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20 東京下町のもつ焼きを求めて

ここらでぼくがいちばん好きなつまみの話をしたい。それは「もつ焼き」。いまでこそ当たり前のようにもつ焼き屋へ通うようになったが、それができるようになるまでには、ちょっとした迷い道があったのだ。

あれは20年ほど前だったか。なんとなく焼き鳥のことを考えていて、そういえば焼き鳥を盛り合わせで頼むと、ごくたまに何だかやけにうまい串が混ざっていることがあったのを思い出した。一人で飲み歩くようになってからは、「ネギマ」とか「とり皮」とか、食べたいものをピンポイントで注文するから、味に疑問はない。仲間と数人で飲み会をやったときの大皿に、“それ”が混じっていたりするのだ。

あれはなんだったのだろう。ネギマじゃないし、とり皮でもない。レバでも、砂肝でもなかった。ひょっとして鶏肉ではないのか? たしか店員さんは「モツヤキ」と呼んでいたような気がする……。

その時点まで、ぼくは「モツヤキ」という言葉は知っていても、それが具体的に何なのかは知らなかったし、調べようとも思わなかった。ただ、ぼんやりとした「うまかった……」という記憶と、ふいに思い出された「モツヤキ」という言葉が、そのとき初めて一致した。自分の中にモツヤキ=もつ焼きというものを意識する気持ちが生まれたのだ。

もつ焼きを、もういちど食べてみたい!

そう思ってネットで検索してみたが、出てくるのはホルモン焼きのことばかりだった。ピリ辛の味噌ダレに漬け込んだ内臓を、鉄板や七輪で焼くホルモン焼きだ。関西では「てっちゃん」などと呼ばれている。それなら焼肉屋で食べたことがある。たしかにあれはうまい。だが、ぼくがいま求めているのはそれじゃない。串に刺した内臓を炭火で焼いたスタイルのもつ焼き。ぼくが望んでいるのはそっちなのだ。

なぜ検索で出てこないのか、しばらく悪戦苦闘するうちにわかってきた。当時、この分野に不案内だったぼくは、調べるべき「もつ焼き」のことを「モツ焼き」と入力していた。この片仮名の「モツ」のせいで、関西のホルモン焼きが数多く引っかかってきていたのだ。

いまでこそ、東京下町スタイルのもつ焼きを食わせる店は増えたので、片仮名で検索してもそれらの店が結果に出てくるようになった。だが、あの頃は店の数が少なかったうえに、そういう店は地元のおっちゃんたちに愛されて成り立っている世界だから、ネット上で話題になることはごくまれだったのだ。

ともかく、紆余曲折を経て「もつ焼き」という正しい表記で検索をした瞬間、一気に目の前の景色がひろがった。

上野の「大統領」、浅草橋の「西口やきとん」、町屋の「小林」、綾瀬の「大松」、亀有の「江戸っ子」、金町の「ブウちゃん」、松戸の「開進」、そして立石の「宇ち多"」に、森下の「山利喜」……。

もつ焼きというのは、そもそもが東京の東側を中心に栄えている食文化だから、ぼくにとって馴染みのある土地にその名店が集中していた。なかでも松戸〜金町〜亀有〜綾瀬のゴールデンラインは、ぼくの通勤経路でもある。

早速、翌日から気になる店を訪ね歩いてみることにした。最初に行ったのは上野の大統領だ。まだガード下の店しかなかった頃である。

狭い店のカウンター席について、もつ焼きの基本であるシロ(豚の小腸)をタレで頼む。ビールをひと口、ふた口、飲んでる間にすぐ焼きあがってきた。もつ焼きは、焼き鳥に比べて焼き時間が短いのもありがたい。タレがたっぷりかかったシロをひと口かじって「あっ、この味だ!」と思った。記憶の中にある味だ。

それ以来、もつ焼きの有名店を食べ歩く日々が始まる。常磐線遠征をひと通り制覇して、もつ焼きの聖地と言われる立石にも行った。所詮は豚の臓物なので、お世辞にも上品な味ではないのだが、それでも各店ごとに串のスタイルや、焼き方、タレの味に違いがあるのがおもしろかった。

もつ焼き屋巡りを始めて、ずいぶん後になってから訪問したのが森下の山利喜だ。もつ焼きよりも煮込みが名物で、東京三大煮込みの名店と謳われる店である。そんな由緒ある店だから、もったいぶって後回しにしたのかというと、そういうわけではない。なぜなら、ずっと昔、この店には何度も来ていたからだ。

ぼくは山利喜のある森下町に隣接する、千歳町というところで生まれ育った。子供の頃は、日が暮れるとよくオフクロから「晩ごはんだからお父さん呼びにいっといで」と言われて、近所の飲み屋で一杯やってる親父を迎えに行ったりしていた。そんな親父の行きつけのひとつが、まだ町の小さな赤提灯でしかなかった山利喜だったのだ。

ぼくが迎えに行っても、すぐには帰りたくない親父は、バヤリースオレンジを注文する。ぼくがそれを飲んでいる間に、ビールの残りとつまみをゆっくり片付けるわけだ。

ときには串焼きを1本くれることもあった。それがぼくの深い記憶にあったもつ焼きの味だったのかどうかは、あいにく覚えていない。なにしろ50年以上も前のことだから。唯一覚えているのは、目の前のカウンターにトリスおじさんの楊枝入れがあったことだ。

当時からそうだったのか、後に味を改良したのかはわからないが、山利喜は煮込みのうまさが大当たりして、数十年前に大きなビルへと改装された。支店もいくつか出来ているようだ。

ともかく、やっとその存在に気づいた「もつ焼き」と、それを食わせてくれる「もつ焼き屋」いう楽園には、酒飲みの喜びと懐かしさが詰まっている。そりゃ懐かしいに決まってるさ。なんせ、ぼくにとっては50年間を振り返るに等しいわけだから。

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