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嘘がつけない

子どものころ、へんにできすぎて、普通にやっていると学校で一番になったり、絵や習字で表彰されたりしてしまった。他の人から、なんか違う目で見られた。それを気持ちいいと思う自分が気持ち悪くなって、簡単にはできないことを探すようになった。

こういう書き方は人にどう思われるだろう。ああ。私はまた考えている。他人の目を気にしている。気にしなければいいのに。でも、他人からどう思われるかで行動を決めるのは社会的には多少は大切なことかもしれない。

本当はどんなふうな自分でいたいのか、それは人によってとても違う。子どものころからなにか、できることがあって、それが他人を気にせず没頭できることであって、没頭していい家族や周りの環境に恵まれている人は、何も疑問を感じずに自分の能力を伸ばすかもしれない。それがその人のあるべき姿だと疑わなければ、どんどん高みを目指せるかもしれない。

私はどんな自分でいたらいいのか、すごく、すごくわからなかった。そして今でもよくわからなくなることが多い。わからなくなる時はたいてい、きまって、他人の目を気にして、他人の基準で自分の行動を決めている時だ。それがわかるのに、どうしても自分を他人と切り離すことができない。苦手だ。思った通りに、自分を信じて進むということが、とても、苦手だ。

テストでいい点を取ったら親に褒められるのに、私はいい点を取りたくなかった。なぜなら、いい点を取ると友達との距離が遠ざかるから。でも、かといって、嘘ついてできることをできないふりをする器用さは私になかった。嘘をつきたくない。嘘をつく自分が一番嫌いだった。だから、中学生になって、私は数学が苦手だと気づいた時、心から嬉しかった。私にも苦手なものがあった。できないことで友達と盛り上がれる。愚痴を言ったり文句を言いあえる。もっともっと、数学を苦手になろう、と思った。へんでしょ。

母はよく「うちはうち、よそはよそ」と言った。20時に布団に入らなければいけないのも、テレビドラマを見てはいけないのも、ドラゴンボールを見てはいけないのも、ゲームや漫画を買ってもらえないのも、おこづかいという制度がないのも、うちはうちだから。でも友達に「なんで礼ちゃんちはだめなの?」ってきかれて「うちはうちだから。」というと、もう仲良くしてもらえない。あれ。私ってまじめすぎて、世渡りが下手すぎたよね。

なんで私は嘘がつけないんだろう。嘘とまで言わなくていいから、「いいように」言えばいいのに。嘘も方便。他人のことを思ってつく思いやりの嘘もある。……なんだかいろんな言葉が頭をよぎるけど、どうしても、どうしても身体が動かなくて、嘘がつけなくて、苦しくてたまらない時が、よくあった。大人になった今でも、よくある。

ところで今、私は演劇をずっとやっているのだけど、演劇の大好きなところがいくつかあって、その中の大きな一つが「絶対に嘘をつかない」というところだ。よく「そこは芝居の嘘で」とか「観客をだます」とかいうけれど、勘違いしちゃいけないのは、役者は絶対に嘘をついてはいけないということなのだ。

もし、目の前に山があるという設定の舞台があったとして、暗い黒い箱である劇場で目の前に山はなくても、役者は山を見ることができる。山を見ているふりをするのではなくて、山を見るのである。山を見ているふりをしている役者と、山を見ている役者は全く違う。と私は思う。なんで見ることができるのかは、知らない。でも、できる。そうやって役者がほんとうの心を積み重ねていくと、お客さんにも、見えない世界が見えてくる。それはそれぞれの人が自分の心の中に見つける心象世界でもあって、同じ場所で同じ場面を見ていたとしても、同じものはひとつもないだろう。けれども、それは確実にその人の中に存在していて、お客さんが「見ているふり」をしているものではない。気づけば見ている方が作品の世界に没頭して、我を忘れるような感じになって舞台が終わる。いつの間にか拍手している。それが演劇作品の魅力だと私は思う。

そういう演劇の魅力の発露にたどり着くために必須なのが、役者が「絶対に嘘をつかないこと」で、でも、人間は毎日同じ状態を保てるロボットではないので、どうしても「1ミリも嘘をつかない」というのは難しい。だからそれに毎日挑戦していく。常に揺れる、ブレる生き物である自分と相手の役者の間に、少しでもたくさんの「ほんとう」を積み重ねるための挑戦だ。そこに没頭する時、私は他人の目を忘れ、他人の基準で自分の行動を決めることをやめている。どんな自分でいたらいいかなんて考える隙間がない。そうなれた時、逆説的かもしれないけど私は「こういう自分でいたいのかもしれないな」と思っている。

だから演劇をしている。だから演劇が好きだ。噓がつけない人間がほんとうに生きられるのが虚構の世界というのは、皮肉に満ちているかもしれないけど。

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