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無理ゲー社会

無理ゲー社会

前回の上級国民/下級国民が興味深かったので読んでみた。


上級国民/下級国民と同様、統計資料を用いて自説の裏付けをする手法。
上級国民/下級国民にかぶる内容が多々あり。
知らない言葉にぶつかる度、興味深いものについては調べたり・・・いい勉強になる。


今は「自分らしく生きる」ことができるリベラルな社会。

日本の若者たちは超高齢社会のなか、増え続ける高齢者を支える「罰ゲーム」を課され、さらには約1世紀分の自分の人生を全うしなければならない。にもかかわらず、「社会的・経済的に成功し、評判と性愛を獲得する」という無理ゲーをたったひとりで攻略しなければならない。
これが「自分らしく生きる」リベラルな社会のルールだと筆者はいう。

リベラルな社会を成り立たせる神話として、「教育によって学力はいくらでも向上する」「努力すればどんな夢でも叶う」という信念がある。
確かに、教育はとてつもない威力がある。しかしそれは知能による格差を拡大する要因ともなる。

昔の階級社会では、自分が成功できない理由を社会制度の責任にし、自尊心を守ることができた。
しかし今では、自分が成功できない理由は自分が本当に劣等だからという事実を認めなければならず、自尊心を守ることができない。
「自分らしく生きる」ことができている人はいいが、「自分らしく生きる」ことができない人は「自分らしく生きる」という呪縛にとらわれてしまい生きづらさを感じるのではないか?

行動遺伝学の知見からしても、「遺伝が半分、非共有環境が半分」といわれるらしい。
人生のあらゆる場面に遺伝の影響の影が延びているので、自由意志に制約があることはまちがいない。
だからといって、生まれ落ちた瞬間に全てが決まるわけではなく、自分の手で運命をある程度は切り開くことはできるはず。
不都合な真実を受け入れつつ、自分らしく生きていくしかないのであろう。


ワタクシ自身、底辺からのスタートであったが、教育が格差を縮める手段の一つとして信じてきた。
凡庸なので、せめて勉強して成り上がろうと、自分なりに勉強してきたことも事実。
成り上がる途中である現段階でも、勉強したことは役に立っているし、勉強してきてよかったと思っている。
だから一応は教育の恩恵を受けた側なのかなと。

それと同時に、少なくとも関わった人たちに対して教育の恩恵を施したい。(決して上から目線ではなく)
でも、“努力できない人”とか“ケーキの切れない非行少年たちに出てくる人”のような人がいるのも事実。
そういう人たちにも何とかして寄り添い、社会をよくすることに少しでも貢献できればいいなと。

確かに個人レベルで社会をどうこうするのは難しい。
ただ、自分がそれをやろう、それができていると認知できるだけで少なくとも自分自身では満足できるはず。
人を社会を満たしたいのであればまずは自分を満たさなきゃね。


無理ゲー、ひとりで攻略するのは難しい。
まわりを巻き込み、みんなで協力プレイで、ときには他人の不自由を引き受け、楽しく攻略できたらいいなと思う。
それがよりよい社会につながればなおよし。





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