34 林の奥の焼酎仙人
やきものに夢中になった時期がある。やきもの、といっても焼き鳥とかもつ焼きのことではなく、陶器だ。益子、笠間、信楽、伊賀、備前……といった陶芸の里へ出掛けていっては、お気に入りの酒器を買い集める。なんだ、結局は酒のためか。
ぼくは酒そのものの味にはあまりこだわらないが、酒をどういうシチュエーションで飲むかは、面倒なほどに試行錯誤する。やれ、温度はどうか、合わせる肴はどうか、器はどんなものがいいか。
学生時代、ビールから酒に入門し、ウイスキー(の水割り)で強い酒にも慣れていった。やがて、日本酒が飲めるようになったあたりから、本格的に酔っぱらいの世界に足を踏み入れた。そのときに興味を持ったのが、ぐい呑みだったのだ。
最初は安価な大量生産のもので満足していたが、そのうち作家物の陶器を買い集めるようになった。そのきっかけには、酒と旅を愛するライター仲間のK氏からの影響がある。彼とは、20代から30代にかけてのあいだ、本当によく一緒に国内旅行をした。行くのはすべて酒と肴がうまい土地ばかりだった。
あるとき、K氏から「家に来ないか」と誘われた。彼は岐阜県で生まれ、大学への進学を機に上京し、しばらくは都内で暮らしていたが、ライターをはじめて何年目かに埼玉県の飯能に居を移した。元々東京の喧騒が好きではなく、田舎暮らしをしたかったのだという。
彼は「家の近くに風変わりな陶芸家がいる」と言った。陶芸家として有名とは言い難いけれど、なかなか個性的でおもしろい人物らしい。フリーライターなのに東京を離れて飯能に移り住むK氏だって相当な変わり者だと思うが、家族をほっぽらかして林の中の庵でひとり土をこねる陶芸家も、たしかに変わり者だ。
そりゃ行くわな。そんなおもしろそうな誘いを断る理由はない。
池袋から西武池袋線に乗る。所沢から西武秩父線に乗り換え、しばらく走ったところの無人駅で降りた。駅前には何もない。雑草の生い茂る道を歩くこと数十分。ヤブ蚊の襲撃をかいくぐった先に、その庵はあった。玄関らしき引き戸は開け放したままで、中に入ると床は土間。部屋の中央には囲炉裏がこしらえてあった。周囲の壁には棚が造りつけてあり、そこに様々な作品が並べられている。
それらの作品がどういうものだったか、ここでは寸評しない。当時は陶器の善し悪しなどわからなかったし、いまだってわかったとは言えない。ただ、それで酒を飲みたいと思わせるかどうかの、好き嫌いがあるだけだ。そういう意味で、飯能の先生の作る酒器は、酒を飲んでみたい気持ちにさせるだけの力はあった。
並んだ作品を見ていると、奥の窯場から先生が出てきた。蓬髪に無精髭で作務衣を身に付けた先生は、まるでコントのようにどこから見ても“陶芸家”だ。そして自分の椅子にどっかりと座ると、軽い口調でこう言った。
「焼酎しかないけど、きみらも飲むか?」
このときまで、ぼくは焼酎を飲んだことがなかった。いや、正確に言えば、一度だけ口にしている。だが、どうにも口に合わず、二度と飲むまいと決めていたのだ。
だけどね──。
草木の生い茂る林の奥の庵で、陶芸家の先生と対面し、その先生が自分の作品であるぐい呑みを差し出して「一緒に飲もう!」と誘ってくれているのだ。酔っぱらいとして、こんなに愉快なシチュエーションはないだろう。これを断るなんてできっこない。だから、ぼくらは迷わずぐい呑みを受け取り、焼酎を注いでもらった。そうして、ぐいっと口に含んだ。
このとき飲んだ焼酎は、素晴らしくうまかったなあ。
……と言いたいところだが、実際にはゲフッとむせた。ぼくが焼酎を飲めるようになるには、まだまだ経験が足りなかったのだ。