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23 モギという男と嫉妬する妻(下北沢編06)

 旬亭で知り合った友達の中で、いちばん一緒に飲んだ酒の量が多いのは誰だろうか。考えなくてもわかる。あの男だ。

 旬亭に通い始めた当時のぼくはまだ喫煙者で、ジッポーライターをコレクションすることに夢中だった。ゲームデザイナーとしての代表作『メタルマックス』にちなんで、戦車がデザインされたジッポーを買ったのを皮切りに、気に入った図案のものや有名な記念モデルなど手当たり次第に買い始めて、10~20個は持っていただろうか。普段愛用しているのは自分の名前を刻印したやつだが、ときにはその日の気分に合わせて別のジッポーを持ち歩くこともあった。Niftyサーブ(パソコン通信)のコレクター会議室に出入りし、そこで全国のジッポー・コレクターたちと情報交換に勤しんでおり、人並み以上にジッポーには詳しい自信があった。
 通い始めた旬亭で、たびたび見かける常連の一人にモギさんという人物がいた。いつもカウンターの端に座り、ときにはマンガ雑誌を読みながら一人で飲んでいたり、ときにはマスターとカウンターを挟んでポーカーを楽しんでいたりした。うまく言えないのだけど、ぼくと彼とは何か空気感が違うというか、どことなく気が合わないような感じがして、最初のうちは話しかけることもなく、微妙に距離を置いていた。
 モギさんも喫煙者で、ジッポーマニアのぼくはモギさんもタバコに火を点けるときはジッポーを使っていることは気がついていた。でも、ジッポーを使う人は珍しくない。ところが、あるとき彼はいつも違うジッポーを持ってきていることに気がついた。
 あれ? この人いくつジッポー持ってるんだろう?
 それで初めて話かけてみた。すると、彼はぼくよりもずっと古くからのジッポーの愛好者で、所有している数もぼくより全然多いことがわかった。しかも、ここが重要なことなのだが、彼はコレクションしているジッポーは基本的にすべて使うのだという。これには驚くと共に、頭をガツンとやられる思いだった。
 ぼくはパソコン通信でジッポー・コレクターたちと知り合うことで、コレクターなら持っているべき有名モデルの知識を得て、買い集めたそれらを未使用の状態で飾るなどしていた。でも、ジッポーというのは本来は野外での過酷な使用にも耐えうる「道具」であり、使ってこそ意味のあるものだったはずだ。だから、モギさんのように「入手したものは使ってあげる」というのは、圧倒的に正しい。それこそが本当のコレクターではないのか、とすら思った。
 それ以来、ぼくは彼に一目置くとともに、ジッポーを通じてすっかり仲良しにもなった。これまでの酒場で偶然会う関係から、待ち合わせて一緒に飲みに行くことが多い関係に変わった。

 ぼくと妻は、旬亭の常連仲間が企画した合コンで知り合った。当時の彼女は、飼っているシベリアンハスキーを連れて雪山に行き、犬ぞり競技をやるような人間だった。それと関係あるのかはわからないが、付き合い始めた頃から毎冬「スキーに行こうよ」と誘われていた。でも、ぼくは製図会社に勤務していたとき会社のみんなとスキーに行って、そこで先輩のスパルタ式指導でスキーが嫌いになってしまっていたので、彼女からスキーに誘われても、のらりくらりと逃げていた。
 ところが。モギさんと友達になってみたら、彼も大のスキー好きで「一緒に行かない?」と誘われた。最初は妻にお願いされたときと同じく断っていたのだけど、でも、ちょっと待てよ? とも思った、
 モギさんはジッポーのことでも、酒のことでも、マンガのことでも、何かと説明が上手で話がおもしろい。それは、彼の編集者という職業に由来するのかもしれないが、スキーも彼と一緒なら楽しいのではないか、という気がしてきた。それで、ある年の冬に神立だったか菅平だったか場所は忘れたが、三人でスキーに行ったのだ。
 集合は当時ぼくが住んでいた明大前のマンション前。当時のぼくは免許がなかったので、妻が犬ぞり用に購入したワゴン車で来てくれた。夜にそこを出発して、昼前くらいにスキー場に着いたら半日滑りまくって、夕方には現地を引き上げるというスケジュールだ。
 妻はほとんどお酒を飲まない人だったので、往復の運転を引き受けるから「あんた方はうしろで好きに飲んでていいよ」と言ってくれた。出来すぎた妻である。
 そう言われて遠慮する我々ではない。明大前を出発してすぐに近くのコンビニに寄り、酒とつまみを買い込んだ。このとき手にしたのが、どのメーカーだったかも覚えていないが、名前だけは一生忘れない「清酒 大統領」だ。裏のラベルには「厳選されたカリフォルニア米を、シェラネバダ山系の伏流水で醸造し──」などと書かれており、モギさんと二人でゲラゲラ笑い合った。
 いま振り返っても酷い夫である。妻の側からすれば、惚れて一緒になった夫を何度誘ってもスキーには行ってくれなかったのに、男友達に誘われたら呆気なく態度を変えた。しかも妻に運転させて、自分らは後部座席で宴会を初めてバカ笑いしてるのだ。「アタシといるよりモギさんといる方が楽しそうじゃん!」とは何度も言われたが、だからといって「会うな」とも言われたことはない。モギさんと飲みに行くときだっていつも笑顔で送り出してくれたし、終電を逃せばどんな遠くの駅までもクルマで迎えに来てくれた。あの頃に妻から受けた恩を、ぼくは最後まで返せなかった。
 モギさんとは、いまも変わらず酒友としての関係が続いている。その話も、この先きっと書くことになるだろう。

※写真は妻が飼っていたハスキーの弦之助。若い頃はこの写真のように白黒がパッキリ分かれていたが、晩年は毛色がボヤけてきて、全体的にネズミ色の犬になってしまった。


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