霊魂とは何か Qu'est-ce que l’ame ?

 ウィトゲンシュタインが今から100年まえの1914‐16年にかけて、その思索を綴ったノートが遺されている。このノートは後に彼の代表作となる『論理哲学論考』[1918年に執筆、1921年に出版]に至る思想の形成の過程を見るうえで、研究の上で欠かせない資料となっている。一般に『草稿』(Tagebucher)と呼び習わされ、わが国では1975年に奥雅博の訳で大修館書店の『ウィトゲンシュタイン全集』に収められている。

「私は次のように語ろう。即ち、可能な命題はいずれも、適法に形づくられる。そしてもし命題が意義を持たないならば、そのことは命題の構成要素のいくつかに――たとえ意味を与えたと思っているにせよ――我々が意味を与えていないことに、専ら由来しうるのである、と。」(1914.9.2)

 書き始められた段階での『草稿』のテーマは、それを一つに明示するのは解釈上の困難につきまとうにしろ、論理についての考察であったと大括りしてよいだろう。そこに、霊魂(eine Seele, l’ame)という語が登場するのは、1915年である。

「私の言語の限界は私の世界の限界を意味する。ただ一つだけ現実に魂が存在し、私はそれをとくに私の魂と呼ぶ。しかし私は、私が他者の魂とよぶものもただそのようなものとしてのみ把握する。この所見は独我論がどの程度まで真理であるかを決める鍵を与える。」(1915.5.23)                             注:この引用は全集訳ではなく、『〈私〉の存在の比類なさ』[1998年,勁草書房]p.89の永井均による訳出を引用しています。

 この言葉をノートに書き留めたとき、ウィトゲンシュタインは第一次世界大戦に志願兵として参戦中であった。私には参戦というものがどうのような形態なのか資料を突き合わせてしか伺い知れないが、鬼界彰夫によると、「ヨーロッパの軍隊の慣行通り、ウィトゲンシュタインは前線と後方で交互に勤務した。」(『ウィトゲンシュタインはこう考えた』[2003年講談社]そして、レイ・モンクの伝記も合わせれると、上記のことばを書いたとき、ウィトゲンシュタインはゴルリツェ‐タルノフで進軍勇ましかったオーストリア軍を後方で支援するクラクフの工廠部隊にあった。

 ところで、このnoteでこれから考えてみたいのは、霊魂とは何かという問いだ。「霊魂」も言葉である。すると、ウィトゲンシュタインの前期思想からするならば、言葉とは、名と形式からなる命題によって世界を写像する像なのであった。「霊魂」は、世界の何を写像しているのか。


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