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書くことの意味

文章を書くことは自分と向き合うことだ。

人生で二度、しかも全く違う場所で、全く違う人に言われたのだから本当だ。僕はこれができない。だから文章が書けなかった。

文章を書きたいと思った理由は単純だった。サッカーが好きで、サッカーライターになりたいと思ったから。しかし、どう頑張ればいいか分からなかった。どうすればよい文章が書けるのか。

まずは本を買った。よくある文章術が書かれた本。何事も型がなければ、形にならない。この本で文章に必要な知識を得た。でも知識だけでは文章は書けない。

一歩を踏み出す勇気があれば、何歩でも歩いていける。そこで文章講座に応募した。「文章を書く人にしか見えない景色がある」この言葉に心が動かされた。こんな文章を書けるようになりたい、そう思った。

キーボードを打って、文字を紡いでいく。とりあえず一度最後まで書いてみた。それで完成して世に送り出せるほど、書くことは甘くない。何度も何度も見返して、誤字がないか、表現が間違っていないか確認する。鉛筆を削るみたいに、文章を削っていく。

そうしてできた文章だが、文章講座の先生に「型はできているけれど、感情が伝わってこない」と言われた。そして、自分ともっと向き合うべきだと。

足で情報を集め、頭にある知識を駆使し、手で何回も書き直し、目でミスをチェックした文章には最も大切な心臓が足りていなかった。どうしてか本当に分からなかった。伝えるための準備はしてきた。それなのに自分と向き合うことの意味が分からなかった。

このもやもやをずっと抱えたまま、文章講座は終わり、そのあと出版社に就職することに。そこでも、一人の編集者に言われた。
「書くことは自分と向き合うこと」
そしてこうも言われた。

ミスが一つもない文章が一番つまらない」

この言葉と出会ったとき、心の霧が少しだけ晴れた。
僕は文章を書くときに、「ミスがあったらどうしよう」「文章を書く才能がなかったら・・・」といつも考えていた。人から間違いを指摘されるのが怖かったからだ。”伝えるため”に書くのではなく、”ミスをしないため”に文章を書いてしまっていた。書けない自分とは向き合わず、恐怖や不安から逃げ続けていただけだ。

いまは自分と向き合う意味、書くことの意味がちょっと分かる気がする。それが正解かは分からないし、きちんと向き合えているかも分からない。けれど、そんなのどうだっていいことだ。大切なのは書きたい、伝えたいという想い。それさえあればいい。



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