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21 床下からバルサン(下北沢編04)

 下北沢編01で書いたように、法人化する前のゲームフリークは、茶沢通りと梅ヶ丘通りの交差点付近にあった8畳ほどのアパートに事務所をかまえていた。そこから、法人化してすぐに下北沢の一番街を北西へ抜けた先、環七にほど近いところのマンションに移り、さらに数年して社員が10人近くまで増えたのを機に、下北沢の繁華街にある第2鈴木ビルというところへ移転した。
 音楽好きの人ならわかると思うが、この第2鈴木ビルというのは、2015年の5月まで1階に「イエローポップ」という有名中古レコード店が入居していた黄色いビルだ。そして、酒好きの人には2階に「ジャンプ亭」という居酒屋が入っていたと言った方がわかりやすいだろう。
 このビルの3階にゲームフリークが入居し、やがてぼくが正社員として加わって出版部門を設立したのを機に、4階も借りることになったのだ。初代の『ポケモン 赤・緑』はこのビルの中で開発されたので、ここがポケモンの故郷と言うこともできるだろう。

 ゲームフリーク時代、会社のみんなといちばん多く利用した酒場がどこだったかを考えているのだが、なかなかひとつに絞れない。でも、会社に近い(近いどころか真下)ということで、ジャンプ亭にもよく行った。六角形の角材に書かれたメニューが天井からぶら下がっていたのを覚えている。名物メニューが「カッパのたたき」で、きゅうりを割り潰したものにごま油と塩と一味唐辛子を振った簡単なものだがうまかった。ある日、深夜に残業をしていたら3階の床下から白い煙が這い出してきて焦ったことがある。どうやらジャンプ亭がバルサンを炊いていたのだった。
 会社の斜め向かいにある焼き鳥の「陣太鼓(ずんでこ)」にも何度か行った。この店では、焼き鳥を焼くとき右手でつまんだ塩を左の手のひらに打ち付けてパッと塩振りする特徴があり、会社で仕事をしていると窓の外から「パン! パン!」とその音が聞こえてくるので、よく仕事を放り出して飲みに行きたくなったものだ。
 下北沢の飲食店で、もっとも有名なのはどこかとアンケートを取れば、おそらく1位に輝くのが「珉亭」だろう。昼休みに名物のラーチャンや江戸っ子ラーメンを食べに行くことが多かったが、夜は2階の座敷を飲み屋としてもよく利用した。場所的に下北沢の再開発でなくなってしまうのを覚悟したが、奇跡的に移転もせず、いまだにあの場所に残っているのはすごいことだね。
 ゲームフリークはその後も下北沢で発展を続け、社員が30人近くまで増えると第2鈴木ビルでは手狭になり、北沢タウンホールの真向かいにある柏サードビルの3階と5階に移転。さらに従業員が増えると、一番街にも別のマンションを借りた。その頃はもう40人くらいになっていただろうか。
 最初は友達同士の関係から会社を立ち上げ、その後も基本的に友人知人の紹介などでスタッフを増員してきたのでゲームフリークは社員間の仲が良く、しょっちゅう飲み会をやっていた。新年会、忘年会は言うに及ばず、新人歓迎会、送別会も頻繁に行われた。
 会社の飲み会ではいくつかの居酒屋をローテーションで使っていたが、いつしか代沢5丁目にある「都夏(つげ)」の2階の座敷が、ゲームフリークの御用達となった。ぼくが1994年に会社を辞めて独立したときも、そして2002年に復職したときも、ここでみんなに祝ってもらった。

『ポケモン』を世に送り出して以降、ゲームフリークの発展は加速をつけ、もう下北沢では増え続けるスタッフ全員を収容できる物件はなくなっていた。それで三軒茶屋のキャロットタワーにオフィスを移すことになるのだが、ゲームフリークにとっても、ぼく自身にとっても、下北沢という街は特別な意味のある場所であり、その後も事あるごとに下北沢には通い続けることになる。

 下北沢編、まだまだ続くのです。

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