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大好きだった劇団を続けられなかった話

何から書いたらいいのかなと迷う時ってたいてい、これを書いたらどんな風に思われるんだろうと考えている。

こうやって迷うようなことは、そもそも書かない方がいいとか、他人に言うようなことじゃないとか、そう考えて、ぜんぶdeleteボタンで消した夜もあった。

過ぎたことだと思って聞いてもらいたい。
自分にとって、ある程度は過ぎたことだと思っているから書こうと思ったのだけど、でも、本当に自分にとって過ぎたことになったのかどうかは、今の時点ではわからない。

10年続けた劇団をおととし辞めたのは、どうしてだったんだろうとずっと考えてきた。
好きな劇団だった。
他の人が何と言おうとも、大事にしてきたつもりだった。

でも、実は5年過ぎたあたりから、どうしてもうまく活動が続けられなくなっていた。
メンバーが集まる会議が、月に2~3回あるのだけど、どうしてもその会議が苦手でたまらなくなった。
なぜかとても怖くて行きたくなくて、行くとすごくへんな態度をとったり怒ったり泣いたりしてしまう。
またやってしまった、またやってしまうかもしれないと恐れながら、なるべく感情を出さないように、心を殺して行くしかなかった。
仕事の分量がこなせなくなり、自分がやったことが評価されているかどうか不安で仕方なくなった。

わがままだなあと自分が嫌になったし、そのときにとってしまう態度が自分でも信じられないというか、ああ、自分ってこんな人間だったのか、と、絶望した。
泣いたり怒ったりするのは私が精神的に弱いかららしい。みんなは気を遣ってフォローしてくれている。
そう言われるのがとても嫌で、絶対にまたそう言われたくなかった。
劇団員としてすべき制作の仕事を、できないとか、投げ出したとか思われないようにしたかった。

でもうまくいかなくて途中でギブアップしたことも何度もあった。
以前だったらできたはずのことができなくて、自分が信じられなかった。
私がダメだってことですよね?と確認することが増えた。
私はそれはできないしやりたくないです、と言うことが増えた。
自分で自分がコントロールできず、すごーく無気力なやる気のない態度で会議に参加しては、なにかあると怒ったり泣いたりし、わめいたり暴れたりケンカしたりした。
そのたび、仕事は周りの人がみんな助けてくれた。
それは、すごく、屈辱的だった、
ありがたかったけど、ほんとうに自分が気にくわなくて、できない自分を、消したかった。
素直に感謝できないこともすごく嫌だった。

自分に注目を集めようとしている。
自分だけが悲劇のヒロインだと思っている。
褒めてほしいだけ。
自分を認めてもらおうと思っている、子ども。
大人になれよ。
好きでやっているんでしょう。
自分を正当化することばかり言ってる。
我慢が足りない。
わがまま。
自分のことばっかり。
精神的に弱いんだから仕方ない。
甘えている。
いろんな言葉が外から内から私の心に突き刺さって、そのまま、心の中が膿んできた。

でも。
しばらくは、創作活動の場では、ちがった。
稽古場に行けば、一生懸命で明るい自分がいた。楽しいことが好きで、まっすぐで、よく笑っていた。
みんなのことも怖くなかったし、こうしていてよいのだろうと、思っていた。

私は演劇が好きだ。本心は、劇団の制作活動よりも、演劇が好きだ。演劇作品を作る現場が大好きだ。
作品に、そして共演者に没頭する時間を愛してきた。
他のことは忘れて、純粋に作品のことを考え、生きることと死ぬことを考えるのが大好きだ。
私は自分の劇団の演劇作品が好きだった。
なのに、こんな私の核心にまで、だんだんあのへんな自分が侵食してきた。
あんなへんな自分が実はいる。それなのに、こんないい人面をしていていいのだろうか?
こんなに楽しい顔をしていていいのだろうか?
あのへんな自分が隣にいるのに、どうしてそんなに明るく素直で一生懸命でいるの? 嘘じゃない?
本当のわたしはもっと真っ黒で汚くてねじくれ曲がった嫌な奴なのに。
うそつき。

へんな自分に、毎日を合わせなくてはいけないような気がしてきた。
普段、いいことをしても、自分が嘘くさくなってきた。
笑っていても、嘘だろ、と心が冷たくなった。
このままだったら、大好きな演劇をしていても、自分が大っ嫌いになっちゃう。
そんな人間、お客さんが見たいわけないじゃん。
そんな役者、いる意味ないじゃん。

劇団に10年いたうちの、後半5年くらいは、ずっと深く悩んでいて、自分の生い立ちやバックグラウンドに問題があるのかと思って、カウンセリングに通ってみたりもした。
だんだん、劇団の制作活動は「できません」と怖い顔して言って減らしてもらうようになった。
劇団のメンバーはきっと私の顔を見てればわかっているだろうし、ここまできてわざわざ自分のことを相談するなんて、自分のことばっかり考えているナルシストのメンヘラだと思われたくなかったから、なるべく黙っていようと思った。
辛いこととか嫌なことは、愚痴として受け取ってもらえる人にだけ言うようにと我慢したつもりだけど、実際は、口からヘドロを吐くみたいにたくさんの愚痴を言っていたと思う。
理解してもらいたかった、けど、自分でも理解できない自分をどう説明したらいいのかわからなかった。

もし、精神的におかしいと思われたら、役者としての役割まで減らされてしまうかもしれない。
誰だって精神に問題がある人間に、責任ある役割なんてまかせたくないでしょ。
それに、逆に「そんな大げさな」「たいしたことない」って言われるかもしれないのも怖かった。
他人のようにできない自分が嫌いでたまらなかったから、今さら他人と比べてほしくなかった。
私は、自分がわがままで甘えていることが問題の根本だと思っていたから、それを指摘されるのが怖かった。
自分がダメな人間で心の中が真っ黒だということは自分が一番わかっていると思っていた。
生きていくうちにそれを知ってしまったことがただただ悲しかったし絶望だった。

でもだんだん、現実ではいろんなことが減ってきた。制作仕事だけでなく、役者としての役割も減ってきた。
それは当たり前で、自分の方からなるべく劇団に関わらないようにしているからだった。
むしろ劇団では私の負担を軽くしようとしてくれているのかもしれなかった。
しかし私はその現実にいちいちショックを受けた。
私って、いらない人間なんだな。
必要とされてないんだな。
やっぱりできない奴なんだ。
頑張ろうと思っても、会議の前に足が止まってしまって、感情がフリーズしてしまった。
メンバーと話すことすら苦痛になってきた。
私はとっても、やさぐれた。

この劇団が好きで、貢献したい、みんなをサポートしたい、と思って加わったはずだったのに、気づいたら自分のことばかりで何も貢献できていなかった。
人に迷惑をかけるのは、すごく嫌だった。
自分ができることは全部やってきたつもりだったけど、本当に私は自分が大嫌いになってしまった。
こんなふうになるために、やってきたんじゃない。
こんなふうになるくらいなら、劇団に入らなければよかったなあ。
入らなければきっともっとみんなを好きでいられたし、大事にできたし、もしそうだったら私もきっともうほんの少しは必要としてもらうことができたかもしれないと思った。

劇団は雇用関係じゃない。だから何の保証もない。
好きだからやってきたのは確かだけど、あまりにも自分を犠牲にしている気がして、でも他のみんなは普通にやっているのに、我慢できない自分がおかしいと思った。
感謝が足りないのかな。これまでの素敵な体験をないがしろにしてるのかな。
頑張りが足りないのに、仕事できてないのに、文句ばかり言ってるよな。
このまま相談したら「そんなに嫌なら辞めればいいじゃん」と言われるだろう。
そうなるくらいなら「もう、辞めてください」と言われたかった。どんどん私の素行は悪くなった。
「好きでやってるんでしょ」と言われるたびに苦しくなって、自分は楽しいことしかやりたくないわがままな人間なんだなと、自分を軽蔑した。
だけど、劇団という自分の大事な一部分を失うのは本当に嫌だった。
応援してくれるお客さんの期待を裏切るのも嫌だった。
今まで出会ってきた素敵な方々、スタッフさんや共演者にどんな顔して会ったらいいんだ。
辞めたら、今までやってきたことも全部無に帰すんじゃないかと思った。
好きだったのに。

劇団を辞めることにしました、と劇団に伝えたとき、
私は、「誰かのために頑張る気持ちがなくなりました」と告げた。
それはふたつの気持ちが半分ずつ混ざった言葉だった。
ひとつは、とても、疲れてしまったという気持ち。
もうひとつは、そんなふうに言えば、私はこの劇団で大事にしてきた自分の姿をぜんぶ、横線で引いて消すことができる。
そうやって、自分をバツで消して、みんなに嫌いになってもらえたら、すんなり劇団を辞めることができる、という思いだった。

10年もやってきたから、私はこの劇団が何を大事にしている集団かとてもよく知っている。

もう考えすぎてこじれてしまった私は、
誰が悪いとか、何が悪いとか、どうすればよかったかとか、そんなことを何も言われたくなかったし言いたくなかった。
だって私はベストを尽くしてきた。つもりだった。
いろいろ訊かれたり、いろいろ話をすること自体がもう、受け付けられなくなっていたので、とにかく早く終わらせたかった。
どうすれば、私がいかに不要な人間であると分かってもらえるか、私はよく知っていた。
誰かのために頑張る気持ちがなくなった人間の退団を、劇団はすんなり受け入れてくれた。
達成感があった。
せいせいした。
計算通り、私は自分をバッテンで消して去っていった。
そのすぐ後に劇団が出した劇団員募集にはこう書いてあった。
「誰かのために頑張れる人を求めています」

私は本当に空っぽになって笑った。
そうやって私の10年は終わった。

と、思っていた。


























しばらく経って今、アレってなんだったんだろう、どういうことだったんだろうとやっぱり思い返すことがあるので書いている。

劇団をやめたあと、しばらくしてふと、演劇が好きで、くだらないことにゲラゲラ笑っている自分も、本当の自分だったと思った。
お客さんにまっすぐ感謝できる自分も、好きなことを好きっていう自分も、きれいな草花が好きな自分も、本当の自分だったと知った。
汚くて真っ黒な自分だけじゃなく、一生懸命で明るい自分も、本当の自分だったと、なんか、ふと信じられた。
それが信じられない5年間は本当に本当につらかったし、いくら近くの人にそう言ってもらっても信じられなかったから、そういうことがあり得るのだと知ることができて心からありがたいと思った。

そして、劇団を辞めてから2年、いま、おいしいものを食べてお仕事を頑張って、お布団で寝るのが大好きな自分が、別に昔と変わってない自分であることが本当にラッキーだと思った。
辞めてよかったかどうかはわからない。今でも劇団の作品はとても好きだから。
でも、辞めなかったら、ちょっと今の私がどうなっちゃっていたかはよくわからない。
へんな私に吞み込まれてしまったかもしれない。
なので、これしかできなかった。それで、いいことにしたいと思っている。
期待してくれてた方々には、本当に本当に申し訳ないけど。
劇団のみんなにも本当に迷惑をかけてばかりだった。改めて謝ったりしていないことが引っかかってもいる。でももうどうにもできないかな、と思っている。
たぶん、おそらく、私はまじめすぎたのかもしれない。

この話は別に、誰かに「大変だったね」と言ってもらうために書いたわけではありません。
誰の方が、とか、私の方が、とかいわれても、困っちゃうかな。
このことに関しては、誰かと比べることは意味がないと知りました。

でもだからこそ今、もし誰かと比べてしまってつらい人がいるなら、どうか自分の基準で自分にタオルを投げてあげてほしいと思います。

最後に、私は今至って元気です。
また失敗しないとは限らないけど、今は、もう少し頑張っていきたいなぁと、ゆるゆる考えられるようになりました。
いつもほんとうに、ありがとうございます。

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