05 浅草の住宅街に出現したスターゲイト
酒場の業態にもいろいろあるけれど、「もつ焼き屋」というのは下町系酒場の中でもある種の顔を担っていると言ってもよいだろう。
もつ焼き屋で飲んでいるときに、うまそうな写真を添えてTwitterにつぶやいたり、もつ焼きのことをコラムのネタにして様々な媒体で書いたりしているので、とみさわは相当なもつ焼きマニアに違いない、かなり昔からもつ焼きを食べ歩いてきたはず、と思われているかもしれない。
だが、全然そんなことないの。
日記を掘り起こしてみたら、2006年の5月までは下北沢にあった「いくどん」という店にハマって何度も通っている。だが、これはあくまでも七輪の網の上で牛や豚の内臓肉を焼いて食う「ホルモン焼き」という認識であって、自分はもつ焼きを食っているという意識ではなかった。
ところが、同年の8月から綾瀬の「大松」に行き始めている。あそこは豚の内臓肉を串に刺して焼いてくれる、いわゆる東京下町スタイルのもつ焼き屋の有名店であり、このときから自分はもつ焼きというものを意識して食べ始めたことになる。たったの16年前だ。60歳のジジイにとって、16年前なんてついこの間だ。
でも、その16年前に、ぼくの中で確実に「ホルモン」→「もつ」へのコペルニクス的転回が起こっていたのだ。焼き肉の一種としてのホルモン焼きと、焼き鳥の一種としての豚の臓物串が、そのどちらでもない「もつ焼き」という独立したおつまみなのだと、自分の心に刻まれた瞬間のことは忘れられない。
その日以来、都内のもつ焼きの名店を巡り始めた。もつ焼きは主に東京の右半分で発展した食文化なので、そちらに名店が集中している。それらを一軒一軒訪ねて歩き、もつ焼きの真髄を確認して回った。
それまでは、酒を飲むといったら友達を誘って適当な居酒屋へ行くか、所属する組織の飲み会といった形で、複数人で飲むのが常だった。一人で飲みに行くことなんて、ほとんどなかった。
ところが、もつ焼き屋の存在を知ってからは、一人で飲みに行くことが格段に増えた。いや、一人飲みすることの方が多くなったほどだ。それくらいもつ焼き屋というのは、一人でしみじみ飲むのに適していたのだ。
その店とは、様々なもつ焼き屋を訪ねて歩いていた2012年に出会った。
浅草六区にあるホッピー通りを過ぎ、その先のひさご通りもくぐり抜け、言問通りを横断したら千束通りを北上する。マツモトキヨシが見えてきたらひょいっと右折する。すると、住宅街の角に突如としてその店が出現する。
浅草でも観光客の目には届かない、もつ焼きの名店「喜美松」である。
この記事のアタマに上げてある写真を、いま一度見てほしい。なんと素敵な店構えだろうか。明かりの灯る大きな赤提灯。小首を傾げる信楽焼の狸。そしてなんといっても目を引くのが、店の入り口の引き戸をぐるりと囲む巨大な輪っかだ。これは、日本酒の醸造元で実際に使われていた酒樽を再利用したものだろうか。あるいは、それを模したレプリカだろうか。
いずれにせよ、この大きなアーチがもつ焼きに誘われた酒飲みたちを招き寄せる。ぼくも、これに誘われてフラフラとここまでたどり着いた人間の一人だ。
喜美松は、下町系のもつ焼きというには店の内装も上品で、あのガヤついたは雰囲気はない。メニューが古代文字で書かれていることもない。もつ焼きも、もつ刺しも、どれも味は絶品だった。
浅草は、それ自体にタイムトンネル的な側面を備えた町でもあるが、その奥地にある喜美松のアーチは、間違いなく、ぼくをもつ焼きの深みに導いてくれるスターゲイトだった。
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