身の程知らずめ。

「身の程を知れ、馬鹿が。」


その言葉にずっと、違和感があった。

「身の程」は

人に「知れ」と言われるものなのか?

人に「わきまえろ」と言われるものなのか?


「身の程」は

自分自身についてのことなのに

誰かに支配されてしまうのか?


そんなものは知りたくない。

「身の程」なんていらない。

「身の丈」を確かに分かっていれば十分だ。


知るべきは、ひとから指差されるものじゃない。

知るべきは、私自身がもつ そのままのものだ。


自信過剰に見えるかもしれない。

そうじゃない、自身を見たいだけなんだ。


たしかにある、私という「身の丈」を

誰かの物差しで測った

誰かの「身の丈」と比べた

誰かの希望に則った

「身の程」なんかに

定義されてたまるか。


チビ   デブ メガネ ブス ガキ ノロマ、馬鹿、

なんて。


「身の程」を知ったって意味がない。

「身の丈」を知って自分を生きる。


私は、私たちは

「身の程」を否定される必要も

「身の程」の無知を指摘される必要もないのだ。


私たちは知っている。

私は私だ。


私たちは知ってる。

これが私だ。

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