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「青桜奇譚」読切作品・本編【小説 4998字】

 大学受験失敗。私は勝負すらさせてもらえなかった。試験日にピッタリ合わせるように、私は高熱を出してしまった。治っても気力の湧かない日々が続き、幼い頃からこの大学へ、と言っていた親たちと、少し前まで「出来のいい、手のかからない娘」だった私は、何を話していいのかわからなくなった。

 そのためだけに中学受験までして、そのまま内部進学した高校生活も、大学受験のための勉強しかしてこなかった。そんな薄っぺらな私、青野桜子あおのさくらこというニンゲンは、これで終了。たかだか受験に失敗したくらいで、なんて人は言うんだろうな、と頭の片隅で思う。

 卒業式も、もちろん泣けなかった。冷めた気持ちのまま、整列して祝辞を聞いて歌を歌って、誰かに写真を撮られたりゼッタイ連絡するからねとか言い合ったり、してた。そんな自分にあーあ、ってなっていた私はあのとき、講堂から教室に戻る途中で拾ったそれを、落とし物として届けるのを忘れて、家まで持ち帰ってしまったのだ。

 草むらに埋もれていたそれは、魔法のランプ、だった。何の素材で出来てるんだかピカピカに光っていて、ストラップか何かのチャームが落下したものなんだろう、と思った。ティーポットにしては、紅茶一杯分も入らなさそうな大きさ。教室に戻って、カバンや紙袋に入れた荷物と一緒にしておいて、そのまま紙袋の奥底に沈んでしまったそれは、卒業式から一週間近く経った今、やっと日の目を見て、私の部屋のベッドの上に置かれている。

 しかも、そのかたわらには、魔人。童話やアニメに出てくるような、アラビアンな、笑えるくらいガチのヤツ。
 そいつが、お約束通り、3つの願いを叶えてくれるんだそうで。

 願いはひとつだけ、すぐに浮かんだのだけど。
 とりあえずお試しで、別のどうでもいい願いを叶えてもらうことにした。

「桜の花の色を。青に、変更してください」

 3月の半ば。高校の制服やジャージ、教科書、卒業アルバムなんかをゴミとしてまとめるのを中断し、私は外に出て、願いの効果を確認してみることにした。魔人はベッドに放置して。

 春風に、束ねなくなった肩までの髪をなぶられながら歩く。
 桜は、まだほとんどが蕾で、咲いているのは一部だったけれど。団地の駐車場のも、ヒトんちの庭先のも、近くの幼稚園の園庭の桜も。

 どの桜の花も本当に、青くなってしまった。
 私のせいで。

 魔人によると、私以外の人は、その変化を認識できないのだそうだ。だから、桜が青いのは世間では至極当たり前の話で、誰も騒いでなんかいなかった。たまたま街中で耳にした卒業ソングの、薄紅と歌われていた部分が空色になっていたりして、へえ、と思ったり。

 なんにせよ、これであの魔人の力は実証出来てしまった。
 つまり、私がこれから願うことは、叶ってしまうのだ。

 ……私を、この世から消してください、という願い。

 それはもう決定として、あともうひとつ。
 もったいないし、せっかくだし。
 さて、何をお願いしようか。

+++

 商店街の裏手に都会ならではのコンクリートな川が流れていて、でもその川沿いは、桜並木が美しいことで有名だった。昔からここに住んでるらしき大人の人が「あのドブ川が、変われば変わるもんねえ」なんて言ってるのを聞いたことがある。メディアでもよく取り上げられる桜の名所。私は橋の上に立って桜並木を眺め、満開になったところを想像していた。
 青い花びらが、盛大に散って、川面を埋め尽くす様を。
 でも私はそのとき、ここにはいない、予定。

「あれ、もしかして……やっぱそうだ、青野桜子!」

 呼ばれたほうを見ると、そこには、部屋着っぽいロングスカートにパーカーというラフな格好をした女の子が、ぶんぶんと手を振って立っていた。おでこ全開にして髪を結び、まん丸な眼鏡をかけた彼女の、ぱっちりした目と太い眉毛に見覚えがあった。

「……天野、史佳ふみか?」
「なんだよー、クラス会くらい顔出せよー。小学生のときがラストで、お互い住所しか知らないってのは、不便すぎるよ。元気かー?」
「マスクしてるのに、よく私だってわかったね」
「えー? うん、なんか、シルエットでわかったよ」

 史佳のその、感覚的なところ。変わってないなあ、と思う。
 彼女は小学生のときのクラスメイトで、出席番号が前後していたのもあって、ちょっと仲が良かった。私が中学受験で私立の中高一貫校に進学してから、連絡をとっていなかったけれど。

「ね、春休みだよね、ヒマでしょ? ウチ来てよ。ちょっと助けてほしい」

 引っ張られて史佳の家、商店街から川を渡って一本裏手の路地にある一軒家に連れていかれた。小学生の頃、何度か遊びに来たことがある、そのままだ。

「兄貴と弟がさ、色気づいてホワイトデーのお返しを手作りで頑張っちゃったもんでさ、試作のと失敗のとが溢れちゃって。はじめは食べ放題じゃん、って喜んでたけど、ちょっと限界来てる。とにかく食べて、嫌じゃなければ持ち帰ってくれ」

 史佳の部屋で、袋いっぱいの割れたクッキーと、皿に載せフォークが添えられたつぶれ気味のガトーショコラを前に、私には断る理由がなかった。
 失敗したのは見た目だけ、味はすごくおいしい。

「ちょうどね、桜子のこと、思い出してたんだよね。小学校でさ、桜の下で。ガンガンに花びら散ってて、それを見てふたりで、まるで桜が泣いてるみたいだね、なんて話したこと、あるんだけどさ」

 ああ、そんなことがあったような……とぼんやり思い出しながら、史佳の話を聞きつつ、クッキーに手を伸ばす。

「でさ私、実は、趣味でマンガ描くヒトなんだけどね」
「えっ、すごいね」
「noteっていうプラットフォームに載っけたりしてたら、ちょっと楽しくてさ。今、次回作のために、気合い入れてネーム作ってるトコで、あのときのこと、思い出したんだ。んで桜観に外出て、偶然桜子に会うなんてさ、もー運命的じゃない?」

 史佳が「運命だからね、ちょっと読んでみてほしい」と、A4の紙数枚を手渡してきた。「あ、汚しちゃマズいよね、私の手、クッキーが」「ああ、コレは下書きの下書きだし適当に扱って」と史佳は答え、それぞれのコップにペットボトルの紅茶を注ぎ足した。

 その、史佳のマンガを読んでいくうちに、私ははっきりと思い出した。

 降り注ぐ、桜吹雪の中。
 校庭の鉄棒にぶら下がって、史佳とふたりで話したことを。


『もしも、桜がさ。桜子の名前通り、アオのサクラ、だったら。こうやって散る花びらも、青くなるってことだよね』
『そうだけど、それってあんまりキレイじゃない気がする』
『そんなことない。きっとね、雨みたいなんじゃないかな。雨、涙……桜が泣いてるみたい、かも。うん、なんかイイ。きっといい画になる』
『私の名前、泣いてる桜ってことか』
『アハハ。ごめん、違う、キレイだってことだよ』


 史佳のマンガは、中途半端なところまでしか書かれていなかった。

「桜がね、泣いてるみたいだね、ってこの、登場人物ふたりが話すところまではいいんだけどさ、それじゃ当たり前すぎるし……なんかもっと、桜子と話したとき、クるものがあった気がしてんだけど、それを思い出したくて。ねえ、桜子、なんか思い出してよ」
「……うん、どうだろう、その……私、思い出せない」

 嘘をついた。それに、胸が痛い。

「そっかー。だよね、もう6、7年も前のハナシだもんね。月日の流れ早すぎ、怖っ。ま、でも、もーちょっと粘ってみる。プロでもなんでもないんだけどさ、noteでも読んでくれるヒトがいて……ひとりで書いてたときと、違うんだ。なんか、頑張れちゃうのさ」
「そっか。小学校のとき、ノートに書いてくれたマンガも、写生会の絵も、史佳、すっごく上手だったもんね。あのときのまま、史佳は頑張ってたんだね……」

 私が「そろそろ帰らなきゃ」と、なんとかワザとらしくならないように言うと、史佳がスマホを出してきたのだけれど、私は手ぶらだった。

「ちょっとー、私の話ばっかりで終わっちゃうの、ヤだからね。春休み、もう一回くらい会おうよ。はい、私の番号とアドレス。今日中にメッセアプリ使えるようにするよ! 帰ったらすぐ返してよね!」

 大量のクッキーと共に渡されたメモを握りしめながら、私は家までの道を歩いた。
 ごめん、史佳。
 私があんな願い事をしてしまったから、史佳は話を続けられなくなってしまった?
 私の、お試し、なんていう投げやりな願いのせいで?

 そうだ、ふたつ目の願いで。
 桜の色を、元に戻してもらえばいい。
 だって、元々お試しなんだし。

 私の足は速くなり、でもそれから遅くなった。

 桜の色を、元に戻してもらってから。
 それから、私はこの世から消えるんだ……。

+++

「元に戻す。別に構いませんけど、補正が働くかもしれませんねぇ」

 家に帰って魔人に相談すると、彼はそんなふうに答えた。
 背筋正しくあぐらをかき腕を組み、笑みを絶やさない。
 正直うさん臭くてキモチ悪いのだけど、魔法のランプとほぼ同じ大きさなので、怖さはない。

「補正?」
「例えば、その彼女と偶然あなたは会った、その出来事がなかったことになる、そういう可能性がありますねぇ」

 そうだ。確か史佳は、しっかり思い出せなくて、川に桜を見に来たのだ。もしちゃんと思い出せていたら、私を見つけたりなんか、しないかもしれない。

 でも、だけど。
 この罪悪感を消すには、それしか方法がない。

 私が、史佳の芽を摘んでしまったようで……って何、この言い方?
 嫌な言い方、上から目線?
 私が史佳の、何を知っているというのだろう。
 私がこんなことしなくても、史佳は……。

 願いのことを保留にして、私は史佳にメールを送った。メッセージアプリのIDをつなげたとき、返ってきたメッセージにアドレスが載っていて、それは、noteの史佳のページに私を連れていった。

 ああ、すごいな。
 史佳が、有言実行してる。
 マンガ描くんだって、話してたもんね。
 私と同じ年に生まれたニンゲンが、こうして夢を叶えていく、そのことに。
 鳥肌が、立ってしまう。

 ……私、なんで、泣いてるんだろう。
 史佳に感動して?
 それとも、自分がふがいなさに?

 でも史佳。史佳は本当にすごいね。
 この半月放心状態だった私の、そして私が、たぶん中学生の頃から見失ってしまっていた、その場所。

 ニンゲンを本当に動かしている、その名前のない器官。

 史佳が、史佳のマンガが。
 それがそこにあるんだって、教えるように。
 いともたやすく、触れてきたんだ……。

+++

 結局、私は。
 ふたつ目の願いで、桜の色を元に戻してもらった。
 そして、みっつ目の願いで。
 自分を消すことは、しなかった。

 ふたつ目の願いが叶ったあと、史佳からもらったメモがなくなり、スマホからも番号やアドレス、IDは消えてしまった。
 補正がしっかり働いてしまって、史佳と私は会わなかったことになった、ということだ。
 他の人よりは緩やかだけど、やがて私の記憶にも補正が入ってくるのだと、魔人は言っていた。

 だから、みっつ目の願いで「時間を、ひとつ目の願いを叶えたときまで、戻してほしい」と言い、こうして川に桜を毎日見に来てる理由を、私はいつか忘れてしまうんだろう。

 でもその前に。
 運命なら、史佳とまた会えるはず。

 家を知ってるんだから直接会いに行けばいいのだけど、それは最終手段。その手段はちょっとずるいような気がするし、それに。

 史佳に、見つけてほしかった。
 もう一度、私のことを。

 あの魔人には鼻で笑われた。私が、大学に受かったことにしてくれ、とか、中学高校時代をやり直させろ、なんていう願いを口にしなかったから、だそうだ。

「運命を変える願いがずるいとか怖いとか、おもしろかったですよ。……私ですか? まだあの学園に縛られてましてねぇ、またあそこに戻るでしょうけど、あなたは私のことを覚えちゃいられないし、もう二度と見つけることは出来ませんのでねぇ。それではごきげんよう」

 みっつ目の願いを叶えた魔人はそう言って、ランプごと消えた。

 まだ満開じゃない薄紅色の桜を見ながら、私は願う。

 神様。
 史佳の、あのマンガの続きが、読みたいんです。

 だってこれが、私の運命、でしょう?






「あれ、もしかして……やっぱそうだ、青野桜子!」


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