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過去のキロクは恥6、気づき4

今回は、ちょっと恥ずかしい話です。

大学一年生から14年間、日記をつけています。日記と言っても毎日書くわけじゃなくて、気分がのった時にだけ書く気まぐれ日記です。
社会人になって仕事に忙殺されていた時期は、一年に3回だけ、みたいな年もありました。もはや日記とは呼べませんね。

なぜこんな話をするかというと、今日実家に立ち寄ったとき、ついに発掘したからです。大学時代に書いていたあの日記たちを。

社会人になってからも何度か引越しを繰り返していたので、直近の数冊分だけを手元に置いて、残りは実家の押し入れに隠しておいたんですね。(そう考えると、実家の押し入れって危険がいっぱい……)
紙袋にいろんなノートと一緒にごちゃっと押し込められていた、取扱注意な危険物たちを慎重に引っ張り出し、やっとわが家のセキュリティボックス(ファスナーが付いているだけ)への移行作業が完了しました。

さて、移行作業は無事完了しましたが、中身の確認は行う必要があります。だって、14年前って!夢を詰め込んだタイムカプセルよりよっぽどタチの悪い。負の遺産として処分すべきかどうか、確認する必要があります。
でも、おそらくだけど……たぶん、きっと、十中八九、これってダメージをくらうやつですよね?


14年前の自分と目があった

おそるおそる、最初の一冊を手にとって、机の上に置きます。時計をチラッと見上げ、夫がまだ帰ってきそうもないことを確認。温かい紅茶を入れて、ふう、とひと息。

よし。

ぺらり。めくった瞬間、目に飛び込んできた1ページ目。

今、自分が思っていること、考えていること、感じていることを、何かにとどめておきたくて、このノートを作りました。
いつかの自分が、今の自分よりも少しでも成長していたらいいなって思います。

うっと息が詰まって、一瞬呼吸が止まりました。

ページの向こうからこちらをひたっと見つめる、14年前の自分と、目があった気がしたんです。

ほっぺがぱつんぱつんで、髪の毛は明るい茶色で、化粧もまだあんまり上手くなくて、都会に馴染みきれていない、18歳の自分。つるんとした、まあるい珠みたいな自分。いまのわたしから見たら、ちょっと目を背けたくなるような”いかにも若者”という感じの自分が、そこにはいました。

最初の衝撃からよろよろと立ち直り、ひとつずつページを捲ります。そうすると、書いてある以上にいろんなことが見えてくるんですね。

例えば、日記を書き始めたばかりの頃は、妙に良い格好しいというか、自分が読み返すことを考えてちょっといい子風に書いてるな、とか。

最初の半年くらいは、あんまり大学楽しくなかったんだな、とか。

未熟な自分が繕いきれなかった綻びが、いまのわたしには浮き上がって見えて、そこはちょっと微笑ましく感じました。

日記をたどってわかったのは、基本的に人間って本質はあんまり変わらないんだなあということ。

臆病で新しいことが苦手で、でもこれじゃダメだって奮起して、やっぱムリだって凹んで、またちょっと立ち直って、をずっと繰り返している。

だから、わたしの目を覗き込んできたあの子には
「ごめんね、いまでもあんまり自信はないんだ」というしかないんだけど。
でも、14年前のわたしは、その数年後にまさかドイツ留学を決意するなんて微塵も思ってなかったはずだから、きっとあなたが望む成長は、多少なりともしているはずです、たぶん。


キロクにはヒントが隠されている

みなさんは、昔のことってどれくらい思い出せますか?
わたしは、節目節目で考えたことや衝撃的な出来事は覚えていますが、それ以外のことは結構曖昧です。そのときのふわっとした感情は思い出せたりもしますが、なんでそうなったんだっけ、どんな会話したんだっけ、というところは思い出せないことの方が多いです。

でも、なんでそのときの自分がこういう行動をしたのかを残しておくって、結構大切だと思います。特に、自分が一段階段を登ろうとしたときに、何を思っていたのか。

いまの自分が悩んで立ち止まってしまったとき、過去のキロクを振り返ると、意外とヒントが散らばっていたりするのかもしれません。

例えば、わたしが留学を決めたとき、大切にしていた本の言葉があったようです。いまでは思い出すことすらなくなっていましたが。

心の強さは、才能や能力とは関係がない。
行動が起こせるかどうかだ。
なにかを語るのは簡単で、行動するのは難しい。
だが、するかしないか迷うときというのは、本当はしたほうがいいとわかっているときだと思わないか?
Seven Powers (アレックス・ロビラ) より

このときのわたしは迷っていて、でも、するかしないか迷うってことは、した方がいいって本心ではわかっているはずなんだ!と自分で背中を押して、旅立つことにしたと。日記にはそのようなことが書かれていました。

正直にいうと、年を重ねるにつれて新しいことを始めるのが昔よりもさらに億劫になっているというか、相変わらず臆病というべきか、そういう自分に出くわすことがあります。

そういうとき、えいやっと自分の背中を押してくれる言葉を、あのときのわたしは持っていたんですね。
「情けないけど、もう一度その言葉、借りてもいいかな?」
日記を読み進めながら、14年前の自分にちょっと頭を下げました。

当時の自分は、そしていまの自分も、その時に思っていることをただただ書きたくて、乱暴にノートに押し込めているだけなんだけど、それはどうやら未来の自分にとっては、気づきの隠し場所になったりもするようです。

ということで、過去の日記がある人は、たまに見返してみるのもいいかもしれません。

まあ、軽く吐血しますけどね。

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