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02 苦くて面白い泡の味

 初めて酒を飲んだ日のことは「酔ってるス」の第19回にも書いたが、親父が松戸に家を建て、その建前(上棟式)のときに親父からお神酒のおすそ分けをもらった。
 それ以前から、親父が晩酌で飲んでいるビールの「泡」を悪戯的にもらって舐めることはあった。同じことをした人は少なくないはず。初めての酒体験のアンケートを取ったら、「父親のビールの泡」は1位とは言わなくとも、かなり上位に入って来ることだろう。
 当時はアルコールと言ったらビールか日本酒くらいしかなかった。ウィスキーも出回ってはいたが、うちの親父はそんなハイカラなものを飲む柄じゃない。
 焼酎は、戦後に出回ったカストリ焼酎などの極端に質が低いアルコールのイメージが抜けきれておらず、一般人は滅多に焼酎など飲んでいなかったのではないか。肉体労働者(トラック野郎)だった親父は、もしかしたら焼酎も飲んでいたのかもしれないが、親父がコップに注いで飲んでる透明な液体が日本酒なのか焼酎なのかを見分けることは、小学生のぼくにできるはずもない。
 日本酒とビールを比べた場合の当時(昭和40年代)のコスト感はわからないが、日本酒は一升瓶で買い置きしておいて、いつでも飲むことができるのに対して、ビールは「今夜は飲むぞ」というとき朝から冷蔵庫で冷やしておき、晩酌の際にスポンと栓を抜く儀式感があるから、日本酒に比べて少しばかり特別な飲み物だったのではないかと想像できる。実際、ぼくの記憶の中の親父はいつも日本酒ばかり飲んでいて、ビールはごくたまの贅沢のように飲んでいるものだった。だからこそ、親父がビールをコップに注いだときに泡立つ様子が珍しく、「おとうさん、泡、なめさして!」と言い出したのだろう。
 そして、親父はそれを叱るでもなく、むしろ積極的に勧めてくるような人間だった。
 初めて舐めたビールの泡の味は、「おいしい」というより「面白い」が最初の印象だ。なにしろ、ぼくが子供の頃は泡の飲み物なんて滅多に飲めなかったから。コーラを飲むようになるのはまだまだ先。おそらく高校生になった頃ではなかったか。

 昭和40年代あたりの子供が日常的に飲むのは、まずは「水」。それも水道水を蛇口からダイレクトに飲む。小学校の蛇口はそれをしやすいように上を向く構造になっていましたね。
 家で子供が飲んでいい2大ドリンクは、おそらくどこの家庭でも「麦茶」と「カルピス」だ。カルピスは原液を希釈して飲むものなので、各家庭によって濃度が違う。我が家のようにあまり裕福でない家は、長持ちさせるため薄めに作る。だから、お金持ちの友達の家に行ったときに出されるカルピスが濃いことに驚いたりするわけだが、薄い味に慣れて育っているので、濃いめのカルピスをとくにおいしいとは感じなかった。カルピスは濃けりゃいいってもんではないと、いまでも思う。ホッピーと一緒だね。
 後年になって、公式からカルピスウォーターが発売されたとき、日本中の人々がその味を基準にして、自分の家がどちら側だったのかを突きつけられたのではないか。
 子供にとってもうひとつ重要なドリンクには「牛乳」だ。学校給食に出る牛乳はご馳走で、ぼくは大好きだった。体質的なのか、好き嫌いなのか、牛乳が飲めない子も何人かいて、給食の牛乳はそこそこ余る。ぼくら牛乳大好きな連中は放課後に給食室へ行き、余った牛乳をもらって一気に2~3本飲んだりしていた。
 昭和懐かし話の定番として出てくる「渡辺のジュースの素」も飲んだ覚えはあるが、味はどうだったかな。1969年、つまりぼくが8歳の年に人工甘味料チクロの使用が禁止され、渡辺のジュースの素は自然消滅していった。
 デパートに行くと、屋上のゲームコーナーなんかにジュースの自動販売機があった。機械の上がガラス瓶になっていて、噴水のようにオレンジジュースが吹き上がっているやつだ。あのジュースもたいしてうまいわけではないが、噴水はいつまでも見ていられた。「バヤリース」は銭湯の帰りに買ってもらうものだった。
 怪しい人工甘味料のジュースと入れ替わるようにして登場したのが「三ツ矢サイダー」だ。強炭酸なんて言葉はまだない時代だったが、シュワシュワした炭酸による刺激と清涼感には感動した。その感動は「スプライト」の登場でさらに上書きされていく。
 ぼくが親父のビールの泡をもらうことを覚えたのは、ちょうどその頃だ。苦いけど、面白い。「なんでおとうさんはこんなニガイものをうれしそうに飲んでいるんだろう?」不思議な気持ち。
 ぼくがビールという飲み物に清涼感や開放感を感じられるようになれるのは、もっとずっと後になってのことだ。

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