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30 名店酒風景シリーズ その2「かどや」

取材で京都へ行ってきた。新幹線による道中のお供は毎度おなじみ「深川めし」と缶酎ハイ。平日の午前中とあって車内は白いワイシャツの皆さんばかりだが、遠慮などするもんか。かすかな走行音だけが聞こえる客室内に、プシュッと泡の音が響きわたる。

取材を無事に終え、その日は一泊する。京都の夜は地元の友人と過ごした。彼の家に荷物を置かせてもらい、二人で夜の街へ繰り出す。酒温度を同じくする人間と飲む酒はいいものだ。その日は二軒ほどハシゴをした。

だが、ぼくには悪い癖がある。旅に出ると、どうしても一人で飲みたくなっちゃうのだ。

そこで、翌日は京都からまっすぐ帰ることをせず、JR京都線で大阪へ出た。わざわざにぎやかな大阪の街へ行き、猥雑さの中で孤独を味わいたかった。となると、地元民しか行かないであろう酒場がいい。誰も知り合いのいない世界。完全なる余所者。そういう状態に身を置いて隅っこで飲む……。

大阪の中でもぼくがとくに好きな町なんばに出て、あちらこちらとうろついた。これまで何度か行ったことのある店もあるが、今回はそういう気分じゃない。大阪においてぼくは余所者だから、地元民が集う店というのは足を踏み入れにくい場所であり、それでも何度か行っているということは、そこは“入りやすい”店なわけだ。だけど、いまの気分はあえて入りにくいところ。酒の初心者なら怖れをなして足が竦むようなところ。そんな店に行きたかった。

千日前から難波センター街を抜け、四つ橋筋を渡ろうと歩いていく途中で、見つけた。それが豚足の店「かどや」だった。

まだ平日の明るい時間なのに、店内をのぞくと5、6人の先客が飲んでいる。店のキャパに対して3分の1程度の埋まり具合い。これがいい。あまりにぎやか過ぎても落ち着けないし、客が少な過ぎても気まずい。いい店を見つけても、客の入り具合いが自分の望む条件に合わずに退散することが、ぼくにはよくあるのだ。

この店にドアはない。開けっ放し。ぼくは「何度も来てますよー」という雰囲気を醸し出しながら店に入り、カウンター前の丸い椅子に座った。とはいえ、東京言葉しか喋れない初顔の客が入ってくれば、店の人には余所者であることはバレバレなのだが。

食い物のメニューは大きく分けて3種類あった。「豚足」と「もつ焼き」と「焼き肉」。東京の店なら迷わず「もつ焼き」を頼むところだが、これがメニューを見てもよくわからない。「マメ」ってのは腎臓だっけ? 「ツラミ」はカシラとは違うのかな? 「ココロ」は……ああ、ハツか。東京とは呼び名が違うので、どうにも戸惑ってしまう。

「焼き肉」とか頼んで七輪が出てきても面倒だし、ならばわかりやすいものがいいかと、滅多に食べない「豚足」なんぞを頼んでしまった。酒もまた地域が異なると頼み方が変わったりするので、ここは無難に瓶ビールといこう。生ビールなんて気取ったものはハナから置いてない。

注文すると、すぐに店員さんがネギの乗った小皿をセットしはじめた。赤いタレに浸かったネギとキャベツ。ネギはスペアまで置いていってくれた。気が利いてる。そしてビールが来ると、間をおかずに豚足も出てきた。とくに変わったところはないが、一人前でもなかなかの量だ。手でつかんでタレにつけてかぶりつく。うまい。うまさの正体は、例のタレだ。このタレがとにかくうまくて、どんどん減っていく。豚足を食べ終えても、骨をタレにつけてしゃぶっているだけで酒が飲める。

店の仕組みがわかったところで、落ち着いて周囲の客を観察してみる。なるほど、もつ焼きは一皿3本の値段のようだ。ぼくの斜向いに座っている地元のおっちゃんが、呂律の回らない舌で「あんちゃん焼き肉くれ!」と大声を出す。怒っているわけじゃない。おそらく長年の飲酒で音量のコントロールが効かなくなっているのだろう。その後、ブツブツと一人で意味不明なことを喋っているから、他にもいろいろ壊れているのかもしれない。

少しして、店員のあんちゃんが持ってきた焼肉を見ると、それは豚バラ肉の串焼きだった。おっちゃんは焼き肉の串にかぶりつきながら、なおも意味のわからないことをつぶやいている。店員のあんちゃんはその前に立ち、「へえ、そうか~」と相づちを打っている。あんちゃんの顔が天使に見えて、それ以来ぼくは大阪へ行くたび、この店に顔を出す。

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