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モンティの「チャルダッシュ」 作曲年などについての新説

要旨

・多くの記事では作曲年は1904年くらいとされているが、1899年以前まで遡る可能性がある
・楽譜の出版はバイオリン版とマンドリン版(4種)がほぼ同時にされた可能性がある
・バイオリニストであるジュリエット・ダンタンの名前が楽譜に記載されていることから、少なくともバイオリン版は彼女に献呈された可能性がある

追記(2023.11.24)
作曲年が通説の1904年よりも遡る、ということについては、その後1900年の演奏記録が見つかったため、作曲年の正確な特定には至っていないが少なくとも1900年以前であることがほぼ確実となった。


基礎知識

モンティとは誰か

Vittorio Monti (1868 – 1922)
イタリア生まれ
作曲家、指揮者、バイオリン・マンドリン演奏家
1900年からパリのラムルー管弦楽団の指揮者になる。

「チャルダッシュ」とは何か

csárdás,czardas
ハンガリー音楽にルーツを持つジャンル。チャールダーシュ・チャルダスとも。
モンティが作曲した「チャルダッシュ」は世界的に知られている。

ジュリエット・ダンタンとは誰か

Juliette Dantin (1873 - 1930)
フランス生まれ
作曲家、バイオリン演奏家、歌手
15歳のときにパリ音楽院で満場一致で一等賞を獲得

チャルダッシュのオリジナルバージョンをめぐる話

チャルダッシュは一般に、バイオリンのために書かれた曲だとされてきた。
その一方で、マンドリンのために書かれた曲だ、という説もある。

マンドリンオリジナル説の根拠

今回調べた中で、マンドリンを含む編成がオリジナルである、と明確に述べられていて、その具体的な内容まで触れられている記事を下記サイトで見つけた。

http://vinaccia.jp/nj-collect/old-site/ILPlettro/ILPtex-h-m/IPMV09m-3.pdf

4ページ目の内容を下記に引用する。(太字強調は原文にはない)

…モンティの作品といえば「チャルダス」がヴァイオリンの為の名曲として一般に広く知られているが、この曲が元来マンドリンの為のオリジナル曲であることは余り知られていない。残念ながら本邦にはオリジナルの楽譜が入っていなかった為、今日までいろいろな作曲家によってヴァイオリン譜により編曲されてきたが、近年イタリアでオリジナル譜(マンドリン二部とギター、ピアノ)が発見され、これをもとに中野二郎氏がマンドリンオーケストラに編曲されている。…

中野二郎編著「マンドリン ロマンの薫り2集」(1997)チャルダス第二番曲目解説より

「マンドリン二部とギター、ピアノ」がオリジナル譜である、と書いてあるものの、それがなぜ最初のバージョンだと判明したのか、ということについては触れられていない。オリジナルという以上、モンティの手によるものと判断しているとみていいと思う。

重要なのは、「元来マンドリンの為の〜」と明記していることで、この文にはバイオリン版よりも先にマンドリン版があった、というニュアンスが含まれている。
(同時という解釈もできなくはない)

とりあえず、少なくとも1990年代には「チャルダッシュはもともとマンドリンのために書かれた」という説の土台はできていた、ということがわかる。
この文章や「発見」に基づいたことだけが「マンドリンオリジナル説」の根拠ではない可能性もある。引用した文章の書き方だと、「発見」よりも前にマンドリンがオリジナルであるということは知っていた、と解釈できるからだ。しかし他に明確な資料は今回は見つからなかった。

追記(2023.11.21)
その後、マンドリンの原典版とされる楽譜の、1stマンドリンのパート譜の1ページ目を確認することができた。ちなみに編成は「2マンドリンとピアノ」とのことだ。

楽譜の右下には、102596-97-98-99と書いてある。これは後述するリコルディのプレート番号とみて間違いないと思う。

バイオリンオリジナル説の根拠

以下の画像は日本語版Wikipediaの「チャールダーシュ (モンティ)」で使われている画像だ。

バイオリンとピアノのための「チャルダッシュ」楽譜の表紙?

この楽譜はWikipediaの注釈に1904年とは書いてあるものの、この画像だけではいつ出版されたか確認できないため出版年は不明としておく。
※追記 後述するが、1911年以降のものである可能性がある。

表紙上部には、A Mademoiselle JULIETTE DANTINと書いてある。
Mademoiselleは未婚の女性に付く敬称で、英語のMissにあたる言葉だ。
頭のAは英語でいうとtoにあたる。
ジュリエット・ダンタン嬢へ」というようなニュアンスか。

※ダンタンは彼女の生まれついての姓なので矛盾はない。生涯独身だったかどうかは調べたがわからなかった。

大きくV.Montiと書かれているすぐ下には、
Le meme Morceau arrange par l’Auteur pour:
つまり「同じ曲を、作曲者が編曲した」と書いてある。

続いて、数字とともに楽器編成が記してある。

102596 マンドリンとピアノ
102597 マンドリン2本とピアノ
102598 マンドリンとギター
102599 マンドリン2本とギター

つまり上記の四つの編成は、すべてモンティ自身が編曲をした、ということになる。
ちなみに102595が、「バイオリンとピアノ」に該当する。

下部にはG.RICORDI & C.と書いてある。
G.RICORDI & C.とは、楽譜出版社のリコルディのことだ。IMSLPによれば、この刻印は1898年以降の楽譜に使われている。

その下は住所で、[パリ市ペピニエール通り18番地]と書いてある。
ペピニエール通りは凱旋門の東、オルセー美術館からセーヌ川を挟んだ北に位置し、東西に伸びている。
ペピニエール通りにリコルディの施設があったかどうかは現時点ではわからない。

追記(2023.11.21)
G.RICORDI & C.よりさらに下段には、地名が列挙してある。
[ミラノ・ローマ・ナポリ・パレルモ・ロンドン・ライプツィヒ・ブエノスアイレス・ニューヨーク]
おそらくこれは本社・支店の所在地と思われる。IMSLPの情報とも一致している。
IMSLPには支店の開設年も記載されていて、それによるとこの中でもっとも開設年が古いのはニューヨークで、1911年とされている。
この1911年という情報は、リコルディ・アーカイブというサイトでも確認できた。
"…This is followed by the opening of new branch offices in Germany, Austria, Hungary and Scandinavia and, in 1911, New York. …"
-The Genius: Giulio Ricordi. The period from 1888 to 1912
ただし、リコルディ・アーカイブで明記されている支店がIMSLPでは明記されていないということもあるので、その信頼性がどこまであるのかはわからない。
とはいえ、1911年に開設されたニューヨーク支店のことが楽譜表紙に書いてあるのだとすれば、この楽譜は少なくとも1911年以降に出版された、と推測できる。しかし、1910年出版とされている他の楽譜にもニューヨークと明記されている例があり、詳細は不明だ。


最下段は判読できなかった。


以上の情報の中から「バイオリンオリジナル説」の特に強い根拠となるのは、ジュリエット・ダンタンの名前が明記されていることだ。

ちなみにチャルダッシュには「バイオリンとピアノまたはオーケストラ版」も存在するが、そちらの楽譜にもジュリエット・ダンタンの名前は記載されていて、さらに彼女がパリ音楽院で一等賞を獲得したということも書いてある。
その楽譜もリコルディから出版されていて、番号は109510だ。

※ちなみに後年「ピアノソロ版」(リコルディ、121468)も出版されているが、その楽譜の表紙では109510は「Orchestra」としか書かれていない。

楽譜に演奏家の名前が書かれている場合、献呈された、つまりその人のために書かれた、と考えたくなる。
「バイオリンとピアノまたはオーケストラ版」にも記載があるが、「チャルダッシュ」がもともとジュリエット・ダンタンに献呈された曲である、ということを明記しているのだと考えれば、「バイオリンとピアノまたはオーケストラ版」も彼女に献呈されたとは限らない。

ジュリエット・ダンタンがマンドリン演奏家だった、という記述は今回見つからなかったし、バイオリン演奏家にはバイオリンの曲を献呈する、という可能性が高いと思う。


バイオリンとマンドリン、どっちが先か

私個人の推測としては、「チャルダッシュ」のオリジナルバージョンは「バイオリンとピアノ版」だった可能性の方が高いと考えている。

しかしあらゆる可能性を考えれば、「マンドリン二部とギター、ピアノ」がオリジナルで、それを編曲して献呈(?)したというケースも絶対にないとは言えない。
もしくは、「バイオリンとピアノまたはオーケストラ版」はジュリエット・ダンタンのために編曲されたので、後に再び出版された小編成版の楽譜に誤ってジュリエット・ダンタンの名前を入れてしまったのだ、ということも、可能性は低いがありえる。

「マンドリンオリジナル説」に関しては、「マンドリン二部とギター、ピアノ」の存在が鍵になる。

「マンドリン二部とギター、ピアノ」版がオリジナルだとすると、ジュリエット・ダンタンの名が記載された楽譜が存在するよりも前に、それが演奏された・出版されたという証拠を見つける必要がある。
楽譜の現物をぜひ確認したいところだ。

追記(2023.11.21)
マンドリンの原典版とされる楽譜の画像を新たに確認できたが、これは中野二郎氏が参考にしたという「マンドリン二部とギター、ピアノ」ではなく、「マンドリン二部とピアノ」だという。
楽譜右下に書かれた番号は、バイオリンオリジナル説で用いた表紙画像に記載されている番号とすべて一致している。

楽譜には編成が書かれていないのだが、右下の番号は四種類書いてあることから、モンティの編曲したマンドリン版チャルダッシュは、1stマンドリンについては全て同じ内容なのではないか、と推測する。
加えて四種類の番号が書かれていることから、少なくともマンドリン版の四種は、出版のタイミングは同一だったのではないか、と推測する。
楽譜上部にはジュリエット・ダンタンの名前も記載されており、このマンドリン版が先にあって、そのあとバイオリニストのダンタンに献呈されたという順番は説明が付きにくくなったかと思う。


ちなみに同時説という考え方もある。

仮に下記のバージョンでの出版が最初の出版だとすると、出版年という意味ではバイオリン版もマンドリン版も同タイミングだと言えなくはない。
102595 バイオリンとピアノ
102596 マンドリンとピアノ
102597 マンドリン2本とピアノ
102598 マンドリンとギター
102599 マンドリン2本とギター

加えて、バイオリンとマンドリンは調弦が同じであることから、最初から両方で弾くことを想定していた、ということもあり得る。

しかし初演が行われたタイミングや献呈されたタイミングが作品のお披露目だと考えるならば、同時説というのは成り立たなくなる。


結局、強力な根拠となる確実な資料は残念ながら私の力では見つけることができなかった。
これ以上掘り下げるためには、初演時の資料やモンティの自筆譜、確実に初めて出版されたと断言できる楽譜などが必要だと思う。
とはいえ、簡単には断定できないということがわかったことは収穫だった。


リコルディの楽譜をもっと調べてわかったこと

オリジナルバージョンをめぐる話はさておき、作曲年について新たな説が浮上した。
それは、「1904年くらいとされている作曲年が、1899年以前まで遡る可能性がある」という説だ。

以下、その根拠を紹介していく。

リコルディの番号(プレート)

バイオリンオリジナル説で用いた楽譜の画像に戻ると、各編成の番号は下記の通りだ。
以降、これらの編成を小編成版と総称する。
※曲はすべてチャルダッシュ
102595 バイオリンとピアノ
102596 マンドリンとピアノ
102597 マンドリン2本とピアノ
102598 マンドリンとギター
102599 マンドリン2本とギター

リコルディ社の楽譜にはプレートと呼ばれる番号が振ってある。
IMSLPの記述を信用すれば、プレート番号が発行されるのは作品がEngraver(楽譜の版を作る人)に割り当てられたタイミングだ。
となると、作品が存在する前には、番号を発行することはできないということになる。

他のリコルディ出版の楽譜をIMSLPで調べてみると、

  • 98049 V.Monti / Petite Methode for Mandolin, Op.245 出版年1895

  • 101721-25 Verdi,Giuseppe/4 Pezzi sacri  出版年1898

  • 102290 Tosti, Francesco/PaoloInvano! 出版年1898

  • 102600 Floridia, Pietro / La colonia libera 出版年1900

  • 102936 Gambardella, Salvatore / A San Francisco 出版年1899

  • 103050 Puccini,Giacomo / Tosca 出版年1899

  • 104250 Puccini,Giacomo/Tosca 出版年1901

  • 105790 Tirindelli,Pier Adolfo/Mistica 出版年1920~1930

  • 109205 Tavan/Fantaisie sur 'Tosca'  出版年1903

  • 110000 Puccini, Giacomo/Madama Butterfly 出版年1904

  • 109370 Barthélemy, Richard/Tarentelle Napolitaine 出版年1905

  • 111039 Tosti, Francesco Paolo/L'Ultima Canzone 出版年1905

  • 111481 Tavan/Grande fantaisie sur 'Madame Butterfly' 出版年1906

などとなっている。
※プッチーニの「トスカ」には上記以外にも複数プレート番号が振られている。翻訳版が出るたび新たに番号が発行されることが要因だ。

プレート番号とチャルダッシュ制作年(定説)とのズレ

例外はあるがプレートの番号順は基本的には出版順だ。
曲に番号が付いてから楽譜が実際に出版されるまで一年以上時間がかかることもあるようで、ページ数によって楽譜の版を製作する時間が変動することは考えられる。例えばオペラのフルスコアと数分の小編成曲では製作時間に大きな差があっただろう。

なおIMSLPには、年代に対応したプレート番号のリストもあるので一部抜粋する。
この組み合わせはあくまでも番号が振られた年を表すものだと思われるので、作曲年や出版年とは相関はあっても無関係とみなす。
100938-102268 (1898)
102269-103521 (1899)
103522-103590 (1900)
103591-104717 (1901)
104718-107880 (1902)
107881-108878 (1903)
108879-110000 (1904)
110001-111016 (1905)
111017-111360 (1906)

チャルダッシュは1904年くらいの作品だとされているので、上記のリストを参考にすると完成後すぐにリコルディ社のプレート番号が発行されたなら108879-110000の間の数字になりそうだ。
(人気曲になったあとにようやく出版を実現できたという可能性もあるので、完成後すぐ番号が発行されたとは限らない。ただしモンティは複数曲リコルディから楽譜を出版しているようで、いわゆる一見さんではない)

しかし実際に存在するチャルダッシュの譜面で108879-110000に該当するのは、
109510 バイオリンとピアノまたはオーケストラ である。

作曲年が遡る?

ここで改めて小編成版の方の数字を見てみる。

102595 バイオリンとピアノ
102596 マンドリンとピアノ
102597 マンドリン2本とピアノ
102598 マンドリンとギター
102599 マンドリン2本とギター

上記の年代に対応したプレート番号リストに当てはめるならば、小編成版のプレート番号は下記の範囲に収まる。
102269-103521 (1899)

そこで単純に1899年が、小編成版チャルダッシュのプレート番号が発行された時期ではないか、と考えてみた。

あくまでも仮説だが、1899年くらいにプレート番号が振られたならば、作曲年はさらに遡る可能性がある。
プレート番号が連番(102595〜102599)で取得されているのだから、番号取得時点で小編成版すべてが完成しているか、完成していないにしても5バージョンになることは決定していただろう。

作曲年の可能性

1899年時点でプレート番号が振られていたとすると、チャルダッシュの作曲年が1904年であるなら、5バージョンにすると決めてから作品ができるまでに5年ほどかかっていることになる。
もしくはたまたまプレート番号が欠番になっていて、1904年に完成した作品に欠番を振り分けたと考えられなくもない。そういった慣習があったかは不明だ。

一方、チャルダッシュの出版年が1904年で作曲年はそれより前である場合、1899年以前に曲はもうできていたと考えれば、プレート番号との矛盾は生じない。とはいえ番号取得から出版まで5年かかっている理由は不明だ。

1904年は「バイオリンとピアノまたはオーケストラ版」の番号取得年?

私が可能性が高いと思うのは、1904年にプレート番号を取得しそのあと出版された「バイオリンとピアノまたはオーケストラ版」が最初の出版でありオリジナルである、という誤解が広まったという考え方だ。

そもそも「バイオリンとピアノまたはオーケストラ版」なのだから、もしそれをバイオリンとピアノで弾けば、小編成版の「バイオリンとピアノ版」と編成上見分けがつかなくなってもおかしくはない。
このことは小編成版の「バイオリンとピアノ版」までもが1904年出版だとまとめられてしまった可能性を示唆している。
バイオリンとピアノ版」がチャルダッシュのオリジナルである、という主張には、二種類の異なる楽譜が混同している可能性があるのだ。

これらの問題は各バージョンの楽譜の初版年がわかれば解決するのだが、残念ながら今回は見つけることができなかった。

追記(2023.11.24) 1900年には既に演奏されていたことが判明!
Gallicaという、フランス国立図書館のアーカイブを検索していたところ、1900年4月22日に、ジュリエット・ダンタンが「チャルダッシュ」を演奏したという記録が見つかった。
https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bd6t53834092t/f2.image.r=juliette%20dantin%201900%20czardas?rk=21459;2
これは今回私が調べた中では最も古いチャルダッシュの演奏記録だが、Gallicaでの文字検索は資料の文字読み取りが正確に行われていなければ機能しないので、より古い記録を見落としている可能性もある。
1900年には他にも5月と7月にダンタンがチャルダッシュを演奏したという記録が残っている。
とりあえず、少なくとも1900年にはチャルダッシュは既に完成していたし演奏されていた、ということはほぼ確実ではないかと思う。
私が推測した作曲年1899年以前説に近づいたが、残念ながら正確な作曲年・初演年の特定には至らなかった。
(追記終わり2023.11.24)

終わりに

ということで新事実の発見とまではいかなかったが、新説を浮上させることはできた。
しかし一つでも新たな資料が見つかれば、特にオリジナル版についてこの記事で書いたことは容易にひっくり返ると思うし、私が探せなかっただけで重要なデータがまだネット上にもある可能性は大いにある。

さらに私の勘違い・誤読などもあると思うので、矛盾点もぜひ指摘してほしいし、もしも重要な情報をご存知の方がいらっしゃったら、教えてくださると大変嬉しい。

妄想レベルの話

ここからは、証拠がない私の妄想になる。

なぜマンドリン版がやけに充実しているのか

小編成版は5バージョンあるが、そのうち4つがマンドリンを含む編成だ。
102595 バイオリンとピアノ
102596 マンドリンとピアノ
102597 マンドリン2本とピアノ
102598 マンドリンとギター
102599 マンドリン2本とギター

この理由については、モンティが仲間と一緒に弾くために編曲するうちに自然と充実したのではないか、と妄想している。
モンティは1908年に「La Stella」というマンドリンやギターの演奏グループを結成している。これはチャルダッシュの作曲年よりも後にはなるが、マンドリン演奏に熱心な仲間がもともといてもおかしくはない。
パリのマンドリンコミュニティの中心人物だったとも言われるから、いつパリに来たのかは不明だが(サン・ピエトロ・ア・マイエッラ音楽院の卒業後すぐにパリに来たとすれば1880~90年代以降?1900年にはパリのラムルー管弦楽団で指揮をしている)「La Stella」以前にも活動があったと考えたい。
自作曲の編曲をする動機は、需要が見込める場合は強化される。その需要が自分自身にあるのであれば、採算が取れる取れないは抜きにして編曲をする動機は強くなるだろう。

ジュリエット・ダンタンは二度弾く

「バイオリンとピアノ版」がジュリエット・ダンタンのために書かれたならば、初演も彼女が演奏しただろうと考えることは自然だ。
しかしもう一つのバイオリン版、すなわち「バイオリンとピアノまたはオーケストラ版」はどうだろう。
私は、これもジュリエット・ダンタンがオーケストラとともに初演したのではないかと妄想している。しかもオーケストラはラムルー管弦楽団、指揮者はモンティその人だ。(根拠なしの妄想です)
今回の新説をそのまま適用するなら、最初の初演は1899年よりも前になる。ダンタンは20代半ば、モンティは30代になろうかというところだ。初演は大成功し、チャルダッシュは人気曲になった。
それから5年ほど経つ間に、モンティは1900年にラムルー管弦楽団の指揮者となり、ダンタンは1901年に功績を認められて教育功労賞を授与されるなど、互いに活躍の場を広げていた。
そんな折にラムルー管弦楽団で持ち上がった話が、「チャルダッシュのオーケストラ版を作って、ソリストにダンタンを呼ぼう!」というアイデアだった…。(繰り返しますが妄想です)

追記内容

2023.11.21

・マンドリン原典版とされる楽譜の情報を追記。
・リコルディのニューヨーク支社の開設年が1911年らしいことを追記。

2023.11.24

・ジュリエット・ダンタンによる「チャルダッシュ」の演奏が1900年に行われた記録が存在することを追記。

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青山涼
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