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29 顔のある肴

顔のある肴について考えてみた。

当たり前の話だが、野菜に顔はない。野菜というか、植物は回転体の構造になっているから、どちらが正面というのはない。前も後ろもない。顔がないというのはそういうこと。花を顔とする考え方もあるが、今回はそういう概念の話をしたいのではなくて、本来の意味での顔の話だ。そもそも、白菜とかキュウリに目鼻が付いていたら、おっかなくって食えたもんじゃないよ。

というわけで、野菜を使った肴はここで全部退場。

肴の材料で顔があるものといったら、やはり生き物だ。肉類の供給元としての生き物。牛とか、豚とか、馬とか。でも、それらが顔付きのままで酒の肴として供されることはまずない。肉は切り分けられ、煮るなり焼くなり好きなようにされる。これを日本語で「料理」と言います。だから、肉類の肴を前にしても、生前のご尊顔が目に浮かぶことはまずない。

ステーキ屋に行くと、鉄板が牛の形をしていることがある。せっかく切り身にして、かつてはそれが命であったことを感じさせないようにされているのに、あの鉄板の牛と目が合ったりして、ぼくは気まずい気持ちなる。

動物の顔にだって肉はあるので、食えないことはないと思うが、牛の顔を食べるという話は聞いたことがない。せいぜい舌(牛タン)くらいのものだろうか。

豚は骨以外捨てるところがないので、顔だって食べる。とくに沖縄民は食べる。以前、那覇の牧志市場に行ったとき、豚の顔を燻製状にしたものがズラッと並んでいるのを見た。なかなか壮観な光景だった。あれをどうやって食うんだろう。

豚の顔面の中で、もっともポピュラーなのは耳だ。いわゆるミミガーというやつ。あれはうまい。ぼくも台湾料理屋に行ったら、ほぼ例外なく注文する。

初めてミミガーと出会ったのは、ファミコン神拳の仕事をしていたときだ。いまでも神保町で経営を続けている「台南担仔麺(タイナンターミー)」で、小皿料理のひとつにあった。当時はミミガーなんて名前じゃなくて「富貴耳(フークェイヒー)」といった。それを覚えて店員さんに「青島(チンタオ)とフークェイヒーちょうだい」なんて慣れた感じで言うのが業界人っぽくて嬉しかった。

顔のあるなしで重要なファクターとなるのは、そのサイズ感だ。魚介類を例にとって考えてみよう。

鮪や鰹のような大型魚は、顔が付いたままの状態で食卓に上ることは、まずない。そりゃそうだ。あれを丸焼きにして出されても困る。一方、鯛は「尾頭付き」というくらいで、丸焼きにされることが多い。鰯、秋刀魚(さんま)なんかも丸焼きグループに属する。グループの皆様方には、丸焼きされるにちょうどいいサイズに生まれてきたことを恨んでいただくしかない。

枝豆とか、カキフライとかをつまみながら最初の瓶ビールが空いた頃合いで、日本酒に切り替える。そうなればつまみは焼き魚だ。旬のものの中から秋刀魚を選ぶ。

ほどなくして焼きあがった秋刀魚が出てくる。皿の上で秋刀魚はこんがり焼けた身を横たえている。足元(尾っぽ側)には大根おろし。秋刀魚を焼き魚にする場合、頭を落とすことはまずない。ほぼ100パーセント尾頭付きで出てくる。

「いただきまーす」と言って箸をつけようとするとき、ここでもまた目が合ってしまう。鉄板の牛と違って、こちらは本物の目だ。いくら焼かれて白濁していても、目は目だ。しかし、りんごが何も言わないように、魚も何も言わないので黙って箸をつける。ああ、うまい。哀惜の念と感謝の気持ちがせめぎ合う。

このように、魚の丸焼きは頭が付いていて当たり前なのだが、その大小を問わず、魚を刺身にして食う場合は頭が付いてこない。鮪、鰹、鰤、鯛、鮭、鱸、鰈……寿司屋の湯呑みじゃないんだから適当に切り上げるが、とにかく刺身は切り身だけが出てくるのが基本だ。

ところが、日本には刺身でありながら頭も付いてくる場合がある。そう、姿造り、もしくは活け造りというやつだ。

お造りというのは、魚の身を三枚にそぎ取って刺身にし、残った尾頭付きのガンバラ(背骨)の上に盛り付けたもののことを言う。このとき、内臓も削ぎ落として魚が死なせたものを姿造り、内臓を残して生かしたままにしてあるのを活け造りという。見たことあるでしょう? 皿の上で尾がピクピクしていたり、口をパクパクさせていたりするやつ。

活け造りの魚と目が合うのは、焼き魚どころではない罪悪感を味わわせてくれるが、それはそれとして、こうした丁寧な仕事ぶりは日本食の誇らしいところでもある。

それと正反対な光景を、ずいぶん昔にテレビで見たことがある。

ロシアだかノルウェーだったか忘れたが、とにかく北方の国で、水揚げされた大量のアワビを加工する工場の様子が映された。ベルトコンベアに乗って流れてくるアワビを、作業員がひとつひとつナイフで殻から身を取り外す。

ご存知のように、貝というのは生命力が強いので、殻を外されたくらいで死にはしない。裸にされたアワビは恥ずかしそうに身をよじって、グネグネと動いている。これを刺身包丁でスッスッと切ってそのままわさび醤油で食ったらさぞかしうまいだろうなあ……と日本人なら思うところだが、かの国の工場ではそうならなかった。

次の工程でアワビの周辺のビラビラしたところをハサミで大胆に切って捨て、残された身の本体部分を、大胆にもハンマーでベッタンベッタンぶっ叩き、せんべい状にしてしまったのだ。それがコンベアでドン流れていく。扱いが「食材」ではなく完全に「素材」。あれはすごかったな。

貝の顔はどこだ? いや、貝は顔に見立てるよりも性器に見立てられることの方が多い。じゃあ、貝が性器に見立てられるようになったルーツはいつから始まっているのか……という話は酒友1号キンちゃんとよく話すネタだが、それはまた別の話。

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