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会えない人のために私はわがままに生きる

怠け者でだらしなくて、いつまでたっても小3の感覚で生きているどうしようもない私だけど、心の中でずっと想い続けていることがひとつある。

ー 私は他人の2倍生きなくちゃいけない ー

1倍は名前しか知らない我が家の初代長女のため(私は2代目長女)。
もう1倍は誕生日が3年と3日違いの友人のため。

これから書くのはその友人の話と彼女への誓いだ。

まだSNSが今ほど普及する前、2001年にさかのぼる。とあるミュージシャンのファンサイトの掲示板で彼女と出会った。サイトの管理人でもあった彼女とは住む場所も年齢も違う、年に1度ライブ会場で会えるか会えないか、そんな距離感だったけど、同じ音楽が好き、山羊座のB型同士、ほかの趣味も合う、遠くにいるけど大切な友人だった。

大学卒業後、夢をかなえようと専門学校進学のため上京した私に、「東京生活頑張ってね」と贈ってくれたMDに入っていた「遠く遠く」は、大阪に帰ってきて10年が過ぎた今も時々聴いては当時のことを思い出す特別な曲だ。

夢破れて(と言えたらまだカッコよかったけど、スタート地点にすらたどり着けなかったな、今思えば)大阪へ帰ってきて数年後の暑い夏のある日、よく知るメールアドレスから全然知らない人のメールが届いた。

送り主はアドレス主の妹さんだった。

メールが届く数週間前、いや1か月くらい前から彼女は体調がすぐれないことをSNSに投稿していた。頑張り屋さんでハリキリ屋さんだから、無理せんといてほしいなと思っていた矢先のメールだった。検査入院してくるというSNSの投稿を最後にしばらくしてから届いたメールは、一読しただけでは脳みそに届かないくらいまったく現実感のない文面だった。

「今、姉は非常に危険な状態になってしまいました。姉の病名は子宮内膜間質肉腫という病気で、それにリンパが絡んで10万人に1人の確率だそうです。医者からも厳しい事を言われてしまいました。」

ちょっと入院して検査してくる、と言ってたのに。ちょっと前までテンション高いくだらない話をしてたのに。全然ちょっとじゃない。夏の暑さのせいにしたくなるほど、理解ができなかった。

遠くに住む私にできることなど奇跡を祈るくらいしか残されていなかった。

妹さんからのメールの後、本人投稿のSNSが一度だけ動いた。絶対戻ってくるよと。一度だけ。その投稿から2か月後、妹さんから報告があった。想像もつかない頑張りの2か月後、彼女が旅立った日は、彼女の推しミュージシャンの誕生日だった。毎年この日がくると、おめでとうとありがとうが交差して、彼女のことを思い出す。

見送りには行けなかったけど、その後ご実家へ行く機会が何度かあった。お母さまは涙を浮かべながらいろんな話をしてくださった。知らなかった話がたくさんあった。

彼女が可愛がっていた姪っ子ちゃんにも会うことができて、当時通っていた写真教室の卒業展に出す写真集を作る時にモデルになってもらった。不思議な縁で、手前味噌だけど素敵な写真を撮らせてもらえた。自分の力ではないなにかが働いたとしか思えないほどに。

そういえば、お母さまとふたりでライブにも行ったな。彼女が好きだったものに触れていたいと、私でよければぜひ一緒に行きましょう!とお誘いして行った。彼女がいなくなってから、推しが毎年彼女の故郷で開催される音楽祭に出演するようになったのは、きっと呼ばれたんだと思う。懐かしいな。娘さんの代わりには到底なれなかったけど、確かにあの場に彼女はいたと思う。

毎年メールのやりとりをしていた妹さんとは、アドレスが変わってしまったのか2年前から連絡が取れなくなった。ご実家に手紙を出そうかと思いつつ、連絡を取ろうとすることが先方の負担になってしまうのではという考えもよぎって、つまるところなんと書けばいいのか言葉が出てこなくて出せずにいて、こんなところで思い出話をしてしまっている。

いろいろ思い出していたら、人は誰も自分以外の誰かの想いを少なからず背負って生きているんじゃないかと、そんなことを考えた。

ふたりの想いを背負って……とまでは言わないけど、時に腹の立つ場面や、もうどうにでもなれと投げ出したくなることがあっても、ふたりのことを想うと、このくらいのしょーもないことでイライラしては……と静まれるし、あかんぞ、みっともないと踏みとどまれる。

イライラすることも、悔しがることも、生きていればこその感情。生きてさえいれば、すべてのことがありがたく、すべてのことに感謝できる。忘れがちだけど。

自分のためだけに頑張るなんて知れている。それにプラスできる何かがあるのとないとでは、最後のひと踏ん張りが違うなと、誰かを想える人は強いなと、そんな人になりたいなと思う。

だから「人生は一度きり」という言葉も骨身に沁みわたっている。40を過ぎ、折り返し地点を歩む今、もうこの歳だしとか、周りの目がとか、そういうことを言い訳に自分のやりたいことや興味にふたをするのはアホらしいと思うようになった。

他人の目を気にして生きることほど意味のないものはない。自分のために何かしてくれる人でもない者に、自分の生き方を支配されなくていい。そんなものにとらわれてるほど、時間は無限にないのだ。

自分が自由になれば、他人の自由をうらやんだりする暇もなくなる。自分を縛ってる時ほど、他人を気にしすぎてしまうんじゃないかなと、そんなことを思ったりもする。必要以上の我慢はしなくていいんだよ。

好きなことを好きだといい、全力で向き合い、その瞬間瞬間をやり抜く。やっておけばよかったの後悔より、やっちまったなぁ~の後悔の方がずっといい。やっちまったなぁ~は、まだ残るものがある。それを次に生かすことができる。何もやらなかったら、なにも残らない。糧にもできない。自分のごめんなさいを受け入れてもらえるように、他人のごめんなさいを受け入れられる自分でいたい。

ミーハーと笑われてもいい。迷った時はおもしろい方を選ぶ。それが結果的にやっちまったなぁ~になったとしても、後々笑い話に昇華できる。私はどんなことも最終的には笑いにしたい。

そのためには健康でいなくちゃいけないと身をもって知ったので、少しでも体調に異変を感じたら自己判断せず、すぐ病院へ診てもらうようになった。この1~2年でちょいちょい見つかった体の不備が今のところ経過観察で済んでいるのは、この思考にたどり着けたおかげでもある。彼女が生きて教えてくれた大切なメッセージ、絶対無駄にはしない。いかんせん2倍濃縮で生きねばならんので。

先のわからない不透明な時代。だからこそ私はわがままに生きる。不遇を時代のせいにせず、遠慮せず好きなことをやり切って、楽しいことを追求していく(その過程での我慢は受け入れる)。その結果、誰かを笑顔にしたり、幸せな気持ちになってもらえたらラッキーだなと。
自分を犠牲にして誰かを幸せにするんじゃない。自分が楽しいの延長に誰かの幸せがある。それを正解にする。そういう生き方をすると決めた。

夏のひまわりのような、豪快に笑う太陽のような人だった。周りも笑顔が絶えないそんな空間にする人だった。勉強熱心で、毎年手書きの年賀状と、3年と3日違いの誕生日の私に毎年おめでとうメールを欠かさないマメな人でもあった。

今日、1月12日は彼女の誕生日だ。

彼女が大好きな歌声、大好きな曲。私もこの曲に今もなお励まされ、背中を押されている。これからもずっと。