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オリエントの航跡 文化との出会い、その感動と犠牲

 この記事では、青山涼が作曲したマンドリン合奏曲「オリエントの航跡」の詳細な解説を行います。ただし音楽理論の解説ではなく、どういう経緯・発想で曲を作ろうとしたのか?ということについての解説です。

タイトルの意味

 まず後半の「航跡」については、船が水上・海上を通った後に残る波や泡が航跡で、タイトルが意味するのもこの通りです。

 では「オリエント」という言葉は何を指すのか?

 オリエント【Orient】はラテン語の【oriens】をその語の由来とし、〈昇る〉という意味から派生して太陽が昇る方向、すなわち東方を意味するようになりました。
 ローマから見た東方、ヨーロッパから見た東方、オリエントが示す範囲・場所は時代とともに変化していきます。しかし共通するのは、異文化を東方世界に発見した時、その語が使われるということです。

 私が「オリエント」をタイトルに使った目的は、異なる文化同士の融合をその一語で表現できるのではないか、と期待してのことでした。つまり「オリエントの航跡」を意訳すると

【船による異文化交流の後に残った波】

 ...ということです。大変修飾の多い文ですが、【波】が主たる被修飾語であり核となる言葉であることが明らかになりました。しかしこれだけでは何を言いたいのかわかりません。残った【波】とは何のメタファーなのか?これが本曲のテーマと深く関わっています。

 タイトルについてはここで一旦切り上げ、テーマを紐解くための周辺要素を順にご説明いたします。


・Where?-舞台は海のシルクロード

 シルクロードといえば、ラクダの隊商が広大な砂漠を歩んでいく...というようなイメージがあるかもしれません。シルクロードは直訳すると絹の道。これは絹のような道ではなく絹を運ぶ道ですから陸路でなくても使える言葉ですし、金も運ばれたことから金の道、砂漠のオアシスを通ることからオアシスの道と呼ばれるなど呼称も様々で、交易路と言い換えることもできます。そして船を使った交易路のことを、海のシルクロードと呼びます。

・When?-時代は定めない

 シルクロードは、古くは地中海-中国間の、後にはその他東西間の交易路をも指すようになり、現代でもその意味を拡大しながら使われている言葉です。(2010年代以降には、新たな海のシルクロードとして北極海航路が注目されています)
 よって、オリエントの航跡は海を用いた交易路がある限りは決して時代に縛られません。

・Who? & What?-異文化交流の担い手は普通の人々

 冒険家ならともかく、貿易のための航海に従事するのは高貴な人々ではなく、歴史に名を残すようなこともない普通の人々です。航海の危険性から、時代を遡れば遡るほどその傾向が強くなると思います。オリエントの航跡は誰か主人公を設定して個人を追う...という話ではなく、数え切れないほど多くの名もなき人々が、時代を超えて海を船で渡っていったという構図・構造を描いています。
 その担い手たちがどういう意識だったのか(Why?)はわかりませんし、例え心構えがわかるような資料が発掘されたとしてもそれが全員に適用される事実ではありません。だから勝手に想像して担い手たちをヒロイックにすることはしませんが、私は人によって紡がれた歴史に感動するし、今私たちが享受している文化の礎を築いてくれたことに感謝をしています。それら私の心の動きが、オリエントの航跡を作曲した動機となっています。

 まとめますと、オリエントの航跡は

時代を超えて海を渡っていった航海の担い手への敬意】

を表現している曲であるということです。


残った【波】とは?

 ここで、タイトルの意味に戻ります。

 "船による異文化交流の後に残った波"がその本意であると冒頭に述べました。交流のその先ではなく、残されたもの(=過去・失くしたもの)に私は作品のテーマをフォーカスしているということです。

 ずばり言うと、【残った波】とは【海難事故で海に沈んでいった人々】のメタファーです。

 もちろん、異文化交流の担い手は海だけを使ったわけではないし、山でも谷でも砂漠でも不運が起きて犠牲となった人はいます。
 しかし海で亡くなった場合、人の体はやがて沈んでいくという点が他と大きく異なっていて、海水面を境界とする此岸・彼岸という演出が可能ではないか、と考えました。オリエントの航跡では、基本的に短調の部分は海中、長調は海上の世界を表しています。(後半は崩れていきますが)

 つまり、曲としてのメリハリの付けやすさから海という舞台を設定しましたが、犠牲となった人々への敬意というテーマは舞台を変えても何ら変わることはありません。


終わりに 

 「オリエントの航跡」は、構想段階も含めると制作に一年以上かかった作品です。完全オリジナルのマンドリン合奏曲としては、私にとって初となる作品だったので慣れていなかったということもありますが、自分で設定したテーマの重さが余計作業を難しくしたな、とも思います。
 作りながらテーマを修正したりなど、スムーズな制作とは言えませんでしたが、作品として持つ雰囲気・世界観は一本筋の通ったものになっているのではないか、と思います。(制作中に【アラビアの道-サウジアラビア王国の至宝展】を東京国立博物館にて鑑賞したことは良い体験でした)

 大学で作曲を勉強して以降「オリエントの航跡」まで、私が作ったマンドリンの曲は「evergreen」「海辺の時計台」「サムライ」の三曲です。どれも作曲家としての物心がついて以降の、と言いましょうか、未熟ながらある程度のクオリティで、当時のベストを尽くして作ることができた作品だと思っています。

 「オリエントの航跡」がそれら三曲と異なるのは、空想を主として作られた曲ではない、という点です。

 リアルや史実、事実を積み重ねていった先に現れる感動は、空想とはまた違う魅力があるのではないかと個人的には考えていて、例えば日常で起きる面白いこと、感動することは大抵予期せぬこと・稀なことだからそう思うわけですが、その現実(リアル)で起きる面白いことを積み重ねていけば一つの物語になり、作品になり、それら一つ一つの要素は虚構=空想ではないが、十分な魅力を兼ね備えているのではないかと思います。
 本作はその考え方の嚆矢として、続く令和以降の私の作品「Au Revoir(2019)」「風のステラ(2019)」「バタフライ・エフェクト(2020)」に繋がっていきます。


 以上、長くなりましたが「オリエントの航跡」の作曲経緯・テーマに関する解説でした。最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました!

 


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