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50 梨とスイカは大根族

 最近見かけた新刊に『日下を、なぜクサカと読むのか』という本があって、非常に興味深い。まだ読んでいないので詳しいことは言えないが、ようするに地名を軸にした日本語(漢字表記)の不思議に言及した本のようだ。
 で、この書名を見たときに連想したのが、「果物(くだもの)」って読めねえー! ということだった。事前に知ってなければ、「果」を「くだ」とは普通は読めないよねえ……。

 という話はどうでもよくて、今回はフルーツの話。
 皆さん、フルーツは食べますか? ぼくは、食べません。いや、まったく食べないというわけではないんだけれど、日々の食事の中(正確には食事の終わり?)にフルーツを食べるというルーチンがない。
 たまたまメロンをいただいたとか、家族の誰か(たいていは母)が買ってきたバナナが食卓に置いてあって、そこを通りかかったぼくがたまたま腹減りだったとか、そういうイレギュラーな形で食べることはあるけれど、自分から進んでフルーツを買ってきてデザートに食べる、ということは滅多にないのだ。
 ぼくがフルーツを苦手とする最大の理由。それは冷たいから。非常にわかりやすいですね。
 温めて食べる、もしくはギンギンに熱くして食べるフルーツがあったら手を出さないこともないではないけど、寡聞にしてそんなものは聞いたことがないので、フルーツは食べない。
 もうひとつの理由は、面倒臭いから。ぼくが「フルーツ、めんどくさ!」って最初に感じたのは、ブドウです。
 あ、ここで念のため言っておきますが、ぼくはフルーツ全般の「味」は嫌いではないです。どちらかというと好きな方。基本、酸っぱいのが苦手なので、レモン味は避ける傾向にあるけど、味そのものは嫌いじゃない。
 ブドウも、味は大好き。だけど、いざ食べようとするとすごく面倒臭いんだよね。たわわに実った房から一粒とって、指でギューっと押しつぶすようにして中の果肉を口に運ぶ。力が弱ければ果肉は出てこないし、力を入れ過ぎてもいけない。うまくつるんと剥けた皮は捨て、また次の一粒をむしり取り、口に運ぶ。それを何度も何度も繰り返す。ああ面倒臭え。
 ブドウも一粒が夏みかんくらいのサイズで、片手に持って、もう片方の手でバナナのように皮を剥き、ガブリと食えるんだったら食べてやらないでもない。でも、おれに一粒一粒の奴隷労働を課すようなブドウは食ってやらないのだ。ブドウ成分はワインで摂取してるからそれでいいよ。

 滅多にフルーツを食べないぼくが、積極的に食べるフルーツが2つだけある。
 スイカと梨だ。
 いまこうして並べて書いてみて気がついたけど、スイカと梨って似てますね。どっちも水分過多のフルーツで、果肉そのものはどちらかというと大根に近い。そうか、ぼくは大根おろしも大好きで、かなりの頻度で朝食に大根おろしを添えるんだけど、あれは無意識にフルーツを求めていたのかもしれない。
 うちの親父はフルーツ全般が好きな人で、なかでも頻繁に食べていたのがスイカだった。夏になるとほぼカバのようにスイカを食べていた。さすがに皮と種は残していたけど。
 いまの我が家は三人家族なので、スイカを丸ごと買っても持て余してしまう。なので、地元のスーパーで売っているカットスイカを買ってきて食べることにしている(この「カットスイカヲカッテキテ」って、声に出して読むと気持ちいいな)。
 梨は、ぼくの中ではプチスイカという位置付けで、シーズンになると自発的に買ってきて食べる。唯一、そしてもっとも好きなフルーツと言ってもよいだろう。そういえば、ガリガリ君も梨味ばかり買っている。
 梨を食べたくなったとき、梨はスイカのようにあらかじめカットして売られていることはないが、気にせず丸ごと買ってきて自分で皮を剥く。いちおう日々の炊事で包丁の扱いには慣れているし、「梨を食べたいという気持ち」が「皮を剥く面倒臭さ」を余裕で上回っているので、まったくその労を厭わない。

 おそらく日本の成人男性で、年間のフルーツ消費量を計測したら、ぼくはかなり底値の方に来るのではないかと思う。それくらいフルーツを食べない。
 酸っぱ嫌いのぼくは滅多にレモンサワーを飲まないけれど、酎ハイすらも注文しなくなってしまったのは、メニューに「酎ハイ」と書いておきながら、しれーっとレモンサワーを出す店が多いからだ。そこは日本中の酒場で是正していただきたい。
 そうか、ぼくがホッピーを大好きになったのは、その背景にフルーツ嫌いが影響していたのか。

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とみさわ昭仁
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