心の色を取り戻すために
「この春やりたいこと」というお題を見た時、初めに浮かんだのは「やりたいことを言ってもいいんだ」ということだった。
自粛疲れなんて聞くけど、最前線の医療従事者や介護の現場の人たち、そのご家族のことを考えると、この程度でおこがましいと思ってしまう。
だから、「やってはいけないこと」は浮かんでも、「やりたいこと」と言われて、瞬時に何も浮かばなかった。
3月末のこと、高校の同級生で組んでる写真サークルのグループメッセージにポコポコと写真が上がってきた。皆、感染対策しながら、令和3年日本の春を撮っていた。
カメラ持って外で写真なんて、前に撮ったの、いつだったっけ……。
ポコポコ上がってくる写真を眺めながら、桜が満開になったニュースを思い出した。
去年の桜は撮り損ねた。今年はまだ間に合うだろうか。
それから2~3日後、昼休憩で久しぶりに外に出て、昼間の空の下を散歩して、去年新しくしたスマホで写真を撮った。
今年も桜はちゃんと咲いていた。ここに立つまで、桜が咲いてることにすらちゃんと気づけなかった。こんな近くで咲いてたのに、どこ見てたんだろう。
スマホの画面を見ながら、ちゃんとファインダーを覗いて写真撮りたいなと、そんなことを思ってたら会社の近くで師匠の写真展が始まったので見に行ってきた。
以前、師匠のトークショーに行った時の記事はこちら↓
一歩足を踏み入れて、色鮮やかな世界にぽかんとしてしまった。とにかく眩しかった。めまいしそうなくらい私が見ている(見えている)世界とは全然違った。
お気に入りは富士山の写真。あんな”美味しそうな”富士山の写真は初めて見た。
私にはこんな春の色は見えなかった。
「閉じてるな」と感じた。
帰りは雨だった。やるせないニュースも流れてきて、足取りは重かった。
それでも写真撮りたいなという気持ちはなくならなかった。
久しぶりにファインダーを覗いて撮った写真は漆黒の雨空になった。
春っぽいきれいな花でも撮れたらよかったけど、そういうものには気持ちが動かなかった(この前撮った桜の写真は私の中で”記録写真”の位置づけ)。
悲しいけど今、私が見えてる世界の色はこんな感じだ。
この一年、できないことを見ないように、考えないように、いろんな心のスイッチを切って生活してきた。それが自分を守る術だと思ったから。自分ではどうすることもできないことばかり。できないことを考えるくらいなら、いっそ考えない方が楽だと思った。
それでもありがたいことに、私がぼんやりしてても楽しいことを生み出して供給してくれる人がたくさんいたので、その恩恵を享受し、こんな状況下でも心を冷やさず過ごすことができた。本当に感謝しかない。
ただ、そうして一年が過ぎ、師匠の鮮やかな写真を見ながら考えなさ過ぎるのもヤバいなと思い始めた。
心のスイッチを切って一時的には楽になっても、最後にはあきらめ癖、無気力、そうしたものしか残らないと気づいた。見ないように蓋をしていたけど、私、まぁまぁ空っぽになってる。
さっきの漆黒の雨空写真を撮った後、これはこれで今の私っぽくてえぇかと思いつつ、やっぱり色を、心の色を取り戻したいと思った。それにはやっぱり私にはカメラなんだ。
だから明日も通勤鞄にカメラをしのばせて行く。
いつかカメラを持って旅に出られる時がきたら、心躍るカラフルな写真を撮りたい。そのためにも自分の色を取り戻したい。前よりもっともっと好きだと言える写真を撮りたい。まずは半径1メートルの世界から。
そんな未来が一日も早く訪れるように、今一度、基本に立ち返って。心を込めて、想いを馳せて、手を洗わなくちゃね。