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スワンの悲劇〜今年2度目の厄”落とし”〜

ーー落とし物のお問い合わせですね。何を落とされましたか?

財布です。藍染めの布で作られた、二つ折りの。

ーー財布……ですか。こちらにはまだ届いてないようです。

あの、スワンボートでお金を払ったところまでは持っていたんです。

ーーなるほど(察し)。ちなみにボートはどのタイプの?

えっとオールのやつじゃなくて、ペダルを脚で漕ぐタイプのほうですね……

ーーあっ……(再度)、それは……なるほどですね……

私と、ある大きな公園の落とし物担当者の電話での会話である。これが事の全容であり、これ以上なにかを書く必要もない。ただ、気持ちの成仏のために、もう少し書き進めてみることにする。書いたところでどうせ財布が帰ってくるわけでもないのだが(ヤケクソ)。


さて、もう9ヶ月も前のことになるが、私は年末にスマホを落として、年始にウニを踏ん付けるという「レッツ☆厄年」みたいな始まりで、2023年を迎えた。

ミラクルの末に無事にスマホが手元に戻り、皮膚科のレディたちのおかげでウニのトゲも抜け、綺麗さっぱり厄が落ちたぞわっはっはと気を抜いていたのである。みんな注意してほしい。そういうときに厄ってやつぁやってくるのだ。


ことの始まりは、夏の終わりにある大きな公園でバーベキューでもしようじゃないかと思いついたことである。青い空と日差しのもと!少し涼しくなったかに思える秋の風に吹かれて肉を食う!そしてスワンボートだ!!!!

そう、この公園には大きな池があり、足漕ぎスワンボートがある。前回行ったときに娘が大変気に入って、今回もスワンボートに乗るのだと鼻息あらく乗り込んだ。家族団欒の楽しい日曜日に気合いが入る私と夫が外側に、間に娘と息子を挟んだギュウギュウの状態で陸地を離れた。

30分に渡り、大きな池を縦横無尽に走り回った私たち。底の見えない濁った池に落ちることを想像してビビりつつ、時々目にする鯉の大きさに慄きながら、端から端までスワンで駆け抜けた。

2人で漕ぐスタイルのスワンボート、主に足を動かしていたのは夫である。私は軽く足を添えながら「漕いでる!漕いでるよォ!」と叫んでいたのだが、今となっては後悔しかない。夫があそこまで脚を動かすことがなければ、財布は今も彼のポケットの中にあったかもしれない。

大事なところだが、チケットの支払いをしたのは夫である。現金支払いが多くなるであろうと踏んで多めのお金が入った私の財布を手渡して、私は後からゆるりと向かった。ボートに乗り込んだ時点で、というか財布を渡した時点で、もう財布のことなんて忘れていた。だから、BBQ会場で支払いが発生したときに「ほれ見ろやっぱり現金支払いだったじゃろ、降ろしてきて正解じゃったわおっほほ」と財布を取り出そうとまでしてみせたのだ。

ない。

そこで私は、記憶にある財布の最期を必死に辿った。焦る私に、もっと焦った夫が「スワンボートのチケットは、マナのお金で払って、そのあとズボンのポケットに入れたはずだが、ない!!」と言う。

私は疑った、というか願った。藍染めの財布なんて、もとから持ってきてなくて、夫は自分の財布から支払ったのではないだろうか。あはは、暑さで混乱したのでは?

しかし、夫は結構ちゃんとした大人である。記憶力に関しては、私の倍ぐらいちゃんとしている。その夫が「間違いなくマナの財布で支払った」としっかと目を見て言うのだから、きっと間違いないのだろう。人間、本当に見たくない現実が目の前に迫ると、最愛のパートナーまで疑ってかかることを知った。

さて、肝心の財布の中身だが、いつもより多めに入れておりました現金のほか、免許証、保険証、クレジットカード(2枚)、キャッシュカード(2枚)、そしてなんと図書券が2万円分も入っていた。パチンコだったら「2」のゾロ目で大当たりだっただろう。

物欲が少なめの私は、誕生日やクリスマスになるたびに「図書券がいい!」をせがんでおり、いつでも使えるようにと財布に常備していた。つまり、私の数年分の誕生日とクリスマスプレゼントがすべて消えたことになる。これを思い出したとき「だれか俺の記憶を消してくれ」と切に願った。

その後、持っていた荷物を3回くらいひっくり返したが見つからず、ボート乗り場にも、乗っていたボートにも、もちろん落とし物センターにも行ってみたが、財布は魔法のようにどこかへ消えてしまった。これはもう湖にポチャンしたのだと、その場にいた全員がうっすらと確信しながら、我々は帰路についた。


翌日、一筋の希望の光を頼りに、念のため、ダメ元で、たぶん無理だけど、最後にもう一度公園に電話をしてみた。届け出は出しているが、あのときペンの出が悪かったな。もしかしたら電話番号が読み取れなくて連絡できないのかもしれない(鬼ポジティブ)。「何事もダメ元で!」が私の隠れた信条である。

そうして繰り広げられたのが冒頭の会話だ。夫が隣でガックリと肩を落としている。もうダメだ。私の財布は、湖の底に沈んでいる。落とし物担当者ですら早々に察したじゃないか。鯉たちが、私の図書券をめぐって争いを繰り広げているに違いない。せめて私もその戦いに混ざりたい。

もしもこの記事がバズったら、何十年もしていないという(確認した)池の清掃をしてくれるかもしれない。スマホのときのように、神様がどうにかしてミラクルを起こしてくれるかもしれない。金の財布、銀の財布、藍染めの財布……ははは、どの財布を選ぼうかなと妄想することでしか、私はまだ自分を癒すことができないでいる。

ただ、落ち込んでいるわけにもいかない。「人の財布をなくした」という事実にうなだれている夫のためにも、私は前を向かねばならない。お金をまた稼いで、図書券を買って、免許証の再発行のために二俣川へ向かおう。財布は帰ってこなくても、人生は進んでいく。

今度こそ本当の本当に「厄が“落ち”ましたな」などとうまいことを言って締めるつもりはない。そういう油断を、やつらは見ているのだ。2023年もあと4ヶ月というタイミングで「お祓い」を調べ始めた私を、きっとせせら笑っているに違いないのだ。

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