見出し画像

11 割れたぐい呑み

ぼくが好んで飲むのは酎ハイがもっとも多く、その次に赤ワイン、あとはごくたまにビール。日本酒を飲むことはほとんどない。飲めないわけではないが、体質に合わないのか、日本酒を飲んだ翌日はかなりの確率で二日酔いになる。

そんな自分だが、ごくたまには日本酒を飲むこともあるので、そういうときのために、家には20個ほどのぐい呑みがある。ありすぎるね。

 なにしろ凝り性なものだから、ひとつの趣味にはまってしまうと、止まらなくなってしまう。20代の終わり頃、焼き物に魅せられて、ぐい呑みを集めることに夢中になった。骨董の壺や抹茶椀なんかに手を出したらいくらお金があっても足りないが、新作のぐい呑みだったら、たとえ作家物でも数千円で手に入る。自分の気に入ったデザインの器で酒を飲む快楽を、たったの数千円で手に入れられるのだとしたら安い娯楽ではないか。

会津、笠間、益子、月夜野、美濃、常滑、伊賀、信楽、備前、砥部……。フリーランスという立場を利用して、日本中の窯をずいぶん訪ねて回った。行く先々で酒を飲み、気に入った器があれば買い求めた。その結果が20個のぐい呑みだ。

なかでもとくに気に入っているのが、伊賀で買ったものだ(ヘッダの写真参照)。ぼくは端正な姿の焼き物には興味がなく、ゴツゴツとして、無骨な感じの、いかにも「元は土でしたーっ!」という感じのものが好きだ。伊賀焼きのそれは、ひと目見た瞬間に惚れ込み、値段も見ずに購入した。会計の段階で「1万2千円です」と言われて「ハウウウ~~ッ」となったが、もう引き返せない。

うっかり割ってしまうのが怖くて、普段使いすることは滅多にないが、デカイ仕事をやり遂げたり、娘の受験が成功したり、私生活で何かいいことがあったときには、ちょいと高めの吟醸酒を買ってきて、こいつでキュッと飲むのを楽しみにしている。もちろん、使い終わったあとは誰にも洗わせず、自分で手入れして桐の箱に戻している。

志野焼のいいぐい呑を愛用していたことがある。ふわふわと白い雲がまとわりついたような形をしたそれは、ちょっと甘めの純米酒を飲むのにぴったりで、大好きなひとつだった。

これを、ぼくは当時、行きつけだった下北沢のバーのマスターに預けた。そこではいつもボトルキープしてあるジンのソーダ割りを飲むのだが、気まぐれで冷酒を飲むときがある。そのときに、店が用意した適当なグラスではなく、自分のお気に入りのぐい飲みで飲みたかったのだ。つまり「ぐい呑みのキープ」である。

一年ぐらい、その状態は続いただろうか。あるとき、いつものようにそのバーへ行って、ジンソーダを2杯か3杯飲み、日本酒へ切り替えた。マスター、あれ出してちょうだい。

その途端、マスターの表情が曇り、沈鬱な声で謝られた。「とみちゃんゴメン、あれ割っちゃった」と。

もちろん、最初にぐい呑みを預けるときにそんなことは覚悟している。落とせば割れるものを他人様に預ける以上、いつかは割れても文句は言えない。それを覚悟したうえで預けている。割られたからといって、こちらが怒る筋合いはない。

笑顔で、「そりゃ仕方ないよ。覚悟はしてた。気にしないで。マスターはなんにも悪くないよ」と言いながらも、きっとぼくの顔には「マジかよ、フザケンナ、ぜってぇコロス!」って書いてあったと思う。

これに関してマスターは加害者ではなく、100%被害者だ。そもそも、大切なぐい呑みを店に預けるような真似をした時点で、すでにぼくが加害者だ。マスターは洗い物をするたびに「これを割っちゃいけない」と、しなくていい緊張をしたはずだし、実際に割ってしまった瞬間、ぼくへの巨大な罪悪感を背負ったはずだ。でも、そんなことはぼくがぐい呑みを預けさえしなければ、感じずに済んだものなのだ。

馴染みの店ができて、ちょっと大人の酒飲みになった気がして、粋がって酒器を店にキープするなんてことをしてしまった。そして、それと引き換えに背負わなくてもいい罪をマスターに背負わせてしまった。

早川義夫は言った。「かっこいいことはなんてかっこ悪いいんだろう」と。以後、ぼくは酒場で風流ぶったり、通ぶったり、常連ぶったりすることは、とてもかっこ悪いことなのだと肝に命じている。

気が向いたらサポートをお願いします。あなたのサポートで酎ハイがうまい。