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34 糸引くうまさ

納豆が好きなんである。子供の頃から好き過ぎて、ずーっと食べてきた。納豆さえあれば、おかずはいらない。自分で炊事をやるようになって、このありがたみは益々深まっている。ぼくの納豆愛は60年間、途切れずに糸を引いているのだ。

そもそも親父が大の納豆好きだった。母も姉も納豆好きで、我が家では度々食卓に上った。あまり裕福でない家庭の強い味方。昔は藁に包まれたやつを自転車で売りに来てましたね。台所から声をかけて呼び止め、それを買う。『ひみつのアッコちゃん』の歌に出てくる「納豆売り」は、昭和30年代の東京下町では当たり前の光景。

納豆をこねるのは親父の役目だった。でかい茶碗に刻んだネギと納豆を入れ、味の素を振りかけたら箸でかき回す。しっかり糸を引いたら醤油をかけ、さらに撹拌してとろみが出てきたら完成。昔の納豆にはタレなんて付属していなかったから、醤油が味付けの主役。カラシも付いていなかったように思うけど、そこはちょっと記憶が曖昧。できた納豆を食卓の中央にドンと置き、「早く食わねと無くなっとー(納豆)」っていうのが、親父の定番ギャグ。一度ウケると何度でも同じことを繰り返す、ダメな芸人みたいな人だった。

娘がまだ小さかったときは納豆が好きで、納豆めしなら喜んでパクパク食べてくれた。妻は病気の治療でワーファリン(血液をサラサラにする薬)を服んでいたので、医者から納豆は禁じられていた。娘とぼくが食う納豆めしを恨めしそうに見てたっけ。あまりにも納豆を食わせすぎたのか、大人になった娘は納豆嫌いになってしまった。もしかしたら妻の呪いかもしれない。

納豆は酒のつまみとしても大活躍する。ぼくが綾瀬・大松の「厚揚げ納豆」に何度も引き寄せられていることは、以前にも書いた(「酔ってるス」第45回参照)。厚揚げの他にも、納豆は様々なつまみにプラスできる。鮪のブツにonすれば「まぐろ納豆」、イカの刺身にbesideすれば「イカ納豆」、油揚げの中にamongすれば「巾着納豆」である。納豆をかき混ぜているときの音って、betweenって感じしない?

納豆を食べるとき、ぼくはカラシを入れたい派だけど、母が辛いものがダメなので我が家では入れられない。納豆に入れるカラシなんて少量だし、たいして辛くないと思うのだが、イヤだイヤだと粘られるので、こちらが諦めるしかない。

他に何を入れたらうまいかね? ぼくは食に対しては保守的なので、あれこれ試すということをほとんどしない。たまにやるのは刻んだオクラを入れるくらいかな。糸引き食材同士なので相性がいい。

ゴマ油を少し入れるとうまいと聞いて、あらゆる液体の中で酎ハイの次くらいにゴマ油が好きなぼくは早速やってみたが、油のせいで納豆の粘り気がゆるくなってしまい、どうもピンとこなかった。しらすは悪くないかもしれない。細かく刻んだタクアンとかどうかな。

昔の藁包み納豆は、それひとつで一家4人が納豆めしを食えるくらいの分量があったが、いまの納豆は発泡スチロールで一人前パックになっている。使い勝手が良いのはいいことだ。とはいえ、少食のぼくにはあれでも少し多い。母と二人で分け合うにはちょうどいいけど。

久住昌之さんの名著『タキモトの世界』に大好きな話がある(正確には久住さんの文章ではなく、巻末に南伸坊さんが書かれた解説にそのエピソードが出てくる)。どういうものかというと、写真家の滝本淳助さんは納豆が大好き。しかし、一人で食べるには量が多い。それでどうするかというと、めしにかける前に納豆単独で半分くらい食べてしまう。で、

〈へらした分なかったことにして、はじめて、納豆でメシを食うワケ〉

というのである。「へらした分なかったことにして」って! 初めて読んだときは腹がよじれるほど笑ったが、ものすごく共感もしたな。

引用ついでにもうひとつ。東海林さだおさんの「丸かじり」シリーズというこれまた名著があるが、その『駅弁の丸かじり』に〔納豆の糸だけ蕎麦〕というレシピが登場する。

まず、ちょっとした蕎麦屋に行くと「納豆蕎麦」というメニューがある。これはもり蕎麦の上に納豆をかけたものだが、店によっては他に大根おろしをのせたり、天かすやワカメをのせたりとバリエーションがある。まあ、ようするにまぐろ納豆の蕎麦版と思えばいいだろう。

これはこれでうまいのだが、ショージ先生は〈納豆のゴロゴロが、せっかくの蕎麦の感触を損なう〉とおっしゃられる。たしかに、蕎麦つゆというのは醤油味が基本だから、納豆の味も香りも蕎麦には合うのだが、豆本体は食感の邪魔になる。そこで、納豆の糸だけを利用して蕎麦を食べようというわけだ。

〈蕎麦ちょこに、大サジ1の納豆を入れてよくかきまわす。その上から、蕎麦つゆをそそぐ。納豆の上二センチのところまでそそぐ。そそいだらもう一度かきまぜる。あとは、ふつうに盛り蕎麦を食べるようにして食べる。ただし、底に沈んだ納豆には触れないように食べる。〉

蕎麦をすすると、納豆のとろみを含んだつゆが一緒にずぞぞぞぞ……と口の中に入ってくる。これは納豆好きにはたまらないものがある! そのうち絶対マネしてみようと思った。

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