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03 岩手から千葉のママへ電話した夜

岩手の造り酒屋に喜久盛酒造という老舗の酒蔵がある。明治25年に岩手県の北上市で創業し、現在は五代目を数える藤村卓也が取り仕切っている。

この酒蔵を代表する酒は、社名を冠した「喜久盛」の他に、地元の伝統芸能を材に取った「鬼剣舞」があるが、なんといってもその知名度を全国に広めたのは、五代目の考案した「電気菩薩」「タクシードライバー」といったサブカル酒である。名前と見た目が奇抜なので話題作りを狙ったこけおどしの酒ではないかと思われるかもしれないが、いやいや、ひと口飲んでみればすぐわかる。老舗の技術に裏打ちされた深い旨みを含んだいい酒だ。

で、ここから話はガラッと変わる。

ぼくは2012年から2019年まで神保町で古本屋をやっていた。その間にはいろいろなことがあったのだが、それはまた別の機会に書く。

店の常連の一人に、山田さんという男がいた。彼はレトロゲームが大好きで、うちの店の主力商品のひとつであるレトロゲームに関する書籍を買いに、度々顔を出してくれていた。接客ついでに言葉を交わすうち、いつしかぼくは彼と仲良くなり、店を閉めたあと二人で飲みに行くほどの関係になっていた。

あるとき、山田さんは「実は自分も古本屋をやってみたい」と言った。本業は別にあったが、近いうちにそれを辞め、自宅の近くに店舗を借りて古本屋を開業するつもりだと言うのだ。商品の大半は、自分の趣味に合わせてゲーム関連書籍だ。

偶然の神というのはいるもので、ぼくが自分の店──マニタ書房を閉業するタイミングと、彼が自分の店──すずめ出版の開業準備を始めるタイミングが見事に重なり、マニタ書房の閉店時に残った在庫は、すべてすずめ出版が引き取ってくれることになった。お互いWIN WINである。

さて、ここで最初に書いた喜久盛酒造の藤村社長がふたたび登場する。

この藤村社長、若い頃は大のゲームファンで、ゲーム雑誌は片っ端から購読していた。学校を卒業後、東京へ出てゲーム制作会社に就職をしていたが、27歳のときに先代の社長だった父が病に倒れ、家業を継がなければならなくなった。そして、いまに至るというわけだ。

ぼくは藤村社長と友人関係にあり、マニタ書房を経営していたときに、いちど彼の蔵書を買い取ったことがある。「マイコンBASICマガジン」「ログイン」「ファミコン通信」などなど。いまでは希少性の高くなった雑誌がたくさんあった。

これらを段ボール箱にして3つほど買い取っただろうか。あちらは不要になった青春の思い出を現金に換えることができ、こちらは売れ筋のいい商品を仕入れることができ、これまたお互いWIN WINである。

そのとき、藤村さんは「まだまだゲーム雑誌はあるので、また買い取ってくださいね」と言っていた。こちらとしてもそれは大歓迎。近いうちに──と思っていたのだが、家庭の事情でぼくはマニタ書房を閉店せざるをえなくなった。そして、ぼくと入れ替わるように、ゲーム関連書籍を主軸に据えたすずめ出版が開業する。

もうおわかりだろう。藤村さんの残りのゲーム雑誌は、すずめ出版が買い取ることになったのである。

ぼくは山田さんを藤村さんに紹介するだけでよかった。だが、岩手にある喜久盛酒造 兼 藤村さんのご自宅にゲーム雑誌を買い取りに行くという、想像するだけでもおもしろそうな旅を、山田さんだけに独占させるわけにはいかない。

くっついていきましたね。用もないのに。

往路の行程や買取の様子は、ここでは省略する。重要なのは、その日の夜だ。買い取りを済ませたらすぐにトンボ帰りしてもいいのだが、どうせなら一泊して、岩手の夜を楽しみたい。この土地ならではの渋い居酒屋、愉快な店を訪ねてみたいではないか。

「ならば、ぼくがいい店に案内しましょう」と藤村さんは言った。酒蔵の社長が、地元の酒場を案内してくれる。これはたまらない!

こういうときよくある困ったパターンが、せっかく東京から来てくれたんだから、地元でいちばんいい店の個室を予約しておきましたよ! というやつ。これは困る。ぼくは酒を飲むときに、そういうラグジュアリーさを求めてはいない。

そうではなくて、ぼくが行きたいのは地元のおっちゃんたちが通う大衆店だ。値段も手頃で、気兼ねせずに済むような場所。それでいて、郷土のうまい肴があり、地元の酒も飲める……。いや、郷土料理ともまたちょっと違うな。伝統的な祝い料理の「味ぶかし」とか、ドラマ『あまちゃん』で有名になった「まめぶ汁」とか、そういうものを求めているわけでもないからだ。

もっとこう「え、何これ?」って言いたくなるようなもの。「岩手、関係ねえー! でも他では見たことねえー!」ってなるようなもの。わかっていただけますかね。で、それをちゃんとわかっていただけているのが、藤村さんなのだ。だからもう、この日は彼にすべてをお任せすることにした。

最初に連れてってもらったのが、水沢にある「やきとり道場 みちのく」という店。かなり年季の入った煤けた店で、雰囲気は抜群。焼き鳥も旨味たっぷりでおいしい。店としてはどこも変なところはないが、でっかいスズメバチの巣がいくつもぶら下げてあるのがよかった。

続いては、少し腹ごしらえをしましょうということで、「まるぶん」という名のおにぎり屋へ。メニューはおにぎり各種と、味噌汁が各種あって、あとはビールなど少しのドリンク類のみ。その潔さがいい。そして、ここのおにぎりはなぜかトンガッテいるのである。この握り方が影響するのか、米粒がふわっとしてうまかったなー。

さて、コーンヘッズ的おにぎりを堪能したあとは、また飲み直しますかということで、スナックなどが立ち並ぶエリアに足を向ける。そこで藤村さんがチョイスしてくれたのは、いちおう名を伏せるが「K」というナイトパブだった。

やや野太い声で歓迎してくれたのは、入念にメイクを施したママ。我々は口開け一番の客だったので、他には誰もいない。自分からは絶対に足を踏み入れないタイプの店にも行けてしまえるのが、旅の醍醐味というものだろう。

薄い水割りを舐めながら、それぞれの簡単な自己紹介をする。ぼくが千葉県に住んでいると言うと、ママはなぜか異常に盛り上がり、千葉の店にも電話をかけようと言う。どういうことかというと、以前、一緒の店に勤めていた仲間が千葉市で自分の店を開いたので紹介するわ、と言うのだ。

同じ千葉県といっても松戸市と千葉市はかなり離れていて、同じ千葉県という気がしない。松戸市民にとっては葛飾区(東京都)や三郷市(埼玉県)の方がよっぽどご近所さんだ。でも、まあ、今夜は旅の夜だ。話はおもしろい方へ転がったらいい。

水沢のママは千葉のママに電話をかけ、簡単な事情(ここに事情なんてあるんだろうか?)を話すと、ぼくと電話を代わった。

「あ、どうも、松戸から水沢まで飲みに来た、とみさわという者です」
「やーだー、松戸ってどこ?」
「あ、だから千葉県です」
「そうなの? なんでもいいから千葉に来たらいちど飲みに来てね!」
「はい、ぜひ……」

まったく、なんだかわからない夜である。ぼくは岩手という地名を聞くと、どんな名所旧跡よりも、どんな郷土料理よりも、超嬉しそうに微笑みながらぼくにスマホを手渡してくれたママの顔を思い出す。

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