コロナで自由と不自由の一端を垣間見る

普段は週一のペースで1つのテーマについて書いているが、日記的なものも不定期で書いていこうと見切り発車で書き始めてみる。

コロナ明けで部活が始まったらなかなか続かなくなるかもしれんが…

ということで日記に関しては特に見出しも付けづにつらつらと思うがままに言葉を並べていこうかなと。常体で。おそらく完全に自分向けの文章になるだろう。

自粛が始まって2週間くらい経つわけだが、とにかく時間の流れが今までとは違う。自分で使える時間が大量にあると思って色々とやりたいことを考えるが、気付いたら夜になりベッドに入っている。

最低限のルーティンワークは決めつつも、アウトプットする場も少ないから、成長できてるか実感も湧かない。毎日何か一つでも昨日より成長できているのだろうか。不安だ。

部活もない、学校もない、書類提出もメールでやりとり、外に出る用事もない。というか外に出ちゃいけない。確かに世間が言うように、行動は制限され不自由この上ないことは事実だ。

一方で、こんな日々でも実感できたこともある。それは、自分で自分の時間を全て決められるということだ。自由は自分のことを全て自分で決められることとはよく言うが、こと時間に関しては今以上に自由なことは今後ないかもしれない。社会人も時間に関しては余裕ができた人の方が多いだろう。

少し分析してみると、一番大きな要因は移動時間かもしれない。これを機に移動時間の価値に気づいた人が増える可能性は高い。リモートワークの可能性も広がったこのタイミングで、日本人のライフスタイルも転機を迎えたりするのかな。

僕自身は大学の寮生活を通して、いかに高校時代の移動時間で貴重な時間を浪費していたか知ったけど、そういった人が増えて、住む場所を変える人が出てくるかもしれない。

会社の近くに住む人が増えたり、リモートワーカー専用の街ができるかもしれない。フリーランスの人とかもそこに住めるかも。そうすると、交通の便の価値が下がり住みやすさの価値が上がるかもしれないし、都会よりも郊外が好まれるかもしれない。不動産の新しい動きにつながったら面白そうだなと何となく思ったりもする。

自然に囲まれ、質の高いカフェがたくさんあり、ジムもある。自転車や車を街全員でシェアして、スパで色々なバックグラウンドの人とコミュニケーションを取る。生産性を追い求めた人たちが集まり、さらなる生産を生む。そんな街に住みながら仕事をする環境も可能性の一つとして浮かぶかもしれない。

ただ、今僕が考えることはそんなことじゃなくて、これまでの学生・野球生活でどれほど自分を律することができるようになったかってことだ。

不自由の中でも与えられた自由をどれほどうまく活用できるか。そこに取り組めれば、振り返った時にこの時間も無駄じゃない、むしろ必要だったと思えるかもしれない。

今日も一日良い日にしていこう。


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