闇呼ぶ声のするほうへ(長編小説)【番外編・魔法にかかった傍観者】
闇呼ぶ声のするほうへ
【番外編・魔法にかかった傍観者】
(10300字)
<1>
(2800字)
父は、物語を終わらせないまま、ひとりで逝ってしまった。
父が母と共にはじめた、私……佐倉玲花、という名前の、物語を。
この世界を去る前に、はじめてしまったすべての物語を閉じなければならないのに。
その有名な児童向けファンタジー小説を読み終わった、当時小学生だった私は。
まだそんなふうに、はっきりと言語化することは出来ず、ただモヤモヤとしたなにかを抱えていた。
図書室で見つけた、えんじ色の布張りの、ぶ厚いハードカバーの本。すごく面白い話だった、と思うのに、そのラストが腑に落ちない。
……あの世界から、あんな帰り方する主人公は、なんかずるい。
そんなことを思いながら、その本を返却しに学校の図書室に入った私は……ふと、長机の端にぽつん、と座っている女子に、目がいった。
あれは同じクラスの、御崎さん……御崎真緒子。
彼女のフルネームをこの本の終わり、裏表紙の裏に貼られた貸出カードで見たばかりだった。
前髪は眉まで、うしろは肩までで揃えられた、真っ直ぐな黒髪。大きな丸い瞳、色白でふっくらとした頬。現代風の日本人形みたいな彼女はそこで、当たり前だけど本を読んでいる。
そういえば。彼女も学校で、ほとんどひとりで過ごしている。
彼女も、というのは、自分もそうだったからで……私は父と母の離婚、父の死による父との生活の終わり、母との再会・同居、なんてもの経たおかげで、友達と呼べるものがいなくなってしまっていた。
どうも、母と同居しているのに、母と違う名字なのがダメ、らしい。ご近所さんたちをはじめとする大人たちが、腫物のように私に接するから、それを見た子供も同じように……。
いや、違う。
私がそれをいいことに、みんなを遠ざけてしまったんだ。
そのとき。図書室で彼女を見かけたときの私には、なんの考えもなかった。
私はほとんど無意識に、彼女の向かいの椅子を引き、腰を下ろした。
ピクリ、と彼女の長いまつ毛が動き、本を読むうつむいた顔の、目だけでこちらを見る。
その目が、私の持っていたえんじ色の本に止まり、彼女は顔を上げた。
「それ、おもしろいよね」
彼女が、ちょうど私に聞こえるくらいの声量で、言った。
おもしろい、なんて言う割に、彼女は無表情だった。
「うん、おもしろい。御崎さんも、読んだんだね」
「読んだ。はじめのところ、主人公の読んでる本がこの本そっくりで、ドキドキした。私は、たまたま棚でその本を見つけて、借りたんだ。私もあっちの世界に呼ばれたかと思った」
意外にことば数が多い彼女に少し驚いたけれど、共感しかなかった私は、うれしくなってしまった。
「そうそう、この表紙がちょっとボロくなった感じも、それっぽいよね」
「ね、佐倉さんそれ、どこまで読んだの? 話しても、だいじょうぶ?」
読了したことを彼女に告げると、彼女の顔がほころんだ。それから彼女と私は、その本の気に入ったところを、図書室という場所に配慮しつつ、小声で話し合った。
……そう、それが。
私と御崎が、一緒にいるようになった、きっかけ。
話しながら、時折髪を耳にかけるそのしぐさが、私の脳裏に、いまでも浮かぶ。
彼女の小さい手の、丸いピンクの爪先さえも。
でも後に、彼女の髪はショートになって、そのしぐさが見られることは、少なくなってしまった。
ほかでもない私が、彼女の髪を切って、そうしてしまったのだけど。
+++
御崎と私は教室でも、本を読みながら一緒に過ごすようになった。彼女の家に招かれ、好きなマンガを教えてもらってからは、私は彼女の家、特に私たちが図書室、と呼ぶようになった彼女の書庫に、入り浸るようにもなって。
御崎の家はとにかく広い日本家屋で、彼女はお金持ちのお嬢様、だった。
でも話をする彼女は、私となにも変わるところなんかなく……なんでだろう、彼女といるのが、すごく自然だ。もうずっと前から、こうしてきたような気がする。すごく楽で、息がしやすい。
どうもそれは、彼女も同じだったようで。ある日彼女は、とっておきの秘密を私に話してくれた。
それは彼女が、ご先祖であるという巫女神様に祝福され、神様の御遣いを授けられることになっていて、でもまだその能力に目覚めていないのだ、という……突拍子もない、秘密。
私には、それが嘘とか妄想の類には、なぜか思えなかった。と言うより、彼女の存在、在り方が、その話が嘘でないことを証明しているような気がしていた。
彼女は……きれい、だった。女子に対する評価で、美人系かかわいい系かどっち、なんていうのがあるけれど、彼女はどちらにも当てはまるし、でもそうじゃなくて、きれい、だと思った。それは例えば、澄んだ水を目にしたときのような感覚に近い気がする。
そんな彼女にある日、「お互いの呼び名、下の名前のほうがいいのかな?」と問われ、そのときの私が真っ先に思いついたのは、『玲』と呼ばれることだった。
玲花、という名の、父が決めたほうの字、そして母が決めた字を消した……私の、本当の名前。それは当時誰にも話すことのなかった、私だけの秘密の名前だった。
でも私は、それを口にはしなかった。
「私さあ、自分の名前、あんまり好きじゃないんだよねえ。出来れば佐倉、って呼んでほしい。御崎さんは? 真緒子、のほうがいい?」
「佐倉、に合わせたい、だから御崎、でいいよ」
「オッケー、決まりだね」
そうして私たちは、お互いを名字で、呼び捨てにする関係になった。
それが思いのほかうれしかったのを、いまでも覚えている。
……いまになって、ほんの少しだけ考える。
真緒、玲、と呼び合う世界線も。私たちには、あったのかもしれない。
でもそうしたら、レイは。
あの、私の生涯で一度だけ目にした……御崎にいつも寄りそっている神様の御遣い、美しい黒いヘビの名前は、どうなっていたんだろう。
それを考えるのは、くすぐったいような、笑えるような。
レイが御崎の前に姿を現したのは……つまり、御崎がその能力に目覚め、レイの姿を視ることが出来るようになったのは、私たちが高校生のときだった。レイの名前は、御崎とふたりで一週間くらい悩んで、御崎のつぶやきにひらめいた私が、辞書をめくって見つけたものだ。
『レイヴン、が正式な名前で、普段はレイ、って愛称で呼べばいいんじゃない?』
……そう、あれは。
確信犯、ってヤツ、だ。
私はこっそり、御崎が『レイ』と呼ぶのを、喜んでいた。
レイは、もうひとりの自分みたい、なんて。
レイヴン、という名を思いついたときに、少ししてそれに気が付いて、ちょっと鳥肌が立ってしまったりして。
結局、その頃には。
私はもう、御崎に対して、ダメになってしまっていたんだと思う。
私は、御崎のことが好きだった。
彼女と、ずっと一緒にいられたらいいのに、そう思っていた。
<2>
(3650字)
昔から御崎は自分のことを、クールで冷たい人間だ、と口にすることが多かった。自身をそう考えるのはいまでも変わらないようで、まあ確かにそういう部分がないこともないし、ポーカーフェイス、無表情なところなんかは、彼女をそういうふうに演出しているかもしれない。
でも、私はそうじゃない、と思う。
御崎は、良くも悪くも、不器用なヤツだった。
無表情でいることが多いのは、その不器用さの現れだ。
私だったら場や相手に合わせて適当に、心にもない表情を浮かべてごまかし取り繕ってしまうような、そんな場面でも。彼女は彼女自身のままでしかいられず、しかも無表情でいる以外、それをやり過ごす方法を知らない。
そして彼女は、その不器用さも含め、どこかで自分をあきらめてしまっていた。
そのくせ、人のことはあきらめない。人が抱えている問題に対して、まっすぐに相対し、彼女自身が納得するまで、それと向き合う。
レイの不思議な力で、私の夢の中に乗り込んで来た、あのときのように。
で? それのどこが、クールで冷たいの? と言ってやりたいけれど、私はそれを黙って、ニヤニヤと見守っている。
だって、かわいいじゃないか、それ。
たぶんそれは、御崎の夫である玄先輩も同意見で、同じようなことをしているはずだ。
彼とは、趣味が一緒だから、ね。
「でも、あげないよ」
玄先輩は、そうはっきりと、私に告げた。
それは、彼があの事故から復帰して、顔を合わせることが多くなった頃。
御崎のいないところで……笑顔で、穏やかな口調で。
「わかってる、これでも愛人としての立場は、わきまえてますから。けど、旦那サマが先に死んでしまったらわからないかな、せいぜい長生きしてくださいね」
あの生死の境を彷徨った事故の、傷跡が体のあちこちに残るという彼に、私は嫌味を返したのだけれど、彼の表情は変わらなかった。
こうやって私が、それほど仲良くもないのに嫌味が言えてしまうのは、彼の持つ性分かなにかのせいなんだろう。御崎の話にあった、彼の『人たらし』な能力。この私が、世間を渡るのに必要な猫も被らず、普通に話してしまっている……なんて、恐ろしい。
少し悔しいので、私はわざとニヤニヤ笑いを顔に浮かべて、追い打ちをかけてみる。
「でも、『あげないよ』なんて言うくらいには、嫉妬してるんだ?」
「ふふっ、そりゃそうでしょ」
そう言って彼は笑みを深め、ことばを続けた。
「俺は、……というより誰も、その人の全部を理解してあげられない、でしょう? 真緒の、俺にも手の届かない部分があって、真緒はその部分を、佐倉さんにだけ見せているんだろうな、って。悔しいけど、そこは勝てないと思うし」
そこで彼は「だから改めて、これからよろしく」なんて手を差し出してきて、私たちはがっちりと握手をした。
……ふうん、この手が御崎を。なんて。
そんなことを考える私は、いやらしい女、だろうか。
でも、上手く言えないのだけど。
私は御崎が好きだけど、御崎と肉体的にどうこうなりたい、とは思っていない。
そこだけは、玄先輩とは決定的に違う。
あんなふうに、御崎にキスしておいて? それに、本人からご要望があれば、応えてしまうんじゃないの? ……それはひとまず、棚に上げておいて。
嘘では、ない。
だけどこの、私が御崎に対して思っている感情は……白黒付けられないグレーの部分が多すぎて、世間一般から見て、わかりやすいものではない、だろう。
きっと誰にも、理解することは出来ない。
+++
大学生のとき。短い間だったけれど、お付き合いらしきものを経験した。らしき、というのは、カレシとまでは呼べないような、曖昧な関係だったからだ。
彼の家のベッドはセミダブルでふかふかで、それまで布団でしか寝たことのなかった大学生の私は、独立してもう少しいい部屋に引っ越したら、次の目標はベッドだ、とか、そんなことをぼんやり考えていた。
「落ち込んでたの、少しは楽になったかな?」
彼に言われ……そうだったのか、と、私はそこで、はじめて気がついた。
「……どうでしょうね」
でも私はそう答え、枕にしていた彼の腕をよけて、本物の枕に頭を移す。
いくつか掛け持ちしていたバイトの中で、夜番で入っていたそのバイト先は、なかなか居心地がよかった。客が帰り閉店してからの、しゃべりながらの作業で、社員もバイトもすっかり打ち解けていて、たまに社員がバイトを、食事や飲みに連れていってくれたりもする。
だが夜遅い時間の仕事は、出勤できるバイトが少なくなることも多く、連日のようにシフトを入れている私は、店長とふたりだけで閉店作業をする、ということもよくあった。で、きっかけは、失恋ホヤホヤの店長を……なぐさめる、そんなことだったのだけれど。
どうしてかそれが一度きりで終わらず(まあ私の好奇心もあったから)、私はその夜も、店長の家に泊まらせてもらっていた。
……そうか。私は、落ち込んでいたのか。
原因は、もちろんわかっている……御崎からの、手紙。
『追伸、です。安達先輩と、付き合うことになりました。』
あれがなんで、ショック? それまでの手紙から、御崎はそのうち、この安達玄という男とそういう関係になるんだろう、そう思っていたことだ。
だけどなんだか、御崎が遠くに行ってしまったようで……私が、御崎から離れて、ずいぶんと遠くに来てしまっんだな、そう感じて。どんなことばを綴って返したらいいのか、わからなくなってしまって。
私は、あの手紙に対する御崎への返事が、書けないでいた。
失恋? いや、なにを言っているのだろう。
こんな私にも……痛む胸、なんていうものが、あるってわけ?
店長を利用して気を紛らわせるような、私に?
「……好きじゃない人とでも、こんなこと、出来ちゃうし」
ふと、そうつぶやいた私の頭上で、店長が吹き出した。
「っ、ふふっ。出来ちゃうもんなんですねえ。それに、」
そう言った彼を見上げると、彼はニコニコと笑っていた。
「……好きな人がいても。その人じゃないほかの誰かとでも、意外とね、出来ちゃったりするから。ふふ、ほんと困るよねえ」
彼の手が伸びてきて、私の頭をポンポン、とたたく。
「でも佐倉さんも、いつか。好きな人とこんなこと、するんでしょうねえ」
しませんよ、という答えを呑み込んで私が黙っていると、彼の手が私の髪の間に指を絡めるように入ってきて、そうかと思うと抜かれ、髪の上から頭を撫でられた。
それから結局。私は御崎への返事に、『そういえば私も、バイト先の人と付き合うことになりそうだよ。』と、しっかり嘘を書いて送った。そして、店長が他店舗へ異動したあたりで『予定が合わないことが多くて、彼とは別れました。』ということにして、その事実にない恋バナを終わらせた。
といっても、御崎からなにかをツッコまれることは、一度もなかった。私が玄先輩とのあれこれをツッコんで訊かなかったように、彼女も、私に訊くのをためらったのかもしれない。照れと遠慮、それと、手紙にそれを書くのはどうなんだろう、という漠然とした恥ずかしさ。
もちろん、玄先輩との恋バナをあまり聞きたくはないかな、という気持ちが、私のほうにはあったのだけれど。
+++
……私は。彼女と、『こんなこと』は出来ない。
出来たとして、そこまでの欲望はない、気がする。
でも……触れたい、とは思う。
そういう衝動は否定できなくて、だから私は高校生のとき、渡された美容室代をケチってマンガ代にする、という御崎に協力する体で、美容室の代わりに髪をカットする役目を得た。彼女の髪に定期的に触れることの出来る、都合のいい口実だ。
御崎のサラサラの黒髪にも興味があったけれど、近くで見る彼女の耳も、白いうなじも、すごくきれいで。髪に隠れてしまうのがもったいない、と思い、『御崎って、実はショートが似合うと思うんだけど、どうかな?』なんて提案もして、ついには私の手で、ショートにしてしまった。
それに、あのあと……私の夢の中で、私が御崎にすべてをぶちまけ、それからレイに会わせてもらった、あと。
二、三日ぶりに御崎の家に行くと、御崎は門のところで申し訳なさそうな顔をして、それを見て、あの夢は本当に現実だったのだ、と思った。
そして図書室まで、彼女の背中を見つめながら……私は、彼女に触れたい、そう思って。
私をすくい上げてくれた彼女が、たまらなく愛しく思えて。
だから。図書室に入るなり、彼女を抱きしめてしまったのだ。
でも、これは、この衝動は。
店長のことを好きでもないのに出来てしまった、いわゆるコッチ側の欲望ではない。
私の場合、それとこれとは別、なのだ。
……御崎のことを。
ただただ、愛おしくて……大事だと、思う気持ち。
まあ、わかんないよね。こんな気持ち、私にしか。
でもだからこそ、これは私だけのもの、なんだ。
<3>
(3850字)
高校卒業で別れて以来、御崎に会わないまま私は大学を卒業し、社会人になった。
いつかもう一度、御崎に会いに行こう、とは思っていた。
でもそれは、いまじゃない。そのうち結婚式に呼ばれるだろうから、そのときだろうか、くらいは思っていた……御崎は結局、結婚式を挙げず、再会したのはあの玄先輩の事故、レイに写真立てで呼ばれたときで、大学卒業からも、2年と半年も経ってしまったけれど。
その間、私は誰かと付き合ったりもせず、淡々と日々を送っていた。
趣味ではじめた写真の被写体は、ほとんどが風景だった。
私が経済的にも自立して、やっと本当の意味で母から離れて、暮らしはじめた街。
ここに、御崎の姿は、ない。
それを確かめるように、私はカメラを構え、シャッターを切る。
ひょっとすると、孤独、みたいなものを。
私はそこに、写し出してしまっていた、かもしれない。
拗ねたように、でも無言で御崎に送り付けたけれど、彼女はそれを見て、本当はどう思っていただろう。
御崎とレイの『闇渡り』を見届けて、その後日。
御崎の横に玄先輩がいても、御崎のそばにいる……そう決めた私は会社を辞め、御崎家に雇われることになった。
御崎の傍らで過ごす、幸せな日々の中で。
私がカメラを向けるのは、風景より、御崎のほうが多くなっていて。
もうしばらくするとそこに、彼女の産んだ娘が加わった。
「パパとー、ママとー、とおこちゃん! ……あれぇ、さーちゃんは?」
少し前に私が撮った写真を手に、十緒子が首をかしげる。あれは、十緒子が5歳くらいのときだっけ。御崎の本家で、あのときはたまたま、私と十緒子のふたりきりだった。
「さーちゃんは、カメラ持ってたからね。そこにはいないんだ」
「そっか! こんど、とおこがカメラするね! ……あれぇ?」
また首をかしげる十緒子の、御崎によく似たやわらかそうな頬を、私は横から眺めている。
「んー? どうしたの?」
「あのね、れーちゃんと、しーちゃん、いっしょにいたのに、いないよ?」
「ああ……うーんとねえ、ヘビ様たちは『はいチーズ』ってしても、写んないんだって。だから、そこにはいないんだ」
「……とおこ、そんなのやだ」
「やだ?」
「いっしょがいいのっ」
「そっかー、困ったねえ」
私が「うーん」と唸って腕を組むと、十緒子も私のマネをして腕を組み、「うーん」と言った。
「あ、そうだ。おばあちゃんのマネしてみよっか?」
ふと、御崎のお母さんの描いた水彩画を思い出した。私は、棚でほこりをかぶっていたスケッチブックと色鉛筆を持ち出してきて、十緒子の前に広げる。
そして、写真を見ながらそこに、御崎と玄先輩、十緒子の姿を描いていった。一時期、漫画家にも憧れてちょっと練習してたから、多少だけど絵は描ける。
結構時間がかかったと思うのに、十緒子はおとなしくそれを横で見ていた。
「よし、パパとママと十緒子は描けたよ。次はレイね。どの辺にいたんだっけ?」
「えっとね、ここ」
「よーし……こんな感じで、いい?」
「うん! あとね、しーちゃんは、ここ」
言われるままそこに、黒いヘビと白いヘビを描き足す。白いヘビは、背景の色の鉛筆で輪郭を描き、それを浮かせるように背景に色をのせた。
「おおー、すばらしいー」
どこで覚えたのか、十緒子がそんなことばを使い、私は吹き出してしまう。
「さーちゃん、さーちゃんもかいて!」
「ええ、私? 想定外、描く場所ないぞ。ええっとじゃあ、この辺にねじ込むか」
そのうち、「とおこも、かく!」と言い出したので、スケッチブックを明け渡し、しばらくして「しーちゃんが、かけないよお」と白の色鉛筆を持って半ベソになった十緒子に、描き方を教えてやり。
れーちゃん、しーちゃん……そして、さーちゃん。
れーちゃん、レイは御崎のヘビで、しーちゃんは十緒子の白いヘビ様。
だから、十緒子に「さーちゃん」と呼ばれる私も、まるでヘビの一匹になったかのような気になる。
「私は、十緒子サマの従者。許されてここにおりますゆえ、だっけ」
私には視えない、白いヘビ様はきっと。すぐ横で、うれしそうにしているに違いない。
「これは、さーちゃんね」
そう言って十緒子が、私のことも描いてくれたから。
ね、きっと同じ気持ちだよね、白のヘビ様。
+++
「おおー、すばらしいー」
御崎が両手を広げ、塗り終えたばかりの爪を照明にかざし、キラキラと反射させるようにしながら、言った。
「佐倉はネイルサロンも出来ちゃうね。私の丸っこい爪じゃ、物足りないんじゃない?」
仕事の、出張先のホテルで。御崎のサポートとして同行していた私は、道具を片付け、大きめのポーチにしまってから返事をする。
「ほかの女の爪には、興味ないからね」
「あら、もったいない……ん、レイ、どうしたの?」
御崎が、なにもない空中を見つめ、言った。
そこには、私には視えない黒いヘビ様、レイがいるはずだ。
「……そう。トケタ、んだ」
「御崎?」
レイから目を離してうつむいた御崎は、眉間にシワを寄せていた。
「どうしたの?」
「レイがね、教えてくれたの。白のヘビ様が、目覚めたようだ、って」
「えっ」
トケタ、は、解けた……十緒子の、あの封印が解けた、そういうことか。
いろいろなことがあって、月日は流れ。
小さかった十緒子は、26歳に……その分私たちも年を取り、立派なオバサンになっていた。
だけど御崎は、若い頃とそれほど印象が変わらない。御崎の従姉の娘さん、華緒子ちゃんもそうだから、きっとこの一族の血筋的なものなのかもしれない。
「それで。十緒子は、無事なの?」
「大丈夫、みたい。でも、どうしよう。レイ、どうしたらいい?」
御崎は顔を上げ、レイに尋ねた。少し間があって、御崎が言った。
「……白のにまかせておけばいいのだ、だって」
「御崎、十緒子に会いにいったほうが、いいんじゃない?」
「でも……そうだね、まだすべての封印が解けたわけじゃない。いま会いに行ったら、余計に混乱するかも。それに、」
なにか言ったレイに返事をした御崎は、今度は私を見て、言った。
「私、恨まれてるんじゃないかな。だから顔見せないほうが、」
「まーた、御崎は……まあでも、そうかもね? じゃあしばらく放っておこう」
「っ、佐倉?」
「ヤバかったら、レイが教えてくれるんでしょ? それによく考えたら、この仕事終わらせてからじゃないと、動けないよ」
「うん……そうだ。そうだね」
それから一か月、二か月、半年が過ぎ……御崎も、そして私も、十緒子には会っていない。
レイからヘビ様経由の情報を聞いたり、実際に十緒子に会った華緒子ちゃんからのメッセージで、近況を知ったりはしていて。
でも、御崎は仕事を理由に、会いに行こうとはしなかった。
実際、華緒子ちゃんが担当の、少しやっかいな仕事のせいで、華緒子ちゃんが遠出出来なかったことに加え、この時期たまたま遠距離からの依頼が多かったせいも、あるのだけれど。
まあでも……いずれ、そのときは来る。
どんなに逃げようとしても、ひとたびそこに呼ばれてしまえば、避けようなんかないのだから。
それはたぶん、運命、というもので。
例えば。私があのとき、小学校の図書室であの本を手にしなければ。
貸出カードに名前を見つけ、本を読む彼女に吸い寄せられて、前に座ったりしなければ。
……それは。
私が、呼ばれてしまった、ということ。
御崎真緒子という名の、運命に。
そして、だからこそ。私はいま、御崎の横にいられる。
あの、えんじ色の布張りの本の、物語の。
主人公には、美しい竜がいて、助けてくれる王子様がいた。
そして御崎には、美しい黒いヘビがいて、玄先輩がいる。
じゃあ私は?
この魔法の世界の魔法を知っていて、でも私には、その魔法が見えない。
つまり私は……この物語の読み手、傍観者なのかもしれない。
だけど私はどうしても、御崎の世界に触れていたかった。
『レイに、私の視る力を呼び起こしてもらう件、だけど。私は、視る力を持たないことに決めたよ』
だからあのとき、この決断をした。
どう考えてもこの方法、玄先輩のいないこの場所を選ぶしか、なかったのだ。
……でも。
『さーちゃん、さーちゃんもかいて!』
十緒子に促され、その絵の中に加えられた私がいて。そうやって私も、この世界の登場人物にされてしまった、そんな気もしていて。
まったくもう、どうして……十緒子に、魔法にかけられてしまったみたいだ、なんて。
そして物語は、ますます終わらない。
そもそも、『この世界を去る前に、おまえがはじめてしまったすべての物語を閉じなければならない』なんてそんなことは、出来るはずなんか、なかったのだ。
だからもう、というか、とっくの昔に、恨むようなことはやめた。
私は父を、母を……恨まない。
でも、許せない、とは思うので、母とは距離をおいているけれど、それはまた別の話。
だって、私は。
もうすっかり御崎の、そして十緒子の世界の登場人物に、なってしまったのだから。
私は十緒子に、名をもらい、名を呼ばれ、そばにいることを許されてしまったのだ。
……なんて、ね。
そうして私、佐倉玲花は。
御崎の横で、閉じられなかった物語を、生きていく。
いのちが尽きる、いつの日か。
レイヴン……レイにまた会える、その日まで。
今度はちゃんと、レイの声も聞いてみたいな。
楽しみにしてるからね、レイ。
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【2023.07.26.】up.
++闇呼ぶ声のするほうへ・各話リンク++
【プロローグ・祝福と名付け、そして母のこと】
【第1章・私は黒いヘビの名を呼ぶ】
【第2章・貴方が私の名を呼んだ日】
【第3章・その目が私を呼んでいる】
【第4章・私をその名で呼ばないで】
【第5章・闇呼ぶ声のするほうへ】/【エピローグ・そして私は彼女の名を呼ぶ】
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#でも遥か遠い昔に読んだからウロ覚えで細かい言い回しが違ってるかもですごめんなさい
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ご来店ありがとうございます! それに何より、 最後までお読みいただき、ありがとうございます! アナタという読み手がいるから、 ワタシは生きて書けるのです。 ありがとう、アリガトウ、ありがとう! ー➖ ー➖ ー➖ ー➖ ー➖ ー➖ ー➖ ー