見出し画像

廃墟の記憶

 本プロジェクトのために、2022年4月よりチームメンバーは毎月一回、定例ミーティングを開いている。そこでメンバーはそれぞれが気になるものや興味ある話題を持ち寄り、意見交換をする。そこでタジリ社長が何度かにわたって提示してきたのが、何冊もの「廃墟」の写真集だった。

左:廃墟の歩き方(2002年/イーストプレス) 右:廃墟漂流(2001年/マガジンハウス)

 社長は、なぜこれほどまで廃墟に執着を示すのだろう。話を聞いてみると、それは少年時代の思い出に由来するという。

「これまでいろんなところで語ってきたので、知ってる人も多いと思うけど、子供の頃、ぼくは町田市の都営住宅に住んでたんだよね。近所には自動車教習所があり、そこは土日が休みだったものだから、ゴルフ好きな人たちがその敷地を利用してゴルフの練習をしに来るんだ。さらに、その近くには廃墟となったプール施設もあって──」

 ゴルフ練習場での打ちっ放しのように、ボールをカッ飛ばす練習者たち。そのうちのいくつかは敷地内を飛び出し、プール施設のある方へ転がっていく。そして、残された水の中にポチャン。
 少年というのは、ボールが好きなものだ。ゴムボール、軟球、ピンポン玉。テニスボールは表面がケバケバしていて感触がおもしろい。ゴルフボールには飛距離を伸ばすためのディンプル(えくぼ)加工が施されており、それもまた好奇心を刺激される。
 タジリ少年は放置されたゴルフボールを拾うため、ひと気のない時間を見定めてプール施設に忍び込んだ。ボールはたくさん浮かんでいて、いくつでも拾い放題だった。拾ったボールは焚き火にくべるとパンっと弾けて、それがまたおもしろかった。
 プールに残された水はひどく濁っており、藻が繁殖した水はザリガニの棲み家にもなっていた。タジリは虫捕り少年でもある。廃プールに棲みつくザリガニを野生と呼んでいいのかはわからないが、ともかく野生のザリガニを捕れる秘密のポイントを見つけて、虫捕り少年の血が騒がないわけがない。紐の先にサキイカを結びつけて最初の一匹を釣り上げると、今度はそのザリガニの殻を剥いて餌にして、次々と釣っていった。
 廃墟というものに対するタジリの興味は、少年時代の好奇心を飛び超え、ゲームデザイナーという職業におけるダンジョン作りに昇華されていった。トキワの森も、イワヤマトンネルも、12番道路の釣りの名所も、すべては少年時代に育んだ廃墟への憧れが形になったものだ。

 今回、ミーティングでタジリ社長が持参した廃墟の写真集は2000年代初頭に出版されたものが中心だったが、現在でも廃墟に関する書籍は出版され続けている。
 また、YouTubeで「廃墟」と検索すると、ビデオカメラを片手に廃墟へ侵入する動画がいくつもヒットし、その再生回数はどれも数十万回を超えている。自ら廃墟に足を踏み入れるような人間は稀でも、安全な場所からそれを閲覧しようとする人々はとても多い。みんな廃墟が好きなのだ。
 日本では、過去に何度か廃墟ブームが起きている。海外でも廃墟を探索する趣味はあるのだが、日本における廃墟への関心の高さは、少しばかり海外とは事情が異なる。その背景にあるものは空襲によって成された戦後の焼け跡の記憶と、いまもその姿を留めている原爆ドームの光景だろう。日本人は、敗戦で一度はどん底の絶望感に叩き落とされながらも、一転して戦後復興という希望の光を見たことで、廃墟というものにロマンすらも感じているのかもしれない。
 すでに戦後70年以上もの年月が流れ、さすがに空襲の痕跡を都市部で見つけ出すことは困難だが、兵庫県の三宮駅には神戸大空襲の痕跡がいまも残っていることはよく知られている。あるいは、軍艦島こと長崎県の端島は海底炭鉱の採掘事業で日本復興の礎となったが、1974年に役目を終えて以降、いまでも廃墟化した姿を海上に晒し続けている。(文責:とみさわ昭仁)

気が向いたらサポートをお願いします。あなたのサポートで酎ハイがうまい。