々で、私はこういう「特定の場所には行けないが、そこ以外には行ける」パターンが多いです。

学校に行けない日々が始まりました。

大学に行かず、ゲーム三昧

恋人の家にあったスーパーファミコンで、『真・女神転生Ⅰ、Ⅱ』をやったりしてました。お金がある訳でもないので、古くても、面白いと言われるものをプレイしてました。真メガテンは素晴らしく面白かった…。

大好きだった『幻想水滸伝』を何周もしたり、姉に借りた『ガンパレード・マーチ』をしたり。『moon』をプレイしたのもこの頃かな?苦手意識を持たず、何でもプレイしました。

実は、この時期の記憶はかなり抜け落ちておりまして、1年近く大学に通えなかったのに、何をして過ごしたのか、ほぼ覚えてないんです。ゲームをしたのは覚えているんですが、内容はよく覚えていない。自分の家ではなく、恋人の家に籠って、ひたすら寝てたような気もします。

病院行けよ(==;)て思うんですが、病院には行きませんでした。

2006年に『ツレがうつになりまして。』が発売、大ヒットして世の中の雰囲気は大きく変わりましたが、90年代後半はまだまだ、うつ病などへの理解は進んでなかったし、誤解も多かったような気がします。

親にバレたらいけない

覚えているのは、両親に申し訳ない、学費がもったいないといった気持ちです。こんなことになってしまって。こんな状態を伝えるわけにはいかないと思っていました。

今、振り返ると、人生で初めての挫折かな?それまで危機的状況はなかったのは幸せなことですね。

そして、「大学に通ってないことを親にバレたくない」という気持ちから、3年の10月頃(後期授業)から、復学を決意します。

泣きながら大学に通う

決断した時、意思を曲げないのが私の長所であり、短所なんですが…。

身体が言うことをきかない。それが!!!どうした!!!

…みたいな気持ちで、泣き出す自分の心や身体を、自分で引きずって行く感じで大学に行きました。数日は泣きながら、授業を受けてました。異様。

学校コワイ < 留年して卒業できない …ということで、留年は絶対に避けたかったし、就職活動も始まるから、復学せざるを得なかった。

この辺の記憶も曖昧なのですが、数日経ったら普通に学校に行けるようになって、通えるようになりました。

就職活動、そして

3年の後期はなんとか通えて、単位を取得。4年で卒業できそうな雰囲気になってきました。

そんな中、就職活動が始まりました。30社以上エントリーしたけど、6月時点でユニクロしか内定せず。ユニクロに入社することを決めます。

まあ、今、思い出しても、自己分析とか全く出来てなかったので、そりゃうからないだろ~…と思うのですが。「大学に入学する」「好きな人を作る」「一生の友達を作る」あたりを目標に生きてきたから、その先の目標を見失っていたとも思います。

私は昔から、つきたい職業はないし、こういう生き方をしたいといった夢も、欲も薄くて。「自力でお金を稼いで生きていきたい」程度の目標しかなかった。

ユニクロに入社した後、たくさんのアルバイトさんと一緒に働きましたが、ほんと、学ぶことが多くて。学生アルバイトさんたちは色々な考えを語ってくれたけど、私は大学生の頃、こんなに考えてなかったな~…と反省することも多かったです。

卒業研究をきっかけに、研究に興味を持つ

現在マガジンで公開している、この卒業論文は、中国古代からの医療系資料を検索して、「人々は酒の効能をどのように捉えていたか?」を考察する研究でした。

完成まで、何度も先生に直されました。文章が回りくどい、数字が全角と半角混ざってる、「ような」が多い、などなど。

お陰ですっきりとした文章の卒業論文が仕上がりました。大学時代に書いた論文、これ一本です。これを書き上げて、「研究が面白い」ということに、やっと気づくという…。日本の大学って自由だし、色々出来ていいんですが、システムがおかしいとは思います。もうちょい真剣に研究とかできるといいのに。

とはいえ、1年休んでも、4年で卒業できたのはありがたかったです。

友達から借りた漫画や小説

大学時代編を締める前に、大学時代、友達に借りて印象深い作品を…。大学時代は、自分が好きだった作品への興味を失い、友達が勧めてくれた作品の面白さに目を見張ることが多かったです。記憶に残っているのも、友達に貸してもらった作品ばかり。

面白いのが、恋人(現在の夫)に勧められた島本和彦先生の作品には興味を持てなかったところかな…(^^;

恋人の家にあった島本先生のボード

初めて彼の部屋に入った時、テレビの上に飾ってあったイラストボードに驚きました。直筆!?みたいな。漫画はほとんど読んだことなかったけれど、島本和彦さんのことは知ってました。

部屋にあったカラーボックスにはずらりと『炎の転校生』と『逆境ナイン』の愛蔵版が並んでました…。漫画は、島本さんの漫画しか置いてなかった。

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恋人が好きな漫画、でも面白いと感じない

上で書いた「引きこもっていた時期」に、何度かチャレンジしたんですが、当時の私は島本漫画の良さが全く分からなくて…(^^;)最後まで楽しく読めたのは『燃えよペン』くらいじゃないかな…。『燃えよペン』は最高に面白かったなあ…。

でも当時、島本さんの影響で、女子プロレスをよく見てました。2人で試合も見に行きました。豊田さん、かっこよかったな~。

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島本和彦作品が面白いと思えるようになったのは、社会人になった頃に夫が入手した『ワンダービット』を読んでからです。

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この漫画はパソコン雑誌に連載していたSF短編集なんですが、今でも本棚に置いてあります。未来予測が当たりまくりで怖いくらい。

今は『炎の転校生』も好きですよ。『アオイホノオ』も面白いです。

でも、当時は「夫が勧めるゲームは当たりが多いのに、本棚に並ぶ島本和彦と、哲学の本は全く読めない」と思ってました。価値観も気も合うのに、作品の趣味が全く合わなかった。この辺は不思議でした。友達が勧めてくれた本は、楽しく読めていたので余計に。

『四年生』『五年生』の木尾士目

『げんしけん』以前の木尾士目さん。まだ新人の頃ですね。

前回登場した「サンデー、マガジン、アフタヌーンを買っててサクラ大戦が好きな女性」が単行本を貸してくれたんですが…濃ゆかった…。

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大学を舞台に、2人の男女の関係が移り変わる様子を描いた作品です。『四年生』は4年次、『五年生』は留年した男と、就職した女の、気持ちがすれ違い、離れていく様子を描いています。

時間が経って美化してる部分もあるとは思うんですが、「あーーーーいる、こういう人いるーーー」…という感じでした。友達に似た感じのカップルがいたのもありますが、描かれるキャラの存在感、動作の一つ一つ、セリフの一つ一つがすっごい生々しいんですよね。痛々しくもあり、読後感が悪い。読後感が悪いのに、続きが気になって読んでしまうんですよ…。

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私はこういう本は他人に貸さないと思うんで(エロ本やBL本を貸すより恥ずかしい感じがある)、ふつーに私に貸せてしまう友人にも驚きでした。

この数年後に『げんしけん』が始まった時に、テイストの違いに驚きました…。1話を読んで「あ、これは面白い。この木尾士目は一般の方にもうけそう」(※えらそうですが)と思ったのを覚えています。アニメ化までしたのには驚きました…。

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『ベルセルク』

友達に「面白いから」と勧められて、絵柄が怖いなあ…とか思いつつ読んだら、本当に面白くて、読むのが止まらなくなったマンガです。

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当時は20巻までいってないけど、蝕が終わってこれから…くらいの時期だったと思います。アニメ化もしてなくて、知る人ぞ知る名作、て感じだったんじゃないかな?

男友達の1人がものすごく推していたんだけど、他の漫画に詳しい男性たちがタイトルすら知らない。私も「ぱふ」や「ファンロード」といった雑誌をチェックして話題作は見るようにしてたけど、『ベルセルク』は聞いたこともなかった。

ガッツの生い立ちの暗さ、グリフィスと出会い、鷹の団を結成した時期のきらめき、キャスカとの交流、かーらーの!蝕…。1巻から16巻あたりまでの伏線と伏線回収が見事で。漫画ってこんなに面白いものなのか、物語とはこんなに暗く救いがなくても許されるのか、みたいな衝撃がありました。

今だと人気漫画、名作漫画、終わるのか心配な漫画(苦笑)の一つですね。人気が出て良かったのか悪かったのか…。

その後も読んでますが、作品に注がれた熱量が、20巻辺りまでと、以降で違うと思います。読んでない人は20巻あたりまで読むと良いと思う。

『MONSTER』

浦沢直樹さんといったら『YAWARA!』や『Happy!』といった、女の子がかわいいスポーツ漫画を描く人…と思いこんでいたので、友達が『MONSTER』を読ませてくれた時には驚きました。

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私は読んでないけど、『マスターキートン』からの系譜なのかしら。不気味でミステリアスで面白かったなあ。

『MONSTER』を貸してくれた友達とは別の、ゼミが同じだった女の子が「漫画は浦沢直樹だけ買ってる」と話していて、驚いた記憶もあります。浦沢直樹さんの作品だけは全部持ってるけど、それ以外には興味がないらしい…。

以降、『二十世紀少年』などもチェックするようになりました。

とてもオタク、でもオタクっぽくない友人達

『ベルセルク』にしろ『MONSTER』にしろ、勧めてくれた男友達は全くオタクっぽくない外見や姿勢でした。好きなものは好きだと堂々としている感じで、オタクである自分を捨てようとしてた私とは価値観も大きく違いました。漫画だけでなく、アニメや映画、音楽も好きで、チケットをとってもらって「The Yellow Monkey」の野外ライブに行ったのも良い思い出です…。

私が付き合いやすいと思う男性は、なぜか男子高出身者がとても多くて。当時の恋人(現在の夫)も男子高、サークル内の7割が男子高出身でした。女性に慣れてないからか、紳士的な人が多かった気がします。

実家がある島根県には男子高などありませんでしたが、20年前は、関東や東北だと男子高・女子高も多く、進学校のほとんどが男子高や女子高と知り、驚きました。

友人達の影響で、私も「アフタヌーン」や「ヤングアニマル」、「ビックコミックスピリッツ」など青年誌を読むようになり、青年漫画を読むようになっていきます。

学校に行けなかった私と、漫画

当時の私に手紙を書くことは出来ませんが、「悪くなる前に病院行け」とは言いたい…。

とはいえ、引きこもっていた1年の経験は悪くなかったと思っています。

2014年に『学校に行けない僕と9人の先生』という、不登校の自分を描いた漫画のレビュー(紹介記事)を書いたら、はてなブックマークで拡散され、そこそこ読まれたんですが、この漫画をまっとうに評価できる自分というのは、大学での不登校を経た自分だった、と思うんです。

漫画にしろゲームにしろ音楽にしろ、作り手の色々な経験がもとになっています。最近の作品は、読み手にも一定のレベルを求める作品も増えました。作品の質が高まった、レベルアップしたということですが、読みたいと思うであろう人に、作品が届きにくくなったとも感じます。

私は読み手(レビュアー)として、出来るだけ淡々とした公平な視点でのレビューを書いて、必要な人に作品を伝播させたい、と思っています。

『学校に行けない僕と9人の先生』は、昨年ネットニュースで話題になり、出版社が2015年発売の単行本にも関わらず、新聞広告を打ってくれて。反響が大きく、現在も増刷していると聞いて、私も嬉しいです。

変な言い方になりますが、自分の経験をもって、この漫画を「正しく評価出来た」ので、引きこもり体験での失敗感、挫折感はチャラからプラスになりました。

学校に行けない私と、ゲーム

私はうつ病の時、本は読めないんですよね。理解力が下がっていて、文字が文章として認識できない。処理できないんです。

でも、ゲームだけは出来るし、何か充実した気分になって、心が元気になった気がしました。

このnoteを読んでる方がどういった状態か分かりませんが、子どもが不登校の時など「ゲームばかりして…」と悩む方もいるでしょう。

心の回復の為にゲームは有効だと私は思います。ゲームはダメだと止めるのではなく、静かに見守ってあげて欲しい。以下は、うつ病になったライターさんが書いた体験です。

まとめ

大学時代は、友達に勧められるマンガを読みふけり、ゲームをし、ライブに行ったりもして、楽しかったな~。

2001年、大学を卒業し、ユニクロに入社します。

就職して7年目にうつになって、今度は休職・退職するんですが、その辺の話はまた次回。


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