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変化を受け入れる

こんにちは、モネソルです✨

先日、ようやく緑とお花が溢れたお庭へ出て、
ああ、去年あった芽が今年はないな〜、
今年はこの木についたお花の数が去年より少ないな〜など、
一見すると、毎年同じものを目にしているようで、
芽吹くものが少しづつ変わっていることに気づきました🌿

自然は常に1年間の生命サイクルの中で淘汰され、変化をしているのに、
人は常に変化を嫌う。

私は猫を飼っていますが、特に家だけで生活している室内猫は、
究極に変化を嫌います😿
毎日、私たちと同じ生活リズムを過ごし、それが何らかの事情で乱れると不安になり、ストレスを溜めるのです🐈
それは私たちと同じリズムで生活をしていて、私たち飼い主に生命依存をしている室内猫は、食事や睡眠時間がいつも通り確保できるのかどうかという不安なのだと、私は思っています😿
子猫の時から、外を自由に歩き、他所で食事をもらったり、ネズミを狩ることができる猫は人への依存が少ないため、そういったストレスが少ないはずです。

また赤ちゃんが産まれると、朝晩かまわず泣いて欲求を訴えるもので、人は一時的に親になったことで新しい経験と共に、自分の生活が変わることを喜びとしますが、いずれ離乳食が始まり1歳になる頃には、子供は大人の生活に否応なしに合わせるようになります。
子供は大人に合わせないと、生命維持ができないからです。
こうして、せっかく子の親になったとしても、大人は結局子供が生まれるまでの自分の在り方にある程度戻ろうとします。マタニティブルーなどといった、母親の役をやらされてる空虚感が出たり、自分自身が失ったようで怖くなる人が多いとあるように、仕事に復帰したり、趣味を再開したりするのです。

それでも子供が大きくなり、またパートナーとの形も変わり、
生活が変わっているのにも関わらず、
自分自身は変わっていないと思いたいものです。
それは変化に対する恐れであり、自然に反することなのです。
だから、生きることが辛く、苦しいのです。

人も、生まれて、生命を維持し、そしてまた土に還る。

それはごく当たり前の自然の摂理であり、生命を維持できないまま土に還る小さな命でさえ、それは自然の淘汰なのです。その魂が望んだ命の体験なのです。

現代人はあまりにも若々しく長生きできることを望みます。
それは年相応に健康であるための努力は生命エネルギーですが、
ただ、20代の頃に持っていた自然の肉体的な美しさを、
永遠に手に入れることは不可能なのです。

人が知恵をつけ、科学や医療が発展した歴史を否定はしませんが、
もう少し自然の摂理に意識を回帰しなければ、
これからの激変時代は、私たち一人一人の魂が、肉体の最期まで納得できる形で生き抜くのは、少し大変なのです🪷
それは肉体だけでなく、細胞が毎日入れ変わっているように、
普段目に見えないような小さな変化さえ、当たり前として受け入れていく。
一見すると毎日が同じようであっても、同じ日は2度とないということを改めて意識して毎日を過ごし、生きている実感に感謝したいものです。🙏




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