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正しいこと、正しくないことよりも、そこに愛があるかどうか。

こんにちはモネソルです✨

例えば、我が子をいじめから守らないといけない時、
学校の在り方、組織の在り方に疑問を持った時、喧嘩が苦手でも自分が前に出ないといけない時ってありますよね。

そんな時、どんな心構えがいいのか、スピリチュアルの視点からお話ししたいと思います。

正義↔️悪?
いいえ、正義の反対はもう一つの正義。
まずはこれが一番大事なことです。ある人は正しいと思っている。
でも、反対側の別のある人も正しいと思っている。
では、どうやって善悪をジャッジするのか。
スピリチュアルの世界では、ジャッジをやめましょうと言われてるので、
日和見主義になればいいのか、いいえ、違います😅
それでは、あなたの大切な人を守れません。

何よりも大切なのは、そこに愛があるかどうかなのです。
正義=愛ではありません。
正義は一つのエゴの象徴です。。それが正しいと思う自分のプライドです。

現実、傷ついてる大切なひとを守るために。
あなたが正しいと思ってやっていることは、私にとっては間違えてる!!
なぜならば、私の大切な人を傷つけたからです。
これが一番忘れてはいけない視点です。

ですから、戦争にはどこにも正義はないのです。
それは傷つき、悲しむ人がいるからなのです。
善悪二元論の限界は、ここにきています。
5次元世界を体験する私たちは、もうそれに気がついてしまいました。

そうはいっても、まだ、二元論の価値観での理不尽な体験は、大なり小なり、
皆さんの小さな共同体でも起こっていることと思います。
必ず、忘れてはいけないのが、
相手がもっともらしい正義を述べていたとしても、
そこに愛があるかどうかが最も大切なのです。
いじめに愛はないのです。‘愛の鞭‘はもう必要がない世界なのですよ🌍
しかし、勘違いしないでほしいのは、
相手を諭すために泣かせることと、相手の尊厳を傷つけて飴を与えることは全く違うということです。後者のような‘愛の鞭‘は必要がないという意味です。

そして、愛のない間違いを犯した人を罰するのは私たちではありません。
論破して相手を黙らせたとしても、それは、その人とは反対の正義で押さえつけていることと同じなのです。罰は愛を生むことはできないですね。

相手が「あなたと、あなたの大切なひとを傷つけてしまって、本当にごめんなさい😞」

どんなに嫌な思いをした相手であっても、愛の所在を訴え続ける。
その気づきを与えるこそが、とってもとっても大切です🌟






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