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キャリアの選択 私の軸の中には「挑戦」という価値観が常に強くあった

キャリアは誰のもの?外資系と日本企業の差

32 年間のビジネスライフのほぼすべてを外資系企業で過ごしてきたが、2年半だけ老舗 日本企業で働いた。事業本部のスピンアウトを社長としてリードすることになり、社員全員に合意の上での転籍同意をもらう必要があった。本社は本業の医療用製薬、しかもイノ ベーションドラッグに専念するということで、コンシューマーに特化した事業本部に勤める社員にはほぼ活躍の場がないのははっきりしていた。それでも転籍にうんと言わない社員に、「あなたはキャリアで何がしたいのか?」と丁寧に問いかけた。 驚いたのは、ほぼ全員が「自分がしたいことはありません。仕事とは、会社が与えてくれるものです」と答えたこと。外国語大学を卒業して外資系企業に就職し、1年目から、「キ ャリアの責任は自分で取るもの。自分以上に自分のキャリアを大切に思っている人はいな いから」と教えられていた私には、信じられない答えだった。

キャリアにおける選択肢

今までの自分のキャリアを振り返ったとき、選択・判断を求められたことが何度もあっ た。転職ももちろんだが、子どもができたとき。海外赴任に手を挙げたとき。どの決断に おいても、自分の軸の中に、次は何に挑戦をしたいか、という価値観が強くあった。
最初の決断は、一人目の子どもができたとき。社内公募の制度もあったが、基本次の仕事は会社が決めてくる。会社の基本的なスタンスは「アップオワアウト」。昇進しないのなら転職することが当たり前だった。私は最初の昇進でこそ同期でトッ プだったものの、要となるマーケティングディレクターの昇進において同期内では最後の 一人となってしまい、まさにアップに挑戦し続けるか、アウトするのか?というタイミン グでの妊娠。一瞬真っ青になりかけたが、よく考えてみれば、当時担当していたブランド は、会社として解決しにくいビジネスの問題を抱えていて、私自身はそのブランドで長く 働いていたがゆえに、上としては便利で手放しにくい存在になっている。であれば、育休を取れば、いったんリセットして他のブランドに行くチャンスになるのではないか? 早速他のカテゴリーのマーケティングディレクターたちに、「6か月で戻るので、何か仕事があったら声をかけてほしい」と社内リクルーティングをしてから産休に入った。思いがけず出産前に人気化粧品ブランドのマーケティングディレクターから「ブランドマネー ジャーのポジションが空いたので、来ないか?ただし、6か月は待てないので、3か月で戻ってきてほしい」との打診。育休を切り上げて戻った。ここでアップの可能性を突き詰めたい。それこそ背水の陣での挑戦だった。
20年勤めた会社を転職したときには、次の仕事は海外赴任になる可能性が高く、大阪 の家族の元で働き続けたかったことと、あまりにもシステムがよくできた会社を出て、組織力ではなく自分の実力でどこまで何ができるのかを試したかったからだ。 結局飛び込んだ全く違う業界で、専門性のなさに苦しむ結果となり、であればいっそのこと専門性を身につけるために海外の本社勤務を希望してみよう、ついでに子どもたちを海外に連れて行って生活経験を積ませよう、とこれも大きな挑戦だった。 海外赴任は大変だけれど素晴らしい経験になった。
戻ってからもやはり製薬での営業経験や、薬学部、医学部といったサイエンスのバックグラウンドがないままに働いていたの だが、ヘッドハンターの方からずばり、「野上さんのキャリアなら、ブランドマネジメント を売りにするべきだ」と助言いただき、東京単身赴任でコンシューマービジネスに戻ることに決めた。次はビジネスの決断者である社長をやりたい、と思っていたので、社長職での転職という挑戦だった。 最初の社長業で、自部門のスピンオフを依頼され、一生懸命ファンドに売り込んで無事スピンオフしたら、ファンドから社長が送り込まれてはしごが外されたような気持になった。本当の意味でのコンシューマービジネスの社長業はまだ体験しきっていない、と外資系でコンシューマービジネスの社長業ができる今の仕事に再度飛び込んだ。
実は、前職と現職の間に9か月間ほどほぼ仕事をしていなかった期間がある。ファンドから社長の交代を告げられ、その一方で社内にはタイトルとして交代後半年残ってほしい、と言われたのだ。このとき、世間的リタイアの60歳まで、あと8年をどう過ごそうか、 いろいろ考えた。周りには独立してコンサル業をする人も多く、執筆をしてみたり、講演をしてみたりもした。が、どこかでまだ実務をやりきっていない、ビジネスのど真ん中にかかわり続けたいという気持ちが強かった。ゼロからのビジネスを立ち上げる気持ちもわかない。。外資系日本支社の社長業を自分の納得いくまでやりたいという気持ちがどうしても強くて、結局転職をすることに決めた。
それで始めた今の仕事が 22 か月。前職で一番やり残した感のあった、自分の納得いくリ ーダーシップチームを作って、チームでビジネスをやっていく形が1年でようやく整い、 2年目の今は、新たに独立上場した企業の現地法人として、売り上げ、利益、キャッシュ に多面的に責任を持ち、もちろん SDGsやダイバーシティ指標も達成する。さらには、経営効率化、生産性のアップのための継続的組織の進化をリードし続けるなど、難易度の高いチャレンジに取り組んでいる。チームでならチャレンジに答えていけそう、という感覚が 持てつつあるのがうれしい。 もちろん、思いがけない変化も多い。コロナによるビジネスダウンや、為替下落。コス トを吸収するための価格アップチャレンジ。頼っていた部下が次のキャリアに進んで行く、などなど。飽きる暇もなくいろいろなことが起こってくる。ただ、企業のあるべき姿として常に事業継続計画、自分の後任を育てること、社内のタレントにチャンスを与えることを意識させら れるので、この仕事をずっと長くするのではなく、安心して任せられる形でバトンタッチ していくことが明確な期待値としてあり、自分としてもそれこそがやりきった感を満足させられると思っている。

自分の仕事のパーパス

そもそも社長業に挑戦したいと思ったころから、企業内で女性の進出を阻むガラスの天 井、アンコンシャスバイアスのひどさを腹立たしく思うことが多く、いかに先輩や上司が自分のキャリアを支えてくれていたのかに気付き、なんとか恩返しをしたい。そのためには、女性であっても経営ができることを証明したい。女性外部取締役の数を増やしたいと いう社会ニーズが高まっているにもかかわらず、なかなか経営出身の女性候補がいない中、自身が候補となって貢献をしたいと思っている。ただそれは、結果論であって、私の成長を促してくれる挑戦のイメージではない。

キャリアをマーケティングする

社内外でキャリアの話をすることがある。私のキャリア論は、「キャリアマーケティング 論」。プランドハプンスタンスに基づいて好奇心、忍耐を持って肯定的にキャリアの変化をとらえつつ、それでも自分のやりたいことをできるだけ引き付けてくるために、自分の “Point of difference”、他者と比べての差別化ポイントと、他者に負けない必要最低スキ ル“Point of parity”を持ちつつ、自分の価値観を見極めて活躍の場を戦略的に選べ、と いうことを語っている。 私の場合、26年働いた後にコンシューマービジネスに戻ってきたときに、自分の“Point of difference”は、ブランドマネジメントに基づく経営経験、”Point of parity“は、外資系でのマーケティングと経営の実績。価値観は「成長」と見極めて、自分の活躍の場を、 自分の差別化ポイントが最重要視されない製薬ビジネスからコンシューマーに選びなおした。このころから、自分の価値観、モーチベーションの源が「成長」である、と明確に自覚しだしたと思う。 そんな私の現在のキャリアのイシューは、「次に何に挑戦したいのか」である。

挑戦は、今の挑戦が終わって初めて見えてくるものなのかもしれない。そういう意味 では、今の仕事にはまだまだ今まで経験したことのなかった挑戦が毎日多く起こり、仲間 とどう対処するかを考える度にわくわくできていることが幸せでもあり、成長実感につな がっているのだろう。とにかく納得いくまで、自分が成長しきれたと感じられるまで今の 挑戦に力いっぱい答えていくことで、次の挑戦が見えてくる気がする。

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