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『朔と新』

 『車夫』シリーズや『羊の告解』の作者いとうみく。その去年二月に上梓された新しい物語である。


 十七歳の少年、新(あき)と、大学生の兄、朔(さく)の兄弟の挫折と成長が描かれる。

 自分の気持ちを表現するのが下手な弟の新は、中学での陸上との出会いによって少しずつ自分を変えつつあった。それでも、母親の加子(かこ)にはなかなか素直になれずにいた。そんな二人の間をさりげなくとりもってくれていたのが、新とは対照的な、やさしくて賢い兄の朔だった。もう昔のように悩みの中にただぐるぐる巻きこまれるだけの日常ではないと思えていた矢先、家族に重大事件が起きる。

 大晦日、祖父母のいる仙台へ、高速バスで新宿から兄弟二人で向かう、その途中で、トラックとバスが衝突。兄弟の乗っていたバスは横転して、死者を出す大惨事に見舞われてしまうのだ。

 三十日に仙台へ行く予定だったのに、新のちょっとしたわがままで、大晦日に変更した。もし、変更しなかったなら、事故に遭うことはなかっただろう。加子は、新のせいではないとわかってはいるものの、新に冷たくあたってしまう。

 二人は命ばかりは無事だったものの、朔は失明してしまう。

 新は、いっそ朔がなぐってくれればと思うが、朔は誰のことを責めず、一人盲学校の寄宿舎へ行くことを決意する。自分も何かを失わなくては、バランスを崩してしまいそうだと、思いつめた新は、あれほど好きだった、そして、暗い日常から自分を救ってくれた陸上をすっぱり止めてしまった。家族が深く暗い悩みのトンネルの中へ沈潜していくことになる。

 そんなとき、寄宿舎から戻った朔は、ブラインドマラソンを始めたいと言い出す。そして、その伴走者に新がなってほしいと。

 

 物語はまるでミステリー小説を読むように話が展開する。朔が立ち直ったきっかけや、新が陸上を止めた本当の理由。そして、加子が息子たちをどう見てきたのか。一つ一つの謎に物語は丁寧に応えながら終盤へと向かっていく。『車夫』シリーズとの世界観のリンクも面白い。とても、構成が上手い作品なのだ。

 一点だけ考察したい論点に言及しておこう。ここでは、母親の加子という人物をとりあげたい。私の憶測だが、この人物こそが作者いとうみく氏が物語を書くことで掴みたい何かを表わしている人物なのではないだろうか。『車夫』シリーズで、主人公「吉瀬走」を捨てて自己実現の人生を追った母親。『カーネーション』でどうしても姉娘を愛せずに妹娘ばかりを溺愛してしまう精神のアンバランスをしょいこんだ母親。母と子という大きなテーマがこの物語『朔と新』でも複層的に描かれていることに言及しておきたい。

 どうすれば子を愛せるのか、そして、どうすれば親と和解できるのか。トルストイにも、志賀直哉にも描かれたテーマだが、どうして、文学はいつも男ばかりがテーマを声高に叫んできたのか。母と子は、父の場合とは相違点も多いはずなのに。

 それでも、親子という抽象に還元してしまうなら、「すでに愛されているし、すでに和解できている」という応答が用意されている。この応答にどれだけ読者を納得させられるかが、物語の力ということであろう。

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